表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
17/29

第17話「五月十六日、三人で」

五月の第三週の木曜日。


 「設計三課の仕事を手伝ってほしい」


お昼過ぎ、私と玲さんと馬平係長の三人が、課長室に呼ばれた。


内容はこうだった。

設計三課が設計したある中学校の施工図25枚を、明日の正午までにチェックして、間違いを修正してほしいと。


施工図というのは、設計図をもとに、実際に工事をする段階で改めて詳細に書き直した図面のことだそうだ。

設計図より圧倒的に情報量が多かった。

それを25枚、明日の正午までに。


係長は「わかりました」とだけ答えた。


しばらくするとA1サイズに出力された施工図を、大事そうに両腕で抱えた椎名さんが、設計三課から来た。


椎名さんはデスクの空いているところに、大げさに紙の束を置きながら、フロアをさらっと見渡した。

急に申し訳ない、という様子はなかった。

むしろ自分たちはこれだけ大きな案件を動かしているんだ、という雰囲気が、その仕草ににじんでた。


 「お手数おかけします。 なにぶん、うちも人手が足りなくて」


言葉は丁寧だった。


係長が私たちを見た。


 「俺が赤で修正を入れる。 二人はダブルチェックをしてくれ。 俺の修正に抜けがないかを、それぞれ確認してくれ」


 「はい」


玲さんと声が揃った。


椎名さんが、図面の束を見ながら言った。


 「25枚を三人で、明日の正午までですよ? ……正直、無理じゃないですか?」


軽い口調。

心配しているのか嫌みなのか、判断がつかない言い方だ。


 「設計三課は忙しくて手が足りなかったので、一課さんなら何とかしてくれると思いまして」


……嫌味のほうだ。


係長は椎名さんを一瞥して、図面の束に目を落とした。


 「やるぞ」


椎名さんが、ふっと笑ったけど、

何を思っての笑いなのかはわからなかった。


そして帰り際、椎名さんが私の後ろに来て、私の肩に、ぼんと手を置いた。


 「よろしくね、風宮さんっ」


爽やかな笑顔だった。


 「……ひっ」


小さな声が出た。

肩に置かれた手が、異常に熱い。

体が固まった。


びっくりしたということもあったけど、それより先に嫌だった。


その瞬間――



 「椎名!」



 ――係長が声を張った。


椎名さんが振り返ると、係長は立ち上がって、椎名さんをまっすぐ見据えていた。


 「施工図は預かった。 期限には間に合わせる」


係長の雰囲気に驚いた椎名さんは、「あ、ありがとうございます…」とだけ言って、足早に去っていった。


係長は席に座ると、一枚手に取って、赤ペンのキャップを外した。


 ………。


係長が声を張るのを、初めて聞いた気がする。

何のために声を張ったのか、係長は何も言わない。


もしかして、私のため……?


係長の声のおかげで、体の強張りが少し解けた。



気づいたら、十九時を過ぎていた。

修正に時間がかかってしまって、三人で残業をしていた。


フロアの他の人たちは、もうほとんど帰ってしまっていた。


ガサっと音がしたと思ったら、玲さんが図面の束を手に持って、係長の隣に、すっと座った。


 「係長、この部分なんですけど、ちょっと聞いてもいいですか?」


係長は目を上げて、玲さんの手元を見た。


 「どこだ」


玲さんが説明をし始めると、係長は図面を見たまま、ぽつりと言った。



 「去年より図面が理解できるようになってるな」



玲さんが止まった。

係長は図面を見たまま。


 「……ありがとう、ございます」


玲さんの声が震えていた。

係長は気づいていない。


私は自分の手元に目を戻した。

係長は去年からずっと、玲さんのことを見てきてるんだ。

そう思ったら、少し胸が苦しくなった。


しばらくして、玲さんが図面の一点を指しながら、小さな声で何か質問した。


係長は身を乗り出して、ぐっと手を伸ばした。

体が、玲さんのすぐそばに来た。


 「ここの寸法は他の図面にも影響する」


玲さんは固まっていた。

図面を見ているのか、係長を見ているのか、わからない顔で固まっていた。


 「……わかり、ました」


係長は何も気づいていない様子で、元の姿勢に戻っていった。



それから一時間ほど過ぎて、二十時近くになっていた。


係長は自分の分の修正を終えたみたいで、玲さんの様子を見ていた。


 「あと何枚だ」


 「あと9枚です……」


玲さんは少し苦しそうな声で答えた。


係長が玲さんの方に向いた。

そして玲さんの目を、じっと見た。


 「………」


玲さんが黙った。


係長の目は、玲さんから離れなかった。


 「無理をするな。 これから俺もそっちに回る」


玲さんが、小さく息を吸った。

聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、


 「……はい」


係長は玲さんから数枚、図面を引き取った。



私はそのやりとりをずっと見ていた。

目をそらすタイミングを完全に失ってた。


玲さんが私を見て、目が合った。


………。


玲さんは何も言わずに、困ったような顔で笑った。


私は笑い返すしかなかった。



21時を過ぎたころ、係長が「今日はここまでにしろ」と言った。


私は図面に付箋を貼って、ノートパソコンを閉じた。

玲さんも自分の席に戻って、荷物をまとめ始めた。


係長が立ち上がって上着を取ったとき、玲さんが係長を見た。


 「係長、今からご飯行きませんか。三人で」


三人で、と言ったのは、私への配慮だと思う。


係長は上着を羽織りながら少し間を置いて、言った。


 「今から行くところがある」


玲さんの表情が一瞬、固まったけど、でもすぐに「そうですか」と上手な笑顔を取り繕った。


 「風宮も、もう上がれ」


係長はそう言って、フロアを出ていった。


………。


係長が帰った後、エレベーターを待ちながら二人で並んでたとき、玲さんが、小さなため息をついた。


 「こんな時間から行くところって、どこだろうね」


 「……わからないですね」


玲さんが「だよね」と言って、また前を向いた。


エレベーターが来て、一緒に乗った。


 「しおりちゃんは係長のこと、どう思う?」


突然。


 「……どう、とは」


 「なんか、係長ってさ、全然わかんないじゃない。 何考えてるかも、どこ行くかも、誰と会うかも。 私のことなんて、たぶん全然、気にしてないんだよね」


玲さんは笑いながら言った。


 「そんなこと……」


 「いいんだけどね。 わかってるから」


扉が開くと、玲さんは「おつかれ〜」と言って、先に出ていった。

外の空気は冷たかった。


 係長は今どこにいるんだろ……

 今、誰と会っているんだろ……


未開封の白い封筒が、ふと頭をよぎった。



◆第18話「近い」、明日20時に更新します!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