雲の上に立つ者(4)
「姫様は、どんな物語をお好きかな」
「あまり読んだことがございません。学術書を食べて育ちました。勉強をしないと、異世界の技術も理解できないからと――将軍や宮廷の皆がそうしろと言うから」
大人びて理知的な物言いは好ましいが、棘を隠せていないのは気にかかる。
そこまで隠さねばならんこととは思えないが、意図的に徹底的に『物語』を遠ざけられている。提供する側からすれば由々しき事態であった。
「つまらない姫だとお思いでしょうね? 大人に言われるがままの卑屈な子どもだと」
んーっと声を出して背伸びをし、翼を広げてバルコニーを蹴る。
月光の中で滞空する少女の表情は、夜風に吹かれる金髪で隠れて読み取れない。
「読んでみたいとは思うのですよ。心躍る冒険、見たこともない景色。おいしそうな食べ物。行ったこともない国の、昔のお話も。ああ……なんて素敵なんでしょう!」
物語に飢えている分を想像力でカバーするような、そんな日常なのだろう。
「世の中には物語が溢れています。私は世界を放浪する身ですが、物語の全てを記憶するなどはとてもではない。国の数だけ、人の数だけ、物語はあるのです」
熱くなるまいといつも自戒するが、どうにも上手く行かない。開き直ってしまっても、愛しい妻の目が釣り上るようなことはないように思えた。
「この土地。この空中都市ならば、どんな物語ができるかしら」
「そうですな、例えば……」
『物置』から本を取り出し、「二百四年の歴史の中に忘れ去られてしまった『勇者』の物語など、如何です?」気障ったらしく手渡した。
「読む時間がない――なんて言ってる場合じゃなさそうですね。カバーを学術書のに偽装してでも読ませていただくわ」
自ら籠に閉じこもっていられるほど、大人しい姫ではなさそうだった。「お名前を伺ってもよろしいかしら」
「スゴロクと。私も御名を賜りたい」
「マティルダです。お見知り置きくださいね、スゴロクさん」
「なんと!」
「はい?」
「いえ……。では今宵は失礼をば」
末娘と同じ名だと口に出しそうになって、龍の羽音でごまかした。
2016年 02月08日 15時52分 公開
2016年 02月08日 16時06分 誤字修正




