宇陀野
本日3話更新の2話目です。
「これは驚いた。司馬どの、司馬どの、これはどういうことであろうか」
興奮した池辺氷田の指し示す先には、見事な毛並みの黒馬に跨り、仔馬ほどもある純白の猟犬を連れた厩戸皇子の姿があった。
「ううむ。捨て皇子などと侮った己を恥じねばなるまいな。あれほどの馬は滅多に見ることはできぬ。それにあの猟犬を見よ。まわりの犬どもがみな尻尾を巻いて怯えておるわ」
薬猟の当日、蘇我屋敷では厩戸皇子が一身に注目を集めていた。
黒駒と雪丸が、その原因である。
これは失敗だったかもしれぬ。若干後悔した厩戸であるが、黒駒と雪丸からは誇らしげな波動が伝わってくる。鬼どもは、どうやらこの状況にご満悦の様子だ。
まあ、よいか。せめて少しでも目立たぬように隅の方へ移動しようとした厩戸だったが、こちらに近づいてくる蘇我馬子の姿が目に入った。
いったいこれは、どうしたことであろうか。
見事な馬に騎乗し、猟犬を連れた厩戸に、蘇我馬子は戸惑っていた。
薬猟は蘇我家の権勢を世に示し、長子である善徳をお披露目するために催した。厩戸皇子を参加させたのは、皇統に連なる皇子さえも蘇我氏の招請に応じざるを得ないことを知らしめるという意図があったからだ。
それが、どうだろう。
蓋を開けてみれば、衆目を集めているのは主役たるべき善徳ではなく、捨て皇子と陰口される厩戸なのだ。
だが、まあ、それは良い。最後にものをいうのは結果だ。
見れば厩戸は付き人の一人も連れていない。いかに立派な騎馬や猟犬を伴っていても、薬猟で活躍できようはずがあるまい。
それよりも問題は、と馬子は考える。
誰が、厩戸の騎馬と猟犬を用意したのか、ということだ。
あのような見事な騎馬や猟犬を、いくら皇統に連なるとはいえ十歳やそこらの子供が独力で用意できるはずがない。馬子ですら用意するのに苦労するであろう見事な騎馬や猟犬を厩戸に提供した者がいる。
つまり、それは厩戸に有力な後ろ盾がいるかもしれぬということだ。
たとえ捨て皇子と揶揄されていようとも、厩戸も将来の大王候補の一人であった。少しでも大王継承の可能性がある以上、よからぬ虫がつくことは蘇我家にとって好ましいことではない。
これは、本人に直接あたってみるほかあるまいな。
そう考えた馬子は、静かに佇む厩戸へ向かってゆっくりと歩を進めた。
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