第21話「六月三日、風宮なら、できる」
六月最初の月曜日、私たちは課長に呼ばれた。
設計部、営業部、総務部などに散らばった新入社員8人と、五月に途中入社してきた椎名さん。
合わせて9人が、設計一課の課長室に集められていた。
「来月、会社として参加するコンペがあります。 君たちはそれぞれ案を考えて、金曜日にプレゼンをしてもらいます。 その中から、我が社の代表を選ぶことにします」
プレゼン……。
課長室を出ると、椎名さんが隣にきた。
「風宮さん、そんなにきれいなんだから、きっとプレゼンも上手いんだろうなー」
「……そんなことないですよ」
また外側の話。
プレゼンが上手いかどうかと、外見がどうとかは、関係ない。
私は人前に立つのが苦手だ。
小さいころからずっとそう。
廊下を歩けば振り返られて、黒板を消すために前に出れば、教室中が一斉に私を見た。
発表をしていても話の内容を聞いてくれている目じゃなかった。
私の外側を見ている目。
それがずっと嫌だったから。
◆
火曜日の夜、20時過ぎ。
いつの間にかフロアは二人だけになっていた。
馬平係長は自分の仕事をしていて、私はコンペの案を考えていた。
でも頭の中がまとまらない。
案を考えようとしても、プレゼンのことが気になってしまう。
同期たちの視線と審査員たちの視線が、一斉に私に来る。
その場面を想像するだけで、お腹の中が冷たくなって、泣きそうになった。
………。
気づいたら、私は係長の横に立っていた。
「私、人前で話すの、苦手なんです……」
情けない……。
係長が図面から目を上げた。
「いつもの通り、俺に説明してくれればいい。 俺は審査員席に座っている」
そう言って、係長はまた図面を見た。
私はしばらくその横顔を見ていた。
係長に……
……いつものとおり、私が係長に。
そう思うと顔が熱くなった。
◆
水曜日の午後。
書庫で、係長が資料を探していた。
私は途中まで仕上げたプレゼンの絵を持って、係長に声をかけた。
「あの、私の、見てください」
係長が振り返った。
「風宮の、何をだ」
その言葉で思い出した。
この書庫で、脚立から落ちそうになって、
スカートが捲れ上がったお尻。
全部。
顔が一瞬で熱くなった。
係長が瞬間的に目を逸らして、書庫の中が静かになった。
「……私の、絵、です。 プレゼンの」
なんとか声を出した。
「あ、ああ」
係長が黙って、プレゼンの絵を見てくれた。
しばらくして、
「お前の視点が、ちゃんと出ている」
もう資料の棚を見ている。
――視点がちゃんと出ている
普通なら褒めているのかどうか、よくわからない言い方。
でも係長が「ちゃんと」と言うときは、それでいいということだと、もう知ってる。
書庫を出たら、お腹の奥が温かくなってた。
◆
木曜日の夜、やっとプレゼンのスライドが完成した。
ノートパソコンの画面を閉じて、椅子の背もたれに寄りかかる。
やるだけのことはやった。
……でも、また手が震えてきた。
◆
ついに金曜日がやってきた。
プレゼンは午後の二時から。
昼休みになってコンビニでサンドイッチを買ったけど、食べる気になれなかった。
私はほとんど無意識に、あの細い路地に向かっていた。
係長がいつもおにぎりを一人で食べているところ。
入社した初日、この路地で係長にぶつかった。
いつも係長がいるところ。
……。
今日は、いなかった。
石の花壇に腰を掛けて、サンドイッチの袋を開けた。
ひと口かじる。
そのひと口分を飲み込もうとしたけど、喉の手前で止まってしまった。
袋を膝の上に置いたまま、空を見上げた。
今日のプレゼン。
前に立ったら、8人分の視線と審査員たちの視線が全部、私に来る。
その場面を想像すると、胃がじわっと冷たくなった。
また手が震えてきた。
膝の上の袋を、ぎゅっと握った。
そのとき――
――私の隣に、どかっと。
係長!
