殯宮(もがりのみや)
10/4 本日投稿分です。
敏達大王の遺体が安置された殯宮では、大王を弔う儀礼が行われていた。皇族や有力な豪族が、使者を悼む誄を述べていた。 正妃である炊屋姫や彦人皇子をはじめとする皇族、蘇我氏や物部氏などの有力な豪族が順番に誄を行う。
敏達大王の孫にあたる厩戸皇子も末席に座し、有力者たちの述べる誄を神妙な面持ちで聞いている。
疫病から回復した蘇我馬子も出席しており、自らの誄の順番を待っていた。
やがて、蘇我馬子の名が呼ばれ、馬子は誄を述べるために立ち上がり、前へと進む。小柄な馬子が佩刀して誄を述べるのを見た物部守屋が嘲笑する。
「あの姿を見よ。まるで矢が突き立った雀の様ではないか」
周囲に響く守屋の声は、当然、馬子にも届いている。怒りに顔を赤く染めながら、馬子は誄を述べ終えた。
次に、物部守屋が立ち上がり、誄を述べる。震えながら誄を述べる守屋を今度は馬子が挑発する。
「おお、よく震えておるわ。鈴をかければ、さぞ良い音色が響くであろうよ」
誄を終えた守屋は、肩をいからせ、馬子を睨みつけながら自席へと戻っていった。
大王の葬礼という厳粛な場に於いても、この有様である。蘇我氏と物部氏はもはや不倶戴天の敵であり、大王後継を巡っても激しい争いが予想された。周囲の参列者も緊張の面持ちで二人を見つめている。
この時点で、大王後継の候補者は四名。敏達大王の長子である彦人皇子、正妃炊屋姫の子の竹田皇子、炊屋姫の同母弟、橘皇子、それに炊屋姫の異母弟、穴穂部皇子の四名だ。
だが、竹田皇子は幼少の身であり、穴穂部皇子には人望がない。おそらく、橘皇子と竹田皇子のいずれかが後継となるだろうというのが大方の予想だった。
そんな中、炊屋姫が橘皇子を推しているという噂が朝廷内で拡散していた。蘇我馬子が意図的に流した情報である。朝廷内での炊屋姫の影響力は無視できるものではない。さらに蘇我氏がそれに賛同するとなれば、橘皇子が最有力の候補となるのは間違いなかった。この儀礼の場に於いても、炊屋姫と蘇我馬子はその親密さを隠そうともせずに談笑している。
だが、物部守屋の表情には焦りの色は見えない。隣に座した彦人皇子と何やら話し込んでいるのだ。
それを見て、蘇我馬子は眉を顰めた。
守屋は恐らく彦人皇子を擁立しようとしているのだろう。それは、あらかじめ折り込み済みだ。大王候補のうち、蘇我氏と縁戚関係にないのは彦人皇子だけなのだから、物部氏としては最初から彦人皇子以外の選択肢はない。
しかし、炊屋姫が橘皇子を推す以上、明らかに形勢はこちらに傾いている。
なのに、あの余裕の表情は何だ?
長年に亘って朝廷内での争いを繰り返す中で、馬子は守屋の力量をよくわかっていた。勝利目前で形勢逆転されたこともあれば、その逆もある。油断のならない敵手であることは、重々承知していた。
馬子の隣に座す炊屋姫も、彦人皇子の様子をじっと見つめていた。
つい先日まで敏達大王の遺体の前で青い顔をして俯いていた彦人皇子が、妙に活き活きと話し込んでいる様子が気になったのだ。これまで周囲に支える者もおらず、暗澹たる未来に震えていたはずの若者が、やけに堂々としている。
物部氏という後ろ盾を得たからと言って、こうまで変わるものだろうか。
炊屋姫も馬子も、決して楽観視していたわけではないが、橘皇子の擁立に向けての争いが、予想以上の激しいものになるだろうことを予感せずにはいられなかった。
彦人皇子を訝しげに見つめる、もう一つの視線があった。
厩戸皇子である。
(あれは、いったいなんだ?)
厩戸皇子の目には、彦人皇子に取り憑いた薄気味悪い小鬼の姿が、はっきりと映っていたのだ。
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