炊屋姫(かしきやひめ)
9/26 本日投稿分です。第2章、開始です。
敏達大王の遺体の前で、正妃である炊屋姫は物思いに耽っていた。
炊屋姫は敏達大王を愛していたし、大王もまた炊屋姫を大切に扱った。朝廷内でも屈指の美男美女と称賛されたこの夫妻は、二男五女の子宝にも恵まれ、幸福な夫婦生活を送っていたのだ。
敏達大王が病に伏した後も、炊屋姫は侍女の手を借りながら甲斐甲斐しく介抱を続けていた。だが、その甲斐もなく、ついに敏達大王は崩御なされた。
しばらくの間、炊屋姫は食事も喉を通らず、何も手につかない状態が続いていた。しかし、いま炊屋姫の頭の中を占めているのは、別のことだった。
長子の竹田皇子のことだ。
敏達大王の崩御を受けて、今後、朝廷では熾烈な後継争いが始まる。敏達大王と炊屋姫の長子である竹田皇子も、後継候補の一人といえた。だが、いかんせん幼い。
英邁と自他ともに認めていた敏達大王であっても、朝廷では苦労をしていた。有力な豪族である蘇我氏と物部氏の争いに手を焼いていたのだ。年端も行かぬ竹田皇子が大王位に就いたとしても、その激烈な争いの中で磨り潰されてしまうであろう。
だが、いずれは大王位に就いて貰いたいというのが、生母である炊屋姫の願いであった。そのためには、炊屋姫の朝廷での影響力を保持しておかなくてはならない。そして何より次の大王位には、将来の竹田皇子の即位の芽を摘むような人物を就かせるわけにはいかなかった。
炊屋姫は、青い顔をして隣に座る青年を横目で見る。
押坂彦人皇子。
敏達大王と、前の正妃だった広姫の間に生まれた皇子である。
広姫が健在であれば、炊屋姫が敏達大王の正妃となることはなかったし、この皇子がすんなりと大王位を継承しただろう。だが、広姫はすでに亡くなり、その後、正妃として迎えられた炊屋姫との間に生まれたのが竹田皇子だった。
広姫が薨去した後は、朝廷内での影響力に陰りがあるものの、有力な後継候補のひとりであることに変わりはない。
だが、彦人皇子が即位すれば、朝廷内での炊屋姫の影響力は排除され、竹田皇子の将来の大王位即位の可能性も潰えるであろう。それだけは避けねばならない。
ならば、他に候補はいるか。
実は、炊屋姫には意中の人物がいた。
橘皇子、敏達大王の異母弟であり、炊屋姫の同母弟でもある。
橘皇子は、その温厚な人柄から朝廷内での人望も厚く、姉である炊屋姫との関係も良好だった。何より、炊屋姫の朝廷での影響力を保持できるし、竹田皇子の大王継承の可能性も残る。いや、何としても説き伏せて竹田皇子を次の大王に即位させてみせる。炊屋姫には、その自信があった。
橘皇子と炊屋姫の母は、堅塩媛、今をときめく蘇我馬子の妹であった。橘皇子を敏達大王の後継にするにあたっては、蘇我氏の支援も受けられるであろう。
(そう言えば)
炊屋姫は、もう一人の大王候補が頭に浮かんだ。
穴穂部皇子。
この皇子も敏達大王の異母弟であり、母は蘇我系の小姉君。血統だけ見れば、大王候補の一人といえるだろう。
(いや)
炊屋姫は、頭を振る。
あれは、駄目だ。
英邁といわれた敏達王と同じ血を引くとはとても思えない。権力者には媚びへつらい、下の者には威張り散らす。朝廷内での評判も最悪ときている
いつだったか、何かの折の宴席で嘗め回すように見られたことを思い出し、炊屋姫は身震いした。
まあ、穴穂部皇子を推す酔狂な豪族はいないだろうから、問題はないだろう。やはり、橘皇子を後継とするのが良い。早速、伯父の蘇我馬子に相談を持ち掛けよう。
炊屋姫は、もう一度、隣の彦人皇子を見ると、言葉をかけることもなくその場を離れたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
まずは、お詫びを。
再開予定から、1か月以上遅れての再開です。大変申し訳ありません。
さて、登場した炊屋姫ですが、後の推古天皇となる女傑です。この章では、重要な役割を果たすことになります。
しばらくは、1日1話を目標に投稿していこうと思いますので、よろしくお付き合いのほどお願いいたします。
また、本編の外伝「飛鳥異聞外伝~刀自古伝」、完結いたしましたので、併せてよろしくお願いいたします。
刀自古伝はコチラ→https://ncode.syosetu.com/n7291mp/




