怨鬼
本日投稿分です。
洞窟の奥から聞こえてくる声に男たちは動揺を隠せない。
「そ、そうは言っても厩戸さまは大王に連なる尊きお方、われら下賤の者が手にかけてよいお方ではありませぬ」
「わしは全てと言ったのだ。身分の貴賤など関係ないわ。良いから殺せ。殺し尽くせ」
声の正体を見極めようと厩戸たちは目を凝らすのだが、暗闇に閉ざされた洞窟の奥を見通すことはできない。
男たちもどうしてよいのかわからずに途方に暮れて立ち竦んでいる。
「ふん、面倒な。もうよい。わしを恨むなよ。恨むなら貴賤などというつまらぬ常識に囚われた己の愚昧を恨め」そう言い捨てると暗闇の奥から悍ましい気配が立ち上がる。
「わが鬼道の贄となれ。妖胎転化、形代変鬼!」
その瞬間、雷に打たれたかのように男たちの体が硬直した。
「な、なにを、ぐ、ぐががががが」
声にならぬ叫びを上げ、口から泡を吹きながら崩れ落ちていく。脈打つように痙攣し始め、膨張し始めた体が衣服を破って露になった。紫色の血管が至る所に浮き出た岩のような体躯、それを持て余すかのように身を捩る。ゴキゴキという異音とともに2本の角が頭皮を突き破り、大きく見開かれた眼は深紅に染まって血の涙が溢れ出し、針金のように伸びた髭を伝って流れ落ちた。
「これは、怨鬼か!」
アスラの声に応えるかのように異形の鬼が立ち上がる。
すでに人の面影は欠片も残ってはいない。
その瞳に宿るのは凶悪な殺意と破壊の意思。溢れんばかりの憎悪を込めた視線を厩戸たちに向けている。
「ど、どうすれば?」
もとはと言えば人間だ。顔を見知っていた刀自古にすれば、直ちに討伐の対象とすることには躊躇いがある。
その躊躇いが一瞬の隙となった。
鬼の一体が鋭く踏み込み、凶悪な爪を振り下ろす。
「甘いわ!」
そこに飛び込んできたのは龍燈鬼だ。手にした金棒を叩きつけ、刀自古を襲った鬼を弾き飛ばした。
「しっかりしろ、娘!」
刀自古を叱り飛ばした龍燈鬼は振り返って厩戸に向かい叫びを上げる。
「厩戸、どうするのだ!」
問われた厩戸はアスラを見る。アスラは厳しい表情で頷いた。
「鬼道の術で埋め込んだ怨鬼の卵を一気に孵化させたのだ。ああなっては最早戻ることは叶わぬ」
頷くや否や厩戸は火炎呪を唱える。
「オン・アグニャ・シャバダ・ウン」
紅蓮の炎が螺旋を描きながら一体の怨鬼を直撃する。轟、と一気に燃え上がり、断末魔の叫びを上げる暇もなく、怨鬼は白い灰と化した。
「う、厩戸さま!」
動揺する刀自古に迫る怨鬼を善徳の天断が斬り飛ばす。斬り口から紫色の血煙をまき散らしながら、もんどりうって倒れ伏す怨鬼。
「腹を括れ、刀自古!あれらはもはや人ではない!」
善徳の叱咤に頷いた刀自古はようやく闘いの構えを取る。
残った怨鬼は三体。それぞれが凶悪な叫び声を上げながら厩戸たちに猛進してくる。
対するは天燈鬼、龍燈鬼の二体の鬼。強力な結界で怨鬼の攻撃を跳ね返した。
弾き飛ばされて後退する三体の前に立ったのは、厩戸、善徳、刀自古。
まずは刀自古が先制する。取り出したのは流星錘だ。
師匠直伝の暗器を隠し持ち、怨鬼に向けて投擲する。見事に顎を打ち抜いた流星錘を引き戻すと爆速の踏み込みで懐へ飛び込み、必殺の正拳で胸郭を貫いた。
傍らで厩戸は火炎呪を唱えるべく印を結ぶ。その隙を突いて飛び込んできた怨鬼が鋭い爪を振り下ろす。
「厩戸どのには指一本触れさせはせぬ!」
善徳の神剣天断が唸りを上げて怨鬼の凶爪を弾き飛ばし、返す刀でその頭蓋を断ち割った。
と、同時に火炎呪を唱え終えた厩戸、その繰る紅蓮の炎が残る一体を焼き尽くさんと轟音と共に襲い掛かる。広範囲に拡散する炎に逃げも躱しもできない怨鬼は、為す術もなく燃やし尽くされた。
呆気なく怨鬼たちを打ち滅ぼした厩戸たちだが、その表情に安堵の色はない。怪異に変じたとはいえ、もとは人間。蘇我家の領地に侵入した罪はあるが、命を取るほどのことではないのだ。それを思えば、戦いに勝利した高揚ではなく、何とも言えぬ虚しさだけが心に残る。
倒れ伏す怨鬼や燃えつくされた灰燼、戦いの残滓の中で立ち尽くす厩戸たち。
だが、その後ろでアスラだけが洞窟の奥の漆黒の闇を睨み、凶悪な笑みを浮かべていた。
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