第48話「十一月十三日、あと二日」
十一月十三日、水曜日。
コンペの本番まであと二日。
係長の様子は、先週までとは違っていた。
目の下には薄い影があるし、お昼を抜いている日もある。
それでも、何かを探して立ち止まっていたときとは違う。
共有テーブルに広げられた図は次々と入れ替わり、係長の手は止まらなくなっている。
係長の顔からあの苦しそうな様子が消えていくのは嬉しかった。
でも私のあの話が、この人の中で何になったのかは分からない。
◆
定時を過ぎると、フロアから少しずつ人が減っていった。
私は給湯室に行き、いつものようにコーヒーをいれる。
カップを持って戻ると、係長は画面を見たまま、私がいつもカップを置いている場所に手を伸ばした。
指先がテーブルの上を二度探る。
「どうぞ」
カップを置くと、係長は「ああ」と言って、ひとくち飲んだ。
◆
二十一時を過ぎたころ、フロアには私と係長だけになっていた。
係長のペンの音が聞こえる。
さらさらと続いて、止まって、また続く。
その音に気を取られていたときだった。
「風宮」
「はい」
「ちょっといいか」
係長のところに行くと、
テーブルには文字や矢印を書き込んだ紙が広がっていて、
パソコンにはプレゼンの資料が開かれていた。
どのスライドで何を説明するのか、話す流れを書き出しているらしい。
係長が、その中から一枚を手に取った。
「読んでくれ」
そこには、たくさんの文字が手書きされていた。
でも一行目から読めなかった。
次の行も、やっぱり読めない。
「どうだ」
係長に紙を向けた。
「字が読めません」
「どこが読めない」
「ほとんどです」
係長が改めて自分の書いた紙を見た。
「本当だ。 俺にも読めない」
「書いたご本人ですよね?」
「急いでいるからな。 明日のプレゼンまでにまとめる」
「それを先に言ってください」
コンペは二日後。
でもその前に明日、社内プレゼンがある。
「これ、明日話す内容ですか?」
「そうだ。 スライドの順番に合わせて整理している」
係長は私から紙を取り上げると、新しい紙をテーブルに置いた。
「俺が言うから書いてくれ」
「私が書くんですか?」
「風宮の字なら、あとで俺にも読めるだろ」
係長は白紙の紙を見たまま続けた。
「この案のきっかけを、最初に出したのはお前だからな」
「……っ」
「お前が話したことを、俺が勝手に違うものにしていないか見てほしい」
係長はそう言って、別の紙を探し始めた。
◆
係長が一枚ずつスライドを見ながら、話す内容を口にする。
私がそれを紙に書いていった。
スライドだけでは見えなかった時間の流れが、係長の言葉でつながっていく。
コンセプトを説明するスライドまで来たところで、係長の言葉が止まった。
「失われた町の記憶を……、取り戻す」
私は言われた通りに書いた。
書いてから、その一文を見直した。
「係長」
「なんだ」
「これ、少し違う気がします」
係長が私を見た。
「そうだよな」
私は「取り戻す」という言葉を指さした。
「取り戻すだと、昔と同じものに戻すみたいです」
係長は何も言わない。
急に不安になった。
本番まで二日しかないコンペの案に、新人の私が何を言っているんだろ。
「すみません。 よく分かってないんですけど」
「続けろ」
係長は、私が指している一文を見ている。
「元の状態に戻すことじゃないと思うんです。 なくなったんじゃなくて、ずっとあったのに見えなくなっていただけだから……」
「見つける」
係長が言った。
「でも、一度は知っていたものなので」
係長は、私の書いた「取り戻す」を見た。
「見つけ直す、か」
係長が私の書いた紙をのぞき込んだ。
私の肩の横から係長の腕が伸びてきて、「取り戻す」と書いた文字を指で押さえた。
スーツの袖が、私の腕に触れた。
係長のにおいがする。
「ここだな」
「……はい」
「書き直してくれ」
ペンを持ったまま、固まってしまった。
「風宮?」
「い、今、消します」
私は「取り戻す」に二本線を引いた。
そのすぐ横に「見つけ直す」と書こうとして、最初の「見」が小さくなった。
係長の袖が、まだ私の腕に触れている。
「これでいいですか」
「ああ」
係長が体を戻した。
「それでいく」
そう言って、係長は次のスライドを確認した。
私は今書いた紙を見た。
最初の「見」が、ほかの文字よりはるかに小さい。
◆
それから一時間近く、係長の話す言葉を書き続けた。
分からないところは質問して、長いところは長いと言った。
「ここも長いです」
「削るか」
「はい。 この説明、さっきもありました」
「そこは必要だろ」
「同じ説明が三回もあります」
「大事なところだからな」
「三回は、くどいです」
係長は三枚の紙を見比べた。
「……ほんとだな」
係長は素直に二本線を引いた。
私が書いていた紙の余白がなくなると、すぐに次の紙が差し出される。
時計を見ると、もう二十二時を過ぎていた。
「間に合いますか?」
「間に合わせる」
「じゃあ、続けてください」
係長が一瞬、私を見た。
「悪いな」
「いえ」
係長は次の言葉を話し始めて、
私はそれを書き続けた。
◆
二十三時になって、ようやく係長が顔を上げた。
「今日はここまでだ」
私はペンを置いた。
指が痛くなってた。
「助かった」
いつもの低い声。
「明日も頼むかもしれな――」
「大丈夫です」
答えるのが早すぎて、
係長が目を大きくした。
「無理は――」
「してません」
明日もこの人の隣で続きを書ける。
係長がここまで考えたものを、誰かに見つけてほしかった。
コンペまでは、あと二日。
◆第49話「社内プレゼン」、明日20時に更新します




