刀自古と嶋
6/28 本日投稿分です。
蘇我屋敷へと向かう道中で、嶋は池辺氷田から詳細を聞いた。
蘇我の頭領である馬子の長男、蘇我善徳が重傷を負い生死の境を彷徨っているという。嶋の呪言の力で治癒してほしいという話だった。
「蘇我善徳さまか」
父の司馬達等から名前を聞いたことがある。
蘇我家の長子で、年齢は嶋とそう変わらないはず。次代の蘇我家を継ぐに相応しい立派な男子だと聞いている。
そんな方が、なぜ生死が危ぶまれるような重傷を負ったのだろう。
だが、嶋を迎えに来た池辺氷田も事情は知らされていないようだ。
「たしか、刀自古ちゃんのお兄さま」
嶋は刀自古と面識がある。
刀自古が生まれ育った物部の屋敷から蘇我家へと居を移した頃、二人は出会った。
当時の刀自古は周囲から腫物を触るように扱われ、塞ぎがちだった。
それを案じた司馬達等が、刀自古を慰めるべく同年代の嶋を連れて蘇我屋敷を訪れた、それが最初の出会いである。
中庭に面した渡り廊下に刀自古はぽつんと座っていた。
その肩の上には雀が止まっている。ひざ元には白い毛皮、よく見ると赤い眼をした兎がもぐもぐと口を動かしている。
「か、可愛い」
思わず呟いた嶋。それに気付いた刀自古が振り返る。
目が合った。
「誰?」
くるくるとよく動く黒目がちの瞳。
意思の強さが感じられる口元。
艶のある黒髪は一つに束ねられ、腰のあたりまで流れている。
少女の面影を残しながらも、凛とした気品が感じられた。
「私は嶋といいます。あなたは刀自古さんですよね?」
そうだ、と刀自古が頷く。
「その兎、刀自古さんが飼っているの?」
「飼ってるんじゃない。この子は私の友達だから」
「友達?兎なのに?」
むっと刀自古が頬を膨らませる。
「そんなの関係ないよ。この子は私の大切な友達だよ」
「そっか。そうだよね。友達になるのに、人とか兎とか関係ないよね」
すると刀自古はうんうんと頷き、にっこりと笑って兎の首筋を撫でる。
「ねえ、私もその子と友達になれるかな?」
そう問いかけると、刀自古は驚いたように目を見開いた。
「うん、なれる。なれるよ」
そう言って嬉しそうに笑う刀自古。
嶋は、感情がそのまま現れる飾らない表情に好感を持った。蘇我と物部、両家の血を引くという複雑な生まれながら、真っすぐな、しかも愛らしいこの少女のことが、すっかり気に入ったのだ。
「その子と友達ということは、刀自古さんとも友達ね」
その日以来、二人は、刀自古ちゃん、嶋ちゃんと呼び合う友達になった。
刀自古は蘇我と物部の血を引くという複雑な生い立ちだと聞いていた。だから、実際に会うまではおしとやかで音曲や和歌を嗜む良家の姫君を想像していた。
ところが親しくなればなるほど、刀自古の特異さに驚かされることになる。
「嶋ちゃん、ちょっと見てて!」
そう言うや否や刀自古は庭へ飛び出し、大木へ一直線に駆けていく。そのまま幹を足場に枝へと飛び乗った。ちょこんと枝に座った刀自古が手を振る。
「嶋ちゃんも登る?」
「の、登りません!」
さらに驚いたのは拳法の修練だった。
嶋もよく知る池辺氷田の指導の下、汗だくになって拳を振るい、蹴りを繰り出す。
姫君らしからぬことばかりしている。
だが、考えてみれば、嶋もまた呪言と仏道を極めようという、普通の子女では絶対に為しえないことを為そうとしている。
「似たもの同士かもしれないね」
そう思うと、ますますこの変わった少女が好きになった。
「刀自古ちゃん、お兄さんのことが大好きだから、心配してるだろうな」
刀自古のためにも、必ず善徳を治癒しなければと思う嶋だった。
恵便同士のもとでの修行で、嶋の呪言の力が増していることは確かだった。
これまでだって、どんな怪我を負った人であれ治癒してきたのだ。
「大丈夫。私ならできる。いつも通りに私の呪言術で、きっと刀自古ちゃんのお兄さんを救ってみせる」
あらためて、そう強く思う嶋だった。
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