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第59話「十二月二十八日、検討はする」


女性の二人組がカフェを出ていったあとも、

私はもう冷めてしまった紅茶を飲みながら、まだ空を見ていた。

係長も今、どこかでこの空を見ているのかな。


そんなことを思っていたとき――



 「ここ、空が綺麗だろ」



すぐ後ろで声がした。

低い声。


  ……っ


振り返ると、青いもこもこのダウンを着た係長が、コーヒーカップを持って立っていた。

九日間も会えないと思っていた人が、一日目に、そこにいた。


 「係長……」


 どうしてここにいるの?

 私と同じ理由?


 ……なはずがない



 「邪魔するぞ」



そう言って、私の隣の椅子を引いた。

向かいじゃなくて。


ギィっと、椅子の脚が床を擦る音がしてすぐ、青いダウンが横に来た。

さっきまで一人で見ていた窓ガラスに、係長の姿が映る。


コーヒーの香りが、ふわっと鼻をかすめた。


近い。


でも係長はそんなことには気づかずに、窓の外の空を見ている。


 「泣いていたのか」


 「泣いてません」


係長は私の顔をちらりと見て、

何も言わずにまた空を見た。


………。


しばらく黙って窓の外を眺めていると、

さっきの二人組の姿が見えた。


ガラスの向こうのあの女性と目が合った。


 「あっ」


女性も私に気づいた。

足を止めて、慌てたようにバッグに手を入れる。


あれ。

さっき渡そうとしていた紙だ。


でも隣の女性が、すぐにその腕を引いた。


 「ちょっと」


声は聞こえない。

でも二人の口が、ガラスの向こうで忙しく動いてる。


やがて女性はこっちをもう一度見てから、私の隣にいる係長を見た。


そして、諦めたみたいにバッグから手を出した。

二人は窓の外で何かを言い合いながら、そのままどこかに歩いていった。


 「知り合いか?」


係長も二人に気づいていたみたい。


 「前にここで係長に連絡先を渡した人です」


 「ああ。 宗教の勧誘のな」


 「違います」


係長が私のほうを見た。


 「違うのか」


 「係長だけです。 そう思ってるの」


 「じゃあ、何だったんだ?」


 「……知りません」


知ってる。

教えたくないだけ。


係長は少し考えたあと、「そうか」と言ってコーヒーを飲んだ。


この人はたぶん、百回目でも分からない。


◆


 「この中は暑いな」


そう言うと、係長がもこもこのダウンを脱いで、椅子にかけた。


中に着ていたのは、黒いポロシャツ一枚だけ。

開いた首元から鎖骨が見えている。

十二月なのに。


 「薄着ですね」


 「暑がりなんだ」


係長は平然とコーヒーを飲んでいる。


私は、カップに触れた係長の唇まで見てしまってて、

慌てて窓の外に視線を戻した。


もう見ない。


 「何かついてるか?」


係長がそう言って、口元を指で触った。

また見てしまった。


◆


 「さっきから何か言いたそうだな」


係長が空を見たまま言った。


私はテーブルの上にカップを置いた。


 「篠原さんとは……」


そこまで言って、言葉が続かなくなった。


係長が私を見る。


聞きたい。


  クリスマスイブに会ったんですか。

  篠原さんとはどういう関係なんですか。

  一緒にイタリアに行くんですか。


今直接聞けばいい。


私は、カップの取っ手を指でなぞった。


 「イタリアに……、行くんですか?」


結局、口から出たのは、いちばん遠い質問だった。


係長はすぐには答えなかった。


 「まだ決まっていない」


 「行きたいんですか」


また少し間があった。


 「分からない」


係長がこんなふうに答えるのは珍しい。


  ――上司の連絡先も知らないんですか?


さっき言われた言葉。


私は窓ガラスの向こうを見た。


会社が休みになっただけで、係長がどこにいるのか分からなくなった。

今日だって偶然だ。

もし係長がこの空のずっと向こうに行ってしまったら……

今みたいに、偶然会うことすらなくなってしまう。


 「もし私が……」


声が震えた。

カップに添えた指も震えてる。


係長は何も言わずに待っている。


 「もし私が、行かないでって言ったら……」


もう係長のほうを見られない。

ぎゅっと目をつむった。


 「……行かないで、くれますか?」


言った。

言ってしまった。


ほんの数秒だったけど、係長は何も言わなかった。


隣にいるのに、顔を見れない。


ゆっくりと息を吐く音が聞こえた。


 「……検討は、する」


こんなときまで係長。


 「行かないとは、言ってくれないんですね」


 「簡単には決められない」


  ですよね。

  そんなこと、分かっています。


 「……はい」


それっきり、二人とも黙っていた。


◆


窓の外では、冬の薄い雲がゆっくりと流れている。


しばらくして係長がカップをソーサーに置いた。


カツっ、と小さな音がした。


 「ん……」


係長は何かを言いかけたあと、

もう一度カップに手を伸ばして、

持ち上げずに指を離した。


 「どうしたんですか?」


 「……俺からも、ひとついいか」


 「はい」


係長は窓の外を眺めたまま。


 「俺は、どうすればいい」


イタリアのことだと思った。


 「どうすればって……」


係長は口を閉じたまま、しばらく迷っていた。

それから、名前を出した。


 「山本のこと」


  ……っ


 「何度でも言うって」


 「……はい」


 「次に言われたら、俺は何と答えればいい?」


  そんなこと、私に聞かないでください。


  私も……

  私も、あなたのことが好きなのに。


胸の奥が苦しくなった。


でもその苦しさのすぐ隣で、別の感情が動いてた。


  ……私に、聞いてくれた。


係長が。

玲さんのことを、私に。


嬉しいと思ってしまった。

玲さんの気持ちを思うより先に、

自分が相談相手に選ばれたことを喜んでしまった。




◆第60話「同じ空の下」、明日20時に更新します

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