フロアにいるときよりも、指導してもらうときよりも、ずっと近く。
肩が当たりそうなところに、係長が座った。
触れてはいないけど、係長の温もりが空気を通して伝わってきた。
ジャケットの袖と私の腕のわずかな隙間、そこから確かに伝わってきた。
……鼓動が速くなった。
係長は前を向いている。
ビニル袋からおにぎりを取り出して、静かに食べ始めた。
私のほうは見なかった。
何も言わなかった。
ただ隣にいてくれた。
……。
しばらくして、係長が前を向いたまま静かに言った。
「大丈夫。 風宮なら、できる」
いつもの低くてよく響く声。
そうだ。
いつも通りに、係長に説明すればいいんだ。
冷たくなってた胃のあたりが温かくなった。
手も温かくなって、震えが止まった。
気づいたらサンドイッチを飲み込んでいた。
さっきは喉を通らなかったけど、今なら食べられる。
しばらく黙っていた。
係長はおにぎりを食べていて、私はサンドイッチを食べている。
一人じゃない。
◆
午後二時、会議室に9人が集まった。
各部署の部長と課長、そして馬平係長が、審査員席に並んでいる。
順番はくじ引きで決めた。
私は七番目。
………。
三番目の椎名さんが、堂々とプレゼンを始めた。
声が大きくて、資料の見せ方もうまくて、審査員が全員うなずいていた。
プレゼンを終えた椎名さんが満足そうな顔で席に戻るとき、一瞬、目が合った。
………。
…。
六番目が終わった。
私の番……。
立ち上がって前に出た。
会議室中の目が、私を見た。
………っ!
全身が冷たくなって、震えだした。
ノートパソコンにUSBを挿そうとしたけど、手が震えてうまく挿せない。
深呼吸をしようとしたけど、息が吸えない……
……助けてっ
私は必死に係長を探した。
……どこ?
……係長
胸が苦しくなってきた。
……係長、……係長っ、……馬平係長
お願い……
涙が出そうになった、その瞬間――
――いちばん端に、係長が座っていた。
じっと私を見ていた。
いつもの優しい目で。
この目だ。
私はこの目を見つめて、この目だけに、話せばいい。
深呼吸をした。
息が吸えた。
「設計一課の風宮しおりです。 コンセプトをご説明します」
係長に話すつもりで、プレゼンを始めた。
「心地よい住空間とは……」
四枚目のスライドを説明しているときに、声が震えた。
それに気づいたら言葉が止まってしまった。
頭が真っ白になった。
……っ
慌てて係長の目を見つめたら、
係長は小さくうなずいた。
――大丈夫
そう言ってもらえた気がした。
言葉が戻ってきた。
………。
……。
何分話していたのかわからない。
気づいたら最後のスライドになっていた。
「以上です」
会場が静かになった。
終わった……。
大きく息を吐いた。
会議室のみんなの顔が、ちゃんと見えていた。
パソコンからUSBを抜いたとき、私の手は震えてなかった。
課長が「お疲れ様でした。結果は来週発表します」と言うのを聞いて、私たちは会議室を後にした。
「風宮さん」
振り返ると椎名さんだった。
「やっぱり風宮さんは得だな、ああいう場。 華がある」
「……そうでしょうか」
「いや本当、華がある」
私は頭を下げておいた。
会議室を出ると、玲さんが廊下で待ってくれていた。
「しおりちゃん、どうだった?」
「なんとかできました」
「よかったねー」と笑ってくれた。
私も笑った。
◆
胸の鼓動はまだ少し速い。
係長に会ったら、まず言おう。
「ありがとうございました」
そう言おう。
――大丈夫。 風宮なら、できる
あの一言がなかったら、私はきっと最後まで話せなかった。
廊下を歩いていると、後ろで扉の開く音がした。
部長たちに囲まれるように、会議室から係長が出てきた。
あ……
思わず一歩、踏み出した。
ありがとうございましたって、伝えたかった。
そしたら……
「馬平君、このあと、もう少しいいか」
「はい」
係長はそのまま部長たちと向こうに歩いていった。
「係長……」
私はその背中を見送ることしかできなかった。
……またあとで言おう
そう思って、エレベーターに乗った……
◆第22話「見つけられなかった」、明日20時に更新します!




