嶋
6/27 本日投稿分です。
幼い頃から、その利発さは際立っていた。
一を聞けば十を知る。
新しい呪言を一度聞けば理を理解し、二度唱えれば自在に扱える。
褒められることはあっても叱られることなど一度もなかった。
「嶋はきっと父を超える呪言師になるぞ」
将来を嘱望する父や周囲の期待も、嶋には苦にならない。その期待に応えられる自信があったからだ。
父の司馬達等から、恵便への弟子入りの話があったとき、父がそれを望んでいないことはすぐに分かった。嶋が仏道へ入れば、呪言師の道を諦めねばならない。嶋の呪言師としての才能を高く評価している父にとって、それは耐えがたいことだろう。
もちろん、娘である嶋には世間並みの幸せを掴んで欲しいという思いもあったと思う。
子を成すこともできなくなろう。そう言ったときの父の顔を思い出すと、自然に笑みがこぼれてくる。
だけど。
この話を断れば、父の蘇我家における立場は悪化することになるだろう。
渡来人の地位向上のために力を尽くす父の姿を知る嶋には、その苦労を無にするような選択肢はそもそも存在していなかった。
それにもう一つ、嶋が弟子入りを受け入れた理由がある。
仏道とは、悟りを得て衆生を救う道だという。
だとすれば、それは呪言術を通じて嶋が目指した道と同じではないか。
「呪言術の才は天から与えられた特別な才であり、決して私利私欲のために用いてはならぬ。この世を照らし、衆生を済度することのみに用いよ」
嶋は、幼い頃からそう言い聞かされてきた。
呪言とは、心の響きを形とし、精霊の力を借りて現実に干渉する力だ。それを私利私欲のために用いれば、術はたちまち毒となり、術者自身を蝕むことになる。
暗い世に光を灯し、苦しむ人々の迷いを晴らし、救いの道を示す。
それこそが呪言師の進むべき道なのだ。
だから。
呪言の道も、仏の道も、たどり着くべき場所は同じなのだと嶋は思う。
ならば、一つの道しか知らぬより、二つを知るほうが良いに決まっている。
理を知り、心を鍛え、力を磨く。
仏の道も、呪言の理もどちらも極めつくしてみせる。
嶋には、その自信があった。
その嶋の思いを恵便導師は理解してくれるだろうか。一抹の不安を抱く嶋に、恵便導師は問いかけた。
「嶋よ。お前が呪言術で求める者は何だ」
「人を守る力です」
「では、仏道で何を求める」
「人を救う心です」
迷いなく答える嶋に、恵便導師はしばらく目を閉じ、やがて穏やかに頷いた。
「ならば、その二つ、何としても両立させてみせよ」
恵便導師がまず嶋に課したのは、言葉の重さを知ることだった。
読経する。
経を暗唱するだけでは足りぬ。
一句ごとの意味を知り、なぜその言葉を用いるのかを考え尽くす。
座禅を組み、瞑想する。
心が乱れれば、言葉も乱れる。
心気を静め、揺らぎを抑えることで、発する言葉は力を持つ。
恵便導師の修行を通じて、嶋は呪言術の力が高まっていく実感を得た。
嶋の最も得意とするのは怪我を癒す治癒の呪言だ。
ある日、怪我を負った少年を治癒の呪言術で癒していると、恵便導師が静かに尋ねた。
「嶋よ、その子の痛みは癒えたか」
「はい、このように傷は塞がりました」
「では、その子の心はどうか」
見ると、少年の身体は微かに震えている。
少年の傍らに座った恵便導師が穏やかな声で語りかける。
「心配ない。もう大丈夫だ」
すると、少年の震えは止まり、表情が和らいでいく。
癒しとは何か。
癒すとはどういうことか。
その本質を知ることで、嶋の用いる治癒の呪言は、より強力なものになっていく。
恵便導師のもとでの修業は、厳しくも楽しい、充実したものだった。
そんな嶋のもとに、ある夜、池辺氷田が訪ねてきた。
突然の訪問に驚く嶋に、切迫した表情の池辺氷田が告げる。
「嶋どの、我と蘇我屋敷まで同行願いたい。あなたの力が必要なのです」
お読みいただきありがとうございます。
司馬達等の娘、嶋。
本邦での最初の尼僧となる、実在の人物です。
もう一人のヒロイン候補でもあります。
明日も1話投稿予定です。
よろしくお願いいたします。




