駒競(こまくらべ)
本日、2話投稿予定の1話目です。
「むむむむむ」
池辺氷田の顔が怒りで真っ赤に染まっていた。
「司馬どの。なんだ、あの穴穂部皇子の言い草は。もう我慢ならん。今こそ厩戸どのの鹿茸の絶大な薬効を明らかにすべき時。ともに馬子どののもとに参ろうぞ」
だが司馬達等は動く気配を見せない。
「氷田よ、ここで動くのは早計であろう。厩戸どのがどう対応するかを見定めてからでも遅くはあるまい。それに見よ、馬子どのを。本来であれば、馬子どのが事態を収拾するはず。だが、一向に動く気配を見せてはおらぬ」
見ると馬子もまた厩戸皇子の様子を窺っているようだった。
「おい、厩戸、聞いているのか」
穴穂部皇子の怒鳴り声が自分に向けられたものだとようやく気付いた厩戸皇子は、後ろ手にアスラを押さえたまま振り返った。
「貴様の貧相な鹿茸の代わりにその馬を置いて行けといっているのだ」
「この馬をですか?」
「そうだ。馬子どのの格別の心遣いで薬猟に招かれたにも関わらず、狩ったのがそのみすぼらしい鹿茸一つでは釣り合いがとれぬわ。せめてもの詫びに、その身分不相応な馬を置いて行け」
そう言い放つ穴穂部皇子であったが、それを聞く厩戸皇子にはおびえた様子はない。そのやりとりを馬子や司馬達等が興味深そうに見つめている。
「なるほど、期待に沿えなかったことについては幾重にもお詫び申し上げます。ですが、この馬を置いていっても、かえって馬子どのに迷惑をおかけすることになりましょう」
「は?それはどういう意味だ?」剣呑な表情のまま、穴穂部皇子が問う。
「この馬ですが、こう見えて気性が荒く、われ以外の者を寄せ付けませぬ。馬子どのの屋敷に置いても、無駄飯を食らうばかりで役に立つとは到底思えぬのです」
「ほう、貴様以外にこの馬を乗りこなす者がいないというのか」
厩戸は静かに頷く。それを見た穴穂部皇子は胸中で快哉を上げた。馬鹿め。この俺が駒競の名手だということを知らぬと見えるわ。
「では、この馬を乗りこなす者がいたなら黙っておいていくというのだな」
それにも黙って頷く厩戸皇子。
「ならば、われが直々に試してやろう。貴様の言が正しいのか、それともただの言い逃れに過ぎぬのか、はっきりさせてやろうではないか」
壇上から勢いよく降りた穴穂部皇子は、黒駒のもとへと歩みを進めていく。
その姿を蘇我馬子は苦々しい思いで見つめていた。穴穂部皇子の馬好みは有名である。また、乗馬の腕も確かなものであり、先日行われた宮中での駒競でもその技術は際立っていた。
厩戸の見事な騎馬を見て、どうしても自分のものにしたくなったのであろう。
途中で仲裁に入ろうかとも思ったのだが、妙に落ち着いた厩戸皇子の様子も気になった。
果たしてどういうつもりなのか。
仕方あるまい。ここはもう少し様子を見てみよう。
馬子にそう思わせる何かが、厩戸皇子にはあったのだ。
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駒競。朝廷へ献上する名馬を選定するための神事として行われてきたものです。東京の大國魂神社で開催されるくらやみ祭りで今でも行われていたりします。
2話目は18時頃投稿予定です。
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