第49話「十一月十四日、社内プレゼン」
十一月十四日、木曜日。
コンペ本番を明日に控えた午後一時。
大会議室には、部長や役員、各部署の管理職が集まっていた。
設計一課の全員も、後ろに並んで座っている。
私は玲さんの隣で、膝の上の資料を何度も何度も揃え直していた。
「しおりちゃん?」
玲さんが小さな声で呼んだ。
「はい」
「その資料、そのうち角が丸くなっちゃうよ」
玲さんは前を向いたまま笑ってる。
プレゼンするのは私じゃないのに、さっきからずっと落ち着かない。
前に立っている係長は、いつものとおり。
見慣れた紺色のスーツ。
何を考えているのか分かりにくい顔。
ただ、少し痩せた。
私はここ数週間の係長を見てきた。
昨夜はその隣に、私がいた。
今朝も続きを手伝った。
係長が話す言葉を書き取りながら、二人で見つけた言葉もある。
――見つけ直す
最初の「見」だけ、小さくなったあの言葉。
それが今日、大勢の前に出る。
膝の上の資料をまた揃えてた。
◆
「では、馬平係長」
総務部の部長がそう言うと、会議室の照明が落ちて、
前のスクリーンに、シャッターの閉まった商店街が映し出された。
色の抜けた看板。
人のいない通り。
店先には、持ち主をなくした植木鉢が残されている。
係長が口を開いた。
「それでは、始めます」
大きな声ではなかったけど、会議室の後ろまでよく通った。
「この商店街を、昔の姿に戻すことはできません」
スライドが切り替わる。
閉店した写真館。
看板が取り外されたあとの壁に、四角い跡が残っている。
「店を同じように作り直しても、同じ人は戻ってきません。 もう昔と同じ街にはなりません」
係長は、写真館の改修案を映した。
古い壁は、そのまま残されている。
看板があった場所には新しく大きなグレーの板が貼られ、そこに町の人たちが持ち寄った写真が並んでいた。
「なくなったものを、元に戻す計画ではありません」
係長が、まっすぐに前を見た。
「今もここに残っているものを、見つけ直す計画です」
昨夜、私が紙に書いた言葉だ。
私と係長しか知らなかったあの言葉を、
今は会議室の全員が聞いている。
資料を見ていた役員が顔を上げた。
紙をめくる音も、咳払いも聞こえない。
昨夜、まだ私が置いていないコーヒーを、黙って手で探した人。
その人が今、会議室にいる全員を引き込んでいる。
……遠い
嬉しいのに、そう思った。
◆
スライドが進むにつれて、閉ざされていた商店街に人が戻ってきた。
使われなくなった店が、小さな図書室になった。
空き地には、週末だけ店を出せる広場ができた。
係長は、その場所がどう変わるのかを、一つずつ話していった。
まだ建築をよく理解できていない私でも、ここなら歩いてみたいと思った。
板に並ぶ写真を見て、知らない町の昔を知りたくなった。
最後のスライドに、新しくなった商店街が映し出された。
建物の間をたくさんの人が歩いていて、
店先でも話している人がいる。
子どもが広場を走ってる。
「建物を残すことが、街を残すことではありません」
係長は少し間を置いた。
「そこにあったものを、次に来る人に渡せるようにする。 それが、この計画で考えた再生です」
係長が一礼した。
………。
すぐには、誰も声を出さなかった。
………。
沈黙が続いたあと、
やがて総務部長が、大きく息を吐いた。
「いいじゃないか」
その一言をきっかけに、会議室のあちこちから拍手が起きた。
玲さんが私の腕をパシパシ叩く。
「すごいじゃん!」
「……はい」
声がうまく出なかった。
係長が評価されている。
ここにいる人たちに、ちゃんと届いた。
◆
しばらくして拍手が収まると、質疑応答が始まった。
係長がいくつかの質問に答えたあと、それまで黙っていた役員が手を上げた。
「ひとついいか」
「はい」
「写真館の板に飾る写真は、誰が集めるんだ?」
スクリーンが、グレーの板に写真を貼ったスライドに切り替わった。
「町の人たちです」
「最初はおもしろがって集まるだろう。 珍しいし、昔の写真を持っている人もいる」
役員がスライドを指さした。
「では、そのあとは?」
係長はすぐには答えずに、スクリーンを見た。
板に並んでいるのは、なくなったお店や、そこで働いていた人たちの写真ばかり。
これを飾って、それで終わりなんだろうか。
