第52話「十二月二日、審査員特別賞」
十二月二日、月曜日。
朝から落ち着かなかった。
コンペの結果が発表される午前九時が近づくにつれ、
部長や役員までこのフロアに集まってきた。
部長は課長と他社のプレゼンについてあれこれ話しているし、
役員は落ち着かなそうに、近くにあった模型を眺めている。
私はノートパソコンに図面を表示していた。
十分ほど前から同じものを見てる。
隣では、玲さんがスマートフォンの画面を何度もつけてた。
「あと何分ですか?」
「さっきから一分おきに聞いてるよ」
玲さんはそう言って笑いながら、係長のほうを見た。
係長はいつものように、ノートパソコンを使って仕事をしてる。
「普通に仕事してますね」
「してないよ」
「え?」
玲さんが、係長の手元に置かれたカップを指さした。
「さっきから一口も飲んでない」
言われるまで気づかなかった……。
「係長も緊張するんですね」
「するでしょ」
玲さんはそう言ったあとも、係長を見ていた。
八時五十七分。
設計三課から、椎名さんがやってきた。
後ろには同じ課の人が二人いる。
「まだ出てません?」
「あと三分だ」
課長が答えると、椎名さんは壁の時計を見た。
「間に合った」
「椎名、お前は何をしに来た」
今度は部長に聞かれて椎名さんが足を止める。
「設計三課を代表して、お祝いに」
「結果はまだ出ていないぞ」
さっきまで静かだったフロアの空気が少し緩んだところで、課長が結果発表のページを更新した。
画面は変わらない。
もう一度、更新する。
誰も話さなくなった。
三度目で画面が切り替わって、課長の手が止まった。
部長と役員が後ろから画面を覗き込む。
………。
玲さんの手が私の腕をつかんだ。
私もいつの間にか、玲さんの袖を握ってた。
そして課長が振り返った。
「審査員特別賞だ」
……。
最優秀賞、じゃない?
でも賞は取った。
審査員特別賞って?
「おおー!」
役員たちが拍手をした。
すぐにフロア全体に広がって、あちこちから「おめでとうございます!」という声が飛んだ。
玲さんが立ち上がる。
私も立ち上がって、思いっきり拍手した。
何度も完成予想図を作り直したあの夜。
係長が立てなくなっても、朝まで諦めなかった。
無駄にならなかった。
係長は席から立ち上がり、周囲に向かって頭を下げた。
「ありがとうございます」
あれ?
笑ってない。
みんなが思ってるほど喜んでない。
隣で玲さんは拍手を止めて、
係長の顔をじっと見ていた。
部長が係長の肩を叩く。
「審査員特別賞だぞ! もっと嬉しそうにしろ!」
「……はい」
「なんだその顔は」
部長につられて近くにいた人たちも笑った。
椎名さんも笑いながら係長に寄っていった。
「おめでとうございます! すごいです、審査員特別賞! 俺だったら一週間はこの話をしますよ」
「一週間で済むのか?」
部長が言った。
「やっぱり一か月くらいですかねー」
「それは長いな」
「馬平係長も、もっと自慢していいんじゃないですか?」
係長は椎名さんを見た。
「……そうだな」
◆
午前十時を過ぎたとき、課長が来客を連れてフロアに戻ってきた。
背の高い男性だった。
高そうなスーツを着ている。
課長と何か話しながら、係長のところにまっすぐ歩いていった。
「馬平係長、少しいいか」
課長に呼ばれて、係長が立ち上がる。
その男性は名刺を差し出した。
「初めまして。 森中バイオ製薬の佐伯です」
「アトリエ・フォルムの馬平です」
二人が名刺を交換する。
佐伯さんは審査員特別賞への祝いを伝え、それから先日のプレゼンを見ていたと言った。
「結果は拝見しました」
少し間を置いて、佐伯さんは続けた。
「私達は、あなたのプレゼンが一番だと思いました」
周りで仕事をしていた人たちの手が止まる。
係長は何も言わなかった。
「お世辞ではありません。 どうしても一度、お話をしておきたくて伺いました」
「ありがとうございます」
係長が頭を下げる。
佐伯さんはそこで課長と役員を見た。
「現在、弊社では海外進出に伴う新社屋の建設を計画しています。 まだ設計者を決める段階ではありませんが、候補の一社として、詳しいお話をさせていただけませんか?」
フロア全体がざわついた。
海外、新社屋。
役員と部長が顔を見合わせる。
課長も驚いていた。
佐伯さんが手を差し出した。
「いかがですか、馬平さん」
係長は立ち上がって、その手を握った。
「ありがとうございます。 一度、お聞かせください」
今日二度目の拍手が起こった。
仕事に戻ったと思っていた椎名さんは、まだそこにいた。
「海外ですかー。 いいなあ」
係長が何か答えようとしたとき、玲さんが言った。
「行かせませんけどっ!」
周りの人たちが玲さんを見た。
係長も玲さんを見た。
「まだ話を聞くだけだぞ」
「聞いてその気になってからじゃ遅いんです!」
「何が遅いんだ」
「こっちの話です」
玲さんは片方の手で、もう片方の袖を強く握っていた。
椎名さんが玲さんと係長を交互に見る。
「山本さん、まだ諦めてなかったのか」
「何度でも言うって決めてるので」
「何の話だ?」
椎名さんが吹き出した。
玲さんは、呆れたように係長を見た。
「そういうところです」
また笑いが起こった。
私もたぶん、笑っておいたと思う。
◆
昼休みになると、私はビルの横にある路地に向かった。
高い建物に囲まれているのに、不思議と空が広く見える場所。
係長は花壇の縁に腰を掛けてた。
本当は海外のことを聞きたい。
でも私は何も聞けないまま、係長の隣に座った。
係長も何も言わない。
十二月の風が吹いていた。
そのとき気づいた。
コーヒーがない。
今日は何も持っていない。
私は空を見た。
係長も空を見ている。
「審査員特別賞でしたね」
「ああ」
「嬉しくないんですか?」
係長は空を見たまま。
「本気で勝ちにいったからな」
あの夜のことが浮かんだ。
真っ青な顔になっても係長は修正をやめなかった。
本当に勝つつもりだったんだ。
「……何かを、乗り越えられる気がしていたんだ」
私は顔を上げた。
係長はまだ空を見ている。
「……私には」
気づいたら口が動いてた。
「係長のプレゼンが一番でした」
恥ずかしくなって、自分の足元の枯れ葉を見た。
「佐伯さんが言ったからじゃありません」
「分かってる」
足元の枯れ葉が、風に押されて動いた。
係長の靴に当たってから、路地の奥に転がっていった。
◆
昼休みが終わってフロアに戻ると、まだ佐伯さんは課長や役員と話をしていた。
「海外展開が――」
「来年には――」
「現地との調整を――」
途切れ途切れに聞こえてくる。
私は席に座って、ノートパソコンを開いた。
午前中に何をしていたのか、なかなか思い出せなかった。
私は手元にある、眉毛の太いシマエナガを指で押した。
ころん
と、倒れる。
揺れながら、元の不機嫌な顔が戻ってくる。
もう一度押すと、
また倒れて、また戻る。
――行かせませんけど
玲さんの声を思い出した。
もう一度シマエナガに指を伸ばしたけど、押す前に、引っ込めた。
◆第53話「馬平君」、明日20時に更新します




