宇陀野洞穴
7/10 本日投稿分です。
厩戸皇子は天燈鬼、龍燈鬼を従えて、宇陀野の洞穴を進んでいる。
「厩戸よ、旧鼠の群れはそろそろ打ち止めにして欲しいものだな」
「うむ、きりがないとはこの事よ。さすがにもう飽いたわ」
天燈鬼と龍燈鬼の愚痴に厩戸は苦笑する。
ここまでに出現したのは旧鼠のみだった。
厩戸にしてみれば、このままアムリタに辿り着く方が好ましい。
旧鼠であれば、危なげなく殲滅することができるからだ。
さらに洞穴を進むと、物部の家中の者と出くわした場所へとたどり着いた。この場所で徐福の操る怪異と闘ったのだ。
洞穴の壁には牛頭馬頭の風刃による傷跡やアスラの放った炎による焦げ跡など、激戦の名残が生々しく残されている。
その奥から厩戸に向けて矢が放たれ、身代わりとなった善徳の背を貫いた。その時のことを思い出し、厩戸は唇を噛む。
「先を急ぐぞ。なんとしてもアムリタを手に入れ、善徳どのを救うのだ」
奥へと進むにつれ、洞穴内の空気は質量を増していく。
天燈鬼は鼻をひくつかせ、不快げに顔を顰めた。
「瘴気が濃くなったな。それも尋常ではない」
龍燈鬼も周囲を見回しながら低く唸り声をあげる。
周囲を見れば、岩壁には黒ずんだ筋が血管のように浮かび上がり、洞穴全体が脈打っているようにも見えた。
湿気と瘴気が交じり合い、まるで空気が色付いたように先が見通せなくなってくる。天燈鬼の術による灯火が揺らめき、岩壁に怪しげな影を映し出す。
「む。あれは何だ?」
天燈鬼が指差す方向を見ると、人影のような形がゆらゆらと蠢いている。警戒しながら近づいていくと、霧に溶けるように消えてしまった。
「幻?」
「いや、あれを見ろ!」
見ればまるで行く手を遮るように何体もの人影が霧の中で、ゆらり、ゆらりと揺らめいている。
ドン!
龍燈鬼が金棒を地面に叩きつけると霧は吹き飛び、人影も消え去った。
しばらく様子を見て再び現れる様子がないことを見極め、さらに奥へと進んでいく。
すると今度は、なにやら人の声らしきものが聞こえてきた。
女のすすり泣くような声、老人の呻き、幼子の笑い声、戦場での断末魔の叫び。いくつもの声が響き合い、心をかき乱していく。
「ええい、うっとおしい!」
天燈鬼の咆哮に、一瞬で静まりかえる。
「これもアムリタの防衛本能の為せることなのであろうか」
厩戸は注意深く周囲を見回す。
「むう。どうやら我らにこれ以上進むなといっているようだな」
「どうする、厩戸」
だが、厩戸には進む以外の選択肢はない。なんとしてもアムリタを手に入れて、善徳を救うと誓ったのだ。
「とにかく、用心しながら進もう」
さらに奥へ進もうと一歩踏み出した瞬間、眼前の岩肌が音もなく裂けた。
「うおっ」
慌てて飛び退いた厩戸たちの前で、裂け目はゆっくりと広がっていく。
その奥からは、しゅうしゅうと、荒い息を吐くような音が聞こえてくる。
「な、なんだ?」
ズシン、と腹に響く音と共に、裂け目から見上げるほどの巨体が姿を現す。
「これは!」
「夜叉王?」
かつてアスラが倒したはずの夜叉王が、憎悪と殺意を宿した血のような赤い眼で厩戸たちを睨みつけている。
額から突き出た二本の角は以前と変わらぬ威容を誇り、鋭い牙の間から漏れると息は瘴気そのものだった。
「滅していなかったのか?」
天燈鬼の叫びに、厩戸は首を振る。
「違う。アムリタだ」
「アムリタだと?」
うむ、と厩戸は頷く。
「アスラどのとの闘いをアムリタは記憶として宿していたのであろう。そして、自らを守るために、その記憶を実体に変えたのだ。死者をも蘇らせるというその力によって」
厩戸は一歩前に出る。
「だが、ここで引くわけにはいかない。いくぞ、天燈鬼、龍燈鬼!」
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