化け物
すみません、一話漏れていたので「瞬殺」が追加されています(;'∀')
未読の場合はそちらをご覧ください。
夜、リリベルの工房は静かだった。
ランプの明かりだけが灯る中、リリベルは一人ソファに深く腰をかける。
組んだ足の先が、苛立たしげに揺れている。
「……」
取り込むとしたところで、明確な何かが思いついているわけでもなかった。
ノア・アクライト。彼の本当のところの実力を、完全に測り違えていた。
ただの調子に乗った一年生……誰もがそう考えていたが、少なくとも昼間あの闘技場に居た生徒たちで、あれを見た後でもそう言える人間は少ないだろう。
キルシェはこの学院の二年でも上位の実力者だった。テトラルクスの選抜に選ばれたほどの。
それを一瞬で。しかも――無傷で。
キルシェはプライドをへし折られ、平民たちの士気はむしろ向上してしまった。
(別の手が必要ね……)
リリベルが思考を巡らせていたその時。
工房の空気が、変わった。
明かりが揺れ、影が揺らぐ。
ランプの火が消えたわけではない。
ひゅぅと冷たい風が吹き抜け、空間の在り方が変わる。
――彼女が来たのだ。
「考えているようね、リリベル。可愛いリリベル」
鼓膜を震わすように、彼女の声がささやかれる。
だが、姿はない。
どこから聞こえたのかわからない。背後でも正面でもなく、空間そのものから滲み出てくるような声。
しかしリリベルは動じない。この気配には、慣れていた。
「――エスメラルダ」
呼びかけると、目の前には霧のような靄が沸き上がる。
そこに、ふっと黒い人影が浮かぶ。
表情は読めない。姿もわからない。だが、確かにそこに《《居る》》。
「……キルシェが負けたわ」
「見ていたわ」
「ノア・アクライト……想定よりずっと強い。正面から潰すのは難しいかもしれないわ」
「そうね」
「…………」
彼女は、リリベルが幼い頃にアナーシア家に接触してきた魔女だった。
そして、リリベルこの学院に入学したことをきっかけに、二人の協力関係が始まった。
彼女はこの学院という機構そのものに興味を持っており、そこで絶大な権力を持つリリベルはとても都合がよかったのだ。
その権力も、エスメラルダからの支援の力があったからこそでもあった。
その見返りとして、リリベルはエスメラルダへ学院の情報を提供したり、エスメラルダから学院への要望を、リリベルを通して実行させることで、この学院への関与を可能とさせていた。
――だが、その目的をしっかりと把握しているわけではなかった。
それでも、彼女との協力関係が有効である以上、使わない手はなかった。
いつか飲み込まれるかもしれないと分かっていても。
エスメラルダは静かに言う。
「いい情報があるわ。特別よ、聞きたい?」
「もったいぶらないで頂戴、エスメラルダ。言いたくて出てきたんでしょう?」
「ふふ、その通り。いい、この情報は切り札になりえる。下手に使わないように」
「……あなたがそこまで言う情報なの? 一体どんな?」
「――あの少年が何者か」
リリベルの目が細くなる。
「……聞かせてもらいましょうか」
ええ、ええ、とエスメラルダは満足そうに甲高い声を上げる。
空気がサーッと冷え、気配がリリベルの背後に回る。
「あの少年……ノアとは――」
「――冒険者、"雷帝"ヴァンよ」
「ッ!?」
リリベルは思わず目を見開き、息が止まる。
その言葉を理解し、言葉を出すのに数秒かかった。
「……雷帝って……あのSS級冒険者の!?」
にわかには信じられない情報だった。
SS級の冒険者。
まさに伝説となっている人物だった。
彼の活動期間は短かったが、通常の冒険者の数倍以上の功績を残し、瞬く間にSS級へと駆け上がった、史上最強の冒険者。
この国で少しでも魔物と関わりのある人間で、彼の名を知らないものは存在しない。あの六賢者にもファンがいるという。
「ええ。まず間違いない情報よ」
「…………」
だとすると合点はいく。
公爵家令嬢とのつながり、A級冒険者であるクラリス・ラザフォードが従っている理由。
そして、キルシェを瞬殺したあの魔術の実力。
その情報が本当であれば、あまりにも当然の結果だ。
「彼にはクリスティーナが倒された」
「あなた達円卓の魔女のメンバーだったかしら」
「ええ。彼は侮ってはいけない。単純な策で飲み込もうとしても、それを正面からねじ伏せる力がある」
「…………」
化け物――。
そう評したことが、ここまで的を射ていたとは、リリベルも驚かずにはいられなかった。
工房が静まりかえる。
リリベルはしばらく黙っていた。
やがて、口角がわずかに上がる。
「……なるほど。確かにとんでもない情報ね。……けど、使えるわね」
エスメラルダは何も言わない。
ただそこに立って、リリベルを見ている。
その目が何を考えているか、リリベルには読めない。
しかしリリベルは気にしなかった。
(この情報をタダで渡すほどエスメラルダは私を信頼していない。何か思惑がある。……けど、私はこの情報を使うわ。あなたの思惑がどうあれね)
まず直接接触して、取り込めるか試す。
それがだめなら……。
リリベルは立ち上がり、窓の外を見る。
「まずは、直接話してみるわ」
「ふふ、好きにしなさい」
エスメラルダの気配が、薄れていく。
冷気が消え、元の工房の空気が戻ってくる。
リリベルは一人になった工房で、冷たく笑った。




