薬猟
本日3話更新の2話目です。
「いざ、若人よ。勇気と知恵を示すときは今。その技と誇りをもって己の価値を示せ!」
朝霧がたなびき静寂に包まれた宇陀野の原に、馬子の声が響く。
「応!」
馬はいななき矢筒が揺れ、若人たちの瞳が鋭く光る。
静寂は熱気へと一気に塗り替えられた。
薬猟の始まりである。
薬猟は、古来より高句麗王室が旧暦3月3日に行う、楽浪の丘で鹿を狩る行事を源流とする。
春に角が抜け落ちた後に生える幼角は、その成長の早さから茸に喩えられ、鹿茸と呼ばれている。まだ角化していない、柔らかな毛におおわれた鹿茸は、強壮、強精薬として重宝され、足腰の弱りや体力の衰えなどに効能を持つとされる。
蘇我氏の主催する薬猟は、2日にわたって行われる。早朝から夜まで鹿茸を狩り、宇陀野の原での一泊の野宿を経て、翌日の夕刻にそれぞれの猟果を手に蘇我屋敷に集合することになっていた。
「司馬殿よ」池辺氷田が、なにやら言いたげな様子で出陣する若人たちを見つめている。
「あの者たちは、今宵、野宿すると聞くが」
「ああ、そうだな。従者どもの担ぐ荷は、そのための用意であろうな」
「うむ。だが、付き人のおらぬ方もいるではないか。夜ともなれば、まだ肌寒い季節、あれでは辛かろう」
なるほど、と司馬達等は得心した。気の良いこの漢は、厩戸皇子のことを心配しているのだ。
「のう、司馬どのよ、われが厩戸どののお付きとして参加できぬか、馬子殿にお願いしてみようと思うのだが」
池辺氷田という漢は気が良いうえにやさしさも持ち合わせている。だから、こういったことにも気が回るのだ。だが、政事のことまでには頭が回らない。
気は回るが頭が回らない。それがこの漢の美点でもあり欠点でもある。
「それは、やめておけ」
「なぜじゃ。不憫ではないか。おおそうじゃ、お一人だけ従者がおらぬというのは不公平でもあるぞ」
「先ほど、馬子どのが厩戸どののもとまで赴いて、なにやら話をされておった」
「それが何じゃ」
「あれはな、確かめに行ったのだ。考えても見よ。捨て皇子と揶揄された厩戸どのが、目を見張るような立派な騎馬と猟犬を伴って現れたのだ。どこぞの有力な勢力が後ろ盾についたと疑ったのであろうよ」
「うむ、そう言われれば確かに」
「そこにお主が厩戸どのに助力したいなどと申し出てみよ。猜疑心の強い馬子どののこと、我ら渡来人が後ろ盾ではないかと、痛くもない腹を探られかねぬわ」
「ぬう、そうであろうか」
それにしても、どのようにしてあの見事な騎馬と猟犬を用意したのであろうか。
「まことに興味深い皇子であることよ」
納得しかねる表情の氷田の隣で、司馬達等は出陣する厩戸皇子の後姿を見つめていた。
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