蘇我馬子
9/30 本日投稿分です。
炊屋姫は、蘇我氏の頭領である馬子を自らの屋敷へと招いた。
馬子は母である堅塩媛の兄弟であり、炊屋姫の伯父にあたる。その馬子と、敏達大王亡き後について相談しようというのだ。
馬子とは、かねてより親密な関係にあったが、大王後継のような重大事について、馬子がどのように考えているかは分からない。必ずしも炊屋姫に同調するとは限らないだろうと炊屋姫は考えていた。
まず実弟である橘皇子を擁立、即位させた後、竹田皇子をその後継に据えるというのが炊屋姫の構想だ。橘皇子の擁立については、馬子も異を唱えることはあるまい。橘皇子の母は蘇我氏出身であり、馬子にとっても利があるからだ。
だが、その後に竹田皇子を後継とすることまで無条件に賛同するかといえば、不安がある。その時点での朝廷内の勢力図がどうなっているかによるだろう。馬子にとって、もっと旨味のある大王候補が出現する可能性があるからだ。
炊屋姫にすれば、実子である竹田皇子を後継とすることまで認めさせなければ意味がない。
さて、どうするか。
蘇我馬子は、対面する炊屋姫に感嘆していた。
敏達大王の崩御による心労もあるはずなのに、朝廷一と謳われたその美貌に一切の陰りはない。馬子に向き合って嫣然と微笑む姿に、目を奪われる。
だが、幼い頃から炊屋姫を知る馬子は、その美貌の影に隠された棘を知っていた。決して美しいだけの姫ではないのだ。
「さて、馬子どの。ご足労いただいたのは他でもない、敏達大王の後継についてなのですが」
炊屋姫の言葉に、馬子は気を引き締める。やはりその件であろうことは、想像がついていた。
「馬子どのは、どのようにお考えか」
問われた馬子は、居住まいを正し、炊屋姫に視線を合わせる。
「なに、私などよりも御身こそお考えがあるのでは」
炊屋姫は微かに笑みを浮かべる。
「私は、橘皇子こそ後継にふさわしいと考えております」
なるほど、やはりこの姫は油断がならぬと馬子はため息を吐いた。本来であれば、我が子の竹田皇子を推したいのであろう。だが、竹田皇子はあまりに幼い。実弟の橘皇子を擁立することで、自らの影響力を保持しようという算段か。
橘皇子であれば、その母は蘇我氏の出身であり、馬子にとっても好都合ではある。敏達大王の後継選びにおいては、炊屋姫の持つ影響力は大きい。蘇我氏が炊屋姫と協力すれば、橘皇子が後継に選ばれる可能性は高い。
だが。
当然、炊屋姫にはなんらかの企みがあるはずだ。無条件で橘皇子を推すとは思えない。
馬子がそう考えていると、案の定、炊屋姫は言葉を継いだ。
「馬子どの」
炊屋姫が嫣然と微笑む。
「橘皇子が即位した後、その後継には、竹田皇子を据えたいのです」
馬子の額に皺が刻まれる。
橘皇子が即位することに異論はない。だが、その後となれば話は違ってくる。その時点での朝廷内の力関係や、状況によっては、ほかの候補を擁立することも十分あり得る。ここで炊屋姫と約定を結ぶことは、将来の選択肢を減らすことにもなる。馬子にすれば、軽々には頷けないのだ。
返事を躊躇する馬子を見て、炊屋姫は切り札を切ることにした。
「馬子どの。いや、伯父上」
炊屋姫の声が一段低くなる。
「馬子どのの娘を、竹田皇子の正室に迎えたいのです」
馬子の目が大きく見開かれた。
竹田皇子が即位し、馬子の娘が正妃となれば、馬子は大王の外戚となり、朝廷内で大きな力を得ることになるだろう。
馬子は、炊屋姫に同意することを告げる。ここに、大王位継承をめぐる炊屋姫と蘇我氏の連携が成ったのだった。
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