散会
本日2話投稿予定の1話目です。
蘇我馬子は驚いていた。
我が息子である善徳のとっさの働きやその剣捌き。いつの間にあれほどの度胸と技量を身につけたのか。父親たる馬子にとって、その成長ぶりは喜びである以上に驚きであった。
しかし、それ以上に驚かされたのが、厩戸皇子の姿である。
突然斬りかかった穴穂部皇子に動ずる様子も見せず、まるで善徳が割って入るのを知っていたが如く泰然としていた。今も穴穂部皇子と善徳のやり取りを微笑みながら見つめるその態度には、余裕さえ窺える。
ううむ。
これは、大王の器というべきか。
我が一族も、これまで以上に縁を強め、絆を固めていかねばなるまい。
だが、今はともかくこの場を収めることが先決であろうな。
「穴穂部皇子どの」
馬子の声に振り向く穴穂部皇子の顔は、怒りで赤黒く充血していた。歯ぎしりの音が聞こえそうなほどに奥歯を噛みしめ、唇はわずかに痙攣し、周囲が凍り付くほどの殺気が放たれている。
その狂相に馬子は眉を顰めた。だが、そこは百戦錬磨の蘇我家棟梁、一瞬で温和な仮面を纏い、言葉巧みに宥めにかかる。
「我が息子善徳が出過ぎた真似をいたしましたこと、まずはお詫び申し上げまする」
深々と頭を下げる馬子に従うように、善徳も頭を下げた。
「元はといえば、厩戸皇子どのの狩られた鹿茸、いえいえ、我らにとっては十分に価値あるものなのですが、それを不十分と見做されご不満を持たれたことが事の発端でございました。その穴穂部皇子どののわれら蘇我一門へのお心遣い、まことに有難く思う次第でございます」
「ですが、厩戸皇子の狩られた鹿茸も我らにとっては大変に価値あるもの、その代わりに騎馬を頂戴するなど、まことに畏れ多いことでございます」
そこまで聞いた穴穂部皇子はようやく少し落ち着いたのか、手にした刀を鞘に収めた。それを見た馬子はさらに言葉を重ねる。
「厩戸皇子どのの申される通り、どうやらその馬は他人になつかぬ様子、それでは役には立ちませぬ。穴穂部皇子どのには、蘇我一門へのお心遣いのお礼として、この馬子が大和一の名馬を献上させていただきまする。どうかそれで、この場を収めてくださいませぬか」
そう言うと、再度深々と頭を下げた。
実力者の馬子にそこまで言われれば、穴穂部皇子も断ることはできない。
何とも言えぬ複雑な表情で頷くと、厩戸皇子を睨みつけ、ふんと鼻を鳴らして用意された席へと戻っていく。
「厩戸どの」
馬子は厩戸皇子に向き直り、声をかける。
「この度は、わが一門の薬猟に参加いただき、感謝の念に堪えませぬ。また、最後に大変ご迷惑をおかけし、お詫び申し上げる」
深々と頭を下げる馬子に、厩戸皇子は莞爾として微笑む。
「お役に立てたとあらば、何よりです。ですが、われがこの場に居ては不快に思うものもおりましょう。一足先に、退散いたします」
「おお、これは重ねてのお心遣い、有難く存じます。これ、善徳よ。厩戸どのがお帰りだ。お屋敷までお送りせぬか」
善徳は黒駒のもとに走り寄り、手綱をとった。
「では、馬子どの、失礼いたします」
沈む夕陽に照らされながら颯爽と去っていく厩戸皇子を、馬子は複雑な表情で見つめていた。
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