医師の矜持
6/29 本日投稿分です。
蘇我屋敷では、父である司馬達等が待っていた。
「嶋、申し訳ないがよろしく頼む。試してはみたのだが、我の術では力が足りぬのだ」
司馬達等もこの国随一の呪言師と言われるだけの実力を備えている。総合的な力で言えば、まだまだ嶋の及ぶところではない。
だが、治癒の術に限って言えば、嶋の実力は父を遥かに凌いでいた。さらに恵便導師の下での仏道の修行により、ますますその力を増している。
「父さま、お任せください。嶋が必ず善徳さまをお救いします」
案内された善徳の寝所。
寝台に横たわる善徳には幾重にも包帯が巻かれている。呼吸は浅く、顔色は蠟のように青白い。
善徳の傍らには、憔悴しきった表情の刀自古がいた。
「刀自古ちゃん、、、」
普段の闊達な刀自古との落差に心が痛む。
刀自古も嶋に気付いて振り返る。
「嶋ちゃん、兄さまが、、、」
「うん、任せて」
嶋は刀自古を元気づけるように頷くと、寝台へ近づく。
「待たれよ」
寝台の反対側に控える老人が、一歩前に出て嶋の行く手を遮った。
蘇我家に長く仕える医師である。
嶋を値踏みするように見つめ、ふん、と鼻を鳴らす。
「任せてとは、どういうことかな?」
困惑した表情の嶋。そこへ司馬達等が助け舟を出す。
「これは我が娘、嶋と申すもの。治癒の呪言を得意とします」
「呪言!」
老医師が大げさにのけぞって見せる。
「呪言術で傷を癒すと申すか」
頷く司馬達等に、老医師はやれやれと首を振る。
「傷を診るのは医師の務めよ。熱を測り、脈を取り、症状を判断して処置を行い、薬を調える。そのために我は何十年も学び、数え切れぬ命と向き合ってきたのだ」
老医師の視線が再び嶋に向かう。
「それを年端もいかぬ娘が、呪言などという得体のしれぬ術で治癒すると?」
明らかに軽蔑を含んだ老医師の言葉に司馬達等は黙り込む。
張り詰めた空気を破ったのは、刀自古だった。
「先生!」
立ち上がった刀自古が真っすぐに老医師と向き合った。
「先生がどれほど兄さまのために尽くしてくださったか、それは私も知っています。感謝もしています」
そう言って深々と頭を下げた。
「でも、兄さまは倒れたままなのです。呼吸は浅く、苦しそうで、目覚める兆しもありません」
普段は気丈な刀自古には珍しく、声が震えていた。それに気付いた嶋が、そっと手を握る。
「兄さまが回復する助けになるのなら、どんなことでも試したいのです。嶋ちゃんは刀自古の大切な友達です。信頼もしています。その嶋ちゃんが任せてと言ってくれたのです」
刀自古が再び深々と頭を下げる。嶋もまた、一緒に頭を下げた。
「どうか嶋ちゃんに、兄さまを診させてあげてください」
静まり返った善徳の寝室。
やがて、老医師が長い溜息をついた。
「我は医師だ」
ぽつりと呟く。
「助かる見込みがあるというなら、それを拒む理由はない」
ゆっくりと嶋を見る。
「娘よ」
嶋が姿勢を正した。
「失礼なことを申した。我の処置は既に終えておる。医師の為すべきことは全て為した。呪言術とやらで為せることがあるというなら、お任せしよう」
そう言うと、静かに元の席へと戻った。
「ありがとうございます」
礼を言うと、嶋は善徳に歩み寄る。
嶋の全霊を賭けた呪言術による治療が始まろうとしている。
寝室にいる全員が、固唾を飲んで見守っていた。
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