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第4話「四月五日、係長って素敵だよね」

金曜日の昼休み、私は給湯室でお湯を沸かしていた。


一週間が終わろうとしている。


月曜の入社式から数えてまだ五日しか経っていないのに、ずいぶんと長かった気がする。

一か月分くらいの何かが、もう自分の中に積み上がっている気がする。



 「風宮さん!」



明るい声が給湯室に飛び込んできた。

振り返ると、山本玲やまもと・れいさんが立っていた。

ショートカットをふわっと揺らして、満面の笑顔で私を見ている。


 「一緒にランチどう? 近くにおいしいお店があって、新人の子が入った時は絶対に連れて行くって決めてたんだ」


 「ありがとうございます、ぜひ」



山本さんが連れて行ってくれたのは、事務所のビルから徒歩三分のイタリアン。

カジュアルなお店で、ランチセットが千円以内で食べられる。

山本さんは慣れた様子でメニューも見ずにパスタを頼んだ。

私はサラダセットにした。


 「風宮さん、今週どうだった? 設計一課って独特の雰囲気があるでしょ? 最初はとっつきにくいかなって思って」


 「独特、ですか?」


 「なんていうか、みんな仕事に集中してる感じで、わいわいしてないじゃない? 私が最初に配属された時なんて、しばらく居場所わかんなくてさ」


山本さんはそう言って、少し眉を下げた。


 「居心地は悪くないです。 静かで、集中できる感じで」


 「わかるわかる。 慣れるとあの空気、好きになるんだよね」


パスタが運ばれてきた。

山本さんはフォークを手に取って、「いただきます」と言った。


 「風宮さんって、大学は建築?」


 「はい、建築学科です」


 「あ、そっかー。 私は建築じゃなくて、インテリアデザイン専攻だったんだー。 設計の仕事、最初から希望してたの?」


 「はい、ずっと」


 「偉いなあ」


山本さんは屈託なく笑った。

声が大きくて、表情がよく動いて、一緒にいると場が明るくなる。

こういう人が職場にいてくれると単純に、嬉しいなって思った。


しばらく、当たり障りのない話が続いた。

おいしいカフェの場所。

通勤経路。

社員食堂のメニューのこと。


そして、山本さんがパスタを一口食べてから、ふと顔を上げた。


 「そうだ。 風宮さんの指導係、馬平係長だよね?」


フォークを持つ手が止まった。


 「はい、そうです」


 「どう? 係長の指導」


 「丁寧に教えてもらっています。 昨日、現場にも同行させてもらって」


 「いいなあ」


山本さんがフォークを置いた。

頬杖をついて、少し遠くを見るような目になった。


 「馬平係長に現場連れて行ってもらうの、最高なんだよねー。 私、去年何回も一緒に行かせてもらって。 その時のこと、今でも覚えてるもん」


 「山本さん、去年、馬平係長が指導係だったんですか」


 「そう! 一年間お世話になって。 ほんとに、去年のあの一年は……」


山本さんの目が遠くなった。

何度か見たことのある、係長を見ている時の目だ。



 「係長って、素敵だよね」



山本さんが言った。

独り言みたいな言い方で。


 「……そうですか?」


私は答えた。


山本さんがはっと顔を上げた。


 「え、まだわからない? 一週間じゃそうかー。 でも絶対わかるよ。 一緒にいたら、絶対」


 「何が、わかるんですか」


私は少し首をかしげた。


山本さんは少し考えるように視線を動かして、それから言った。


 「最初はさ、係長、私のこと全然見てくれないなって思ったんだよ。 顔は見ないし、仕事の話しかしないしね」


私は黙って聞いた。

山本さんは笑ってた。


 「でもね…」


フォークをくるくる回す。


 「ある日、残業してたらさ。 気づいたら机の上に缶コーヒーが置いてあったの」


 「係長が?」


 「そう」


山本さんが少し笑った。


 「しかも私がいつも飲んでる銘柄の」


山本さんは頬杖をついた。


 「図面で詰まった時もさ、答えは教えてくれないんだよ。 でもヒントはくれるんだ」


 「……」


 「それで私が完成させるとね、柄にもないのに、照れながら褒めてくれるの」


山本さんが目を細めた。


 「そういうの、何回かやられるとね。 気づいたときにはもう遅いんだよ」


最後のほうは、もうほとんど呟きになってた。

私はサラダをフォークで刺して食べたけど、味がわからなくなってた。


 「山本さんは」


 「ん?」


 「係長のことが好きなんですか?」


聞いてしまってから、踏み込みすぎたと思った。

でも山本さんは気分を害した様子もなく、むしろすっきりした顔で笑った。


 「好きだよ。 大好き。 全然隠してないし、本人にも言ってるし。 でも全然気づいてもらえないんだよね、あの人には。 鈍感にもほどがあるっていうか」


 「……言ってるんですか、本人に」


 「言ってるよ! 会いたくて早く来てるって、今朝も言ったし。 でも係長、毎回ちゃんと受け取らないんだよ。 冗談だと思ってるのか、本気だってわかってないのか。 とにかく、馬の耳、なんだよ」


山本さんはそう言って、ケラケラ笑った。

傷ついている様子はなかった。


「応援してます」と私は言った。


 「ありがとね! でも風宮さんも気をつけてね」


 「え?」


 「だから、係長に。 気づいたときにはもう、遅いんだ」


山本さんはいたずらっぽく笑った。



 「私みたいになっちゃうよ?」



私は「そんなことないです」と、はっきりと答えた。

なのに帰り道、山本さんの言葉が、頭の中で聞こえてきた。


 ――気づいたときには、もう遅いんだ


私は空を見て、その声を打ち消して、歩くペースを少し上げた。



午後のフロアに戻ると、係長は自分のデスクで図面を見ていた。


私は席に座って、ノートパソコンを立ち上げた。

係長の横顔が視界の端に入った。


素敵だよね、という山本さんの言葉を思い返してしまって、改めてその横顔を見た。


整った顔ではないかもしれない。

でもなんというか、座っているだけで様になる人だ。

図面を見る時の目の動き、ペンを持つ手、たまに腕を組んで考え込んだときの静かな気配。


普通のおじさんのはずなのに。

どうしてだろ。


視線をモニターに戻した。


私は山本さんみたいにはならない。


そう決めた。


決めたそばから、係長がふと顔を上げて、私の方を見た。


 「さっきの打ち合わせのメモ、清書できたか」


 「あ、はい。 もうできます」


 「そうか、ありがとう。 疲れたろ。 今日それ終わったら」


 「……」



 「ちゃんと休めよ」



係長はまた図面に視線を戻した。


私も、慌ててモニターに戻した。


心臓が鳴ってた。

でもそれは山本さんの話のせいだ。

そういうことにしておいた。



◆第5話、本日18時更新◆

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