「みんなで増やしていけばいいのに……」
玲さんが、すごい勢いで私を見た。
前に座っていた課長も振り返った。
部長も役員も、みんな。
ここにいる全員が、私を見てた。
「しおりちゃんっ」
玲さんが私の口元を両手で隠した。
「す、すみませんっ」
この場から逃げ出したい。
「風宮」
前に立っている係長が、私の名前を呼んだ。
「はいっ」
「続けてくれ」
「え?」
「今の話だ」
まだ全員が私を見てる。
逃げられない。
「その……、昔の写真を飾って終わりじゃなくて」
自分の震えた声が、静かな会議室の中に響いた。
手も震えていて、資料の端を、ぎゅっと握った。
「今日ここで撮った写真も、すぐに昔の写真になります。 新しく店を始めた人や、遊びに来た人も、写真を一枚ずつ増やせるようにしたら……、この板は、ずっと変わっていけると思います」
間違えたかもしれない。
「すみません。 思いついただけで――」
「この案にしたきっかけも、風宮の言葉でした」
係長が言った。
私は呼吸が止まった。
「元に戻すのではなく、見えなくなっていたものを見つけ直す。 最初にその考えを出したのは、この風宮です」
やめてほしい。
嬉しい。
でも本当にやめてほしい。
会議室の視線が、また全部私に向いた。
係長は気にする様子もなく説明を続ける。
「完成したあとも、町の人たちが写真を増やしていく。 単に昔の記憶を飾る場所ではなく、この先の記憶も残していける場所にします」
質問した役員が、ゆっくりと頷いた。
「おもしろい」
助かった。
「だが、その話はそのスライドのどこにある?」
役員がもう一度、前のスクリーンを指さした。
「そこにあるのは、きれいに完成した街だ。 写真館も図書室も、その先がない」
誰も言葉を挟まなかった。
「君たちが作りたいのは、完成した街ではないんだろう?」
君たち。
「……はい」
「人が使い続けることで、これからも変わっていく街だ。 二人の説明を聞いて、私はそう理解した」
二人。
「だったら、それを入れたほうがいい。 質問しなければ出てこないのは、もったいない」
係長はしばらく最後のスライドを見ていた。
「ありがとうございます」
深く頭を下げた。
部長が腕を組んだまま言った。
「全体はとてもいい。 今の部分を入れて、明日はがんばってくれ」
「はい」
「君も」
「は、はい」
「いい意見だった」
「ありがとうございます」
私は両手で顔を覆った。
◆
会議室の照明がつくと、張り詰めていた空気が一気に消えた。
役員たちが席を立って、係長のところに集まっていく。
設計部の部長が係長の肩を叩いた。
「馬平、よかったぞ」
そう言うと、満足そうに会議室を出ていった。
玲さんが、たたたと私の横に来た。
「しおりちゃん、すごかったじゃん」
「死ぬかと思いました」
「係長、しおりちゃんの言葉だって、みんなの前で言ったねー」
「……はい」
「しおりちゃん、今係長を見たら、もっと赤くなっちゃうんじゃない?」
「なりません」
そう言われて前を見たら、
係長と目が合った。
……っ
すぐに逸らした。
「ほら」
玲さんは課長に呼ばれて、まだくすくす笑いながら、会議室を出ていった。
ほかの人たちも、次々といなくなった。
でも係長は、スクリーンの前から動いてなかった。
最後に映された、完成した街を見つめている。
あの夜、私は、止まっていたコンペを動かせたのだと思った。
でも今は、そう思えない。
私が動かしたのはコンペじゃなくて、係長の中にある古い傷だったのかもしれない。
「係長?」
「一枚じゃ足りない」
「え?」
「最後に一枚追加しても、今の話は伝わらない」
係長はノートパソコンの前に座って、スライドを最初から開いた。
「全部直す」
「全部?」
「完成した姿を見せるんじゃない。 完成したあと、どう使われ続けるかを見せる」
スライドを切り替えながら、係長は修正する場所を確認していく。
「これ、明日までに終わりますか?」
「終わらせる」
昨日も聞いた。
「風宮」
「はい」
係長がモニターを見たまま言った。
さっき、遠いと思った人が今、私を呼んだ。
「悪い。 もう少し――」
「お付き合いします」
返事がまた早すぎた。
コンペの本番は、もう明日。
◆第50話「……徹夜」、明日20時に更新します




