瘟鬼(おんき)
本日投稿分です。
司馬達等と池辺氷田がその役目を終えて帰った後、広間には厩戸皇子、善徳、刀自古に加え、それまで隠形していたアスラの姿もあった。
アスラ以外の三人の表情はいずれも暗い。
膝の上の家鳴りが心配そうに刀自古を見上げていた。
「兄さま、すぐに屋敷に戻らずとも良いのでしょうか」
刀自古の問いに善徳は大きくため息を吐く。
「司馬どのの話では、すでに一族の者が手を尽くしているとのこと。今の我らにできるのは神仏に祈ることのみだ」
「神仏だと?」
アスラが冷笑する。
「何がおかしいのです!」色を成してアスラを睨む刀自古だが、アスラは意に介さない。
「神仏が人間どもを救う?笑わせるな。奴らは永劫の時を生きる。奴らにとっては須臾の間にすぎぬ人の命など、地を這う蟻の命とさして変わらんよ」
刀自古は眉を寄せる。
「ですが、神仏に救われたという話も刀自古はたくさん聞いています!」
「ああ、そういうこともあるだろうな」アスラはあっさりと認める。
「蟻の命を気にしながら歩く者などおるまい。誰もが気にも留めずに踏みつぶしていく。だが稀に蟻の存在に気付き、その行列を跨ぐ者もいるであろう。それと同じことだ。神仏の慈悲などと貴様らがいうのは、その程度のものに過ぎぬわ」
「ではどうしろというのです!」
それには答えず、アスラは厩戸を見る。
「おい厩戸、お前から語って聞かせよ、都大路で目にしたことを」
アスラの言に、厩戸は無言のまま頷く。
善徳が顔を上げる。刀自古も厩戸に向き直った。いったい何を見たというのか。
厩戸が静かに語り始める。
時は数日前に遡る。
人間界に顕現するのは数百年ぶりというアスラに請われて都大路を散策することになった。お供は黒駒(天燈鬼)と雪丸(龍燈鬼)である。
屋敷を出ることがほとんどない厩戸皇子にとっても久方ぶりの都大路であった。
久々に訪れた都大路は異様な静けさに包まれていた。家々の戸口には病に伏す者がいることを示す印が結ばれ、その軒先には飢えた烏が群れては時折鋭い声を上げて飛び去って行く。
風が吹くたびに、消毒のために焚かれた白檀の香りが漂い、その香りの中に死の気配と生き残ろうとする人々の必死な思いが混ざり合っていた。
人通りの少ない都大路を厩戸一行は進んでいく。
垂れ込める雲と湿気を含んだ重い空気が雨を予感させる中、この憂鬱な散策を切り上げようかと思い始めたその時だった。
「厩戸よ、なんだあれは?」
天燈鬼の声に厩戸皇子は目を凝らす。
途切れ途切れの霧の向こう、一軒の古びた軒先で、何かが蹲っていた。
「ほう、これは珍しい」
アスラが印を結ぶと一陣の風が霧を払った。
青黒い肌に腐敗した黄色い目、やせ細った手足とそれにそぐわぬ突き出た腹の化け物がそこにいた。
その爛れた口からは黒い瘴気が吐き出され、家々の戸口の隙間へと入っていく。
気が付けば、都大路のそこここに、似たような姿が見える。道行く民に瘴気を吐きかけては、けたけたと笑っているのだ。
「アスラどのは、あれらを知っているのですか?」
ああ、とアスラは口を歪める。
「あれは瘟鬼、疫病を撒き散らす鬼だ」
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