宇陀野薬猟
本日3話投稿の1話目です。
小柄ながらも絢爛豪華な衣装を身に纏い威風堂々と壇上に立ったのは、宴の主催者である蘇我馬子である。
馬子は宴に参集した一族郎党を満足げに見渡すと、年齢を感じさせぬ張りのある声で宣言した。
「来る卯月の三日(三月三日)に、宇陀野にて壇上の10名による薬猟を執り行う」
「薬猟だと?これは司馬どのの献策か?」池辺氷田の問いに、司馬達等は小さく頷いた。
薬猟とは、朝鮮半島の高句麗でいにしえより行われている、薬効が大きいとされる鹿の角を狩る行事である。渡来人の間では一般的でも、本朝においてはあまり知られていない。
「敏達大王が流行り病で臥せっておられるのは存じておろう。薬効あらたかな鹿茸(まだ角化していない袋角)を献上してはいかがかとは確かに申し上げたのだが」
鹿茸は中国最古の薬物専門書「神農本草経」に、「漏下・悪血・寒熱・驚癇を治し、気を益し、志を強くし、歯を生じて、老いず」とあるように、古来より万能薬として用いられてきた。病に臥せる敏達大王へは、まことに時宜を得た献上物であるといえる。
それを一族の若者に狩らせることで蘇我氏の勢いを示そうというのは、馬子の独創であった。無論、次の棟梁たる長子の善徳のお披露目というたくらみもある。
「宇陀野というのも司馬どのが?鹿の角を狩るというならば若草山なのではないのか?」
「うむ。宇陀野は、古来より並々ならぬ霊威に満ちた場所なのだ。それゆえ宇陀野の芝は仙草とも呼ばれ、それを食する鹿の鹿茸には特別な薬効があるとされている」
「並々ならぬ霊威とな。それはまた恐ろしげな。そのような場所に若人を放り込んで大丈夫なのであろうか」
「霊威と言っても人に悪影響を与える類のものではない。さして問題はなかろうよ」
「おう、本朝きっての呪言師、司馬どのが言うのなら、そうなのであろうな」
呪言師。
呪言師の本領は霊的な存在や神秘的な力との交感能力にある。
超常的な不可知の存在の力の一部を借りることで、常人の及びもつかない能力を発揮するのだ。司馬達等は大陸渡来の凄腕の呪言師として名を馳せており、その能力をもって蘇我氏に重用されていた。
薬猟を行う場所について馬子から相談されたとき、真っ先に頭に浮かんだのが宇陀野の地であった。
元来、明日香は霊的な力の集積する地域である。呪言師である司馬達等にとっては、理想的な環境であるといえた。
中でも宇陀野に満ちる霊威は強烈なものだが、それは経験豊かな司馬達等をもってしても、初めて遭遇する類のものだった。
したがって、実を言えば全く問題がないというわけではない。
無難を選ぶのであれば、氷田の言うように若草山辺りのほうが適しているのであろう。
しかし。
司馬達等は蘇我馬子の並々ならぬ野心を知っている。その野心ゆえに、自ら催す薬猟にはできうる限りの権威付けを欲しているということもだ。
だからこその宇陀野だった。
古来より霊威に満ちるといわれる宇陀野こそが、蘇我氏の栄華を示す場としてふさわしい。馬子の期待に応えるために、宇陀野の地での薬猟を進言したのだ。
まあ、仕方あるまい。馬子の満足げな様子を思えば、進言しないという選択肢は無かったのだ。宇陀野という地には、確かに未知の危険があるやもしれない。
だが、それほど心配はあるまい。
何か問題が起きたとしても自らが対処できるという自信が、司馬達等にはあった。
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