魔王と勇者と(1)
東国の辺境には、未だ人の手が追いついていない原野がいくつかある。
そういう場所は大抵土着の魔族――半獣族や魔蟲族のテリトリーであり、実際きっちりとした国家も樹立されているのだが、一か所だけ未開拓の大原野が残されていた。
『東ノ都』の摂政であった名伏朧庵が彼ら魔族の動きを恐れ、重税を課し続けたことが遠因であった。
さて、スゴロクが呼び出されたのは、その大原野の荒れ果てたど真ん中だ。
「いい夜だ」誰にともなく呟いて、荒れ地を歩く。
秋風が一陣、びょうと吹き抜けた――実にいい夜である。すべての魔族に優しく光る二番目の月が、天空に鎮座して輝いている。ギリギリ間に合った。
仄明るい灰色の夜空はしかし、純粋な人間族には不自由だと聞く。魔族の月の満ちる夜は、人間界の不夜城の如き街並みからでさえ、まろび出る人影はない。
もっとも、かの勇者にそんなことが関係あるかと言えば、「こんばんわ、スゴロクさん」残念ながらこれっぽっちもない。
鮮やかな金髪はさやけき秋の夜風にわずか揺られ、魔法のコートやロングスカートから覗く肌は抜けるように白い。子どもらしく筋肉の量は少ないが、小さな全身からは莫大な魔力が放出されている。
魔族がその優位性を遺憾なく発揮する第二の月や、魔物を生み出すとされる第四の月のもとでも闊達に動き、戦い、冒険を楽しめるはずだ。
魔王スゴロクが出会った数少ない勇者たちの中で、おそらく最も才気と力に溢れ、美しい少女である。龍族や魔族の因子が系譜に絡んでいると言われても納得してしまう。というか、その可能性の方が強いような気さえする。まあ、こんなこともまた、目の前の幼い勇者には何の関わりもないことなのであるが……。
今晩はシオン殿。良い夜だ」
「そうかな? 少し暗い気がするけど……」
そうかもなと低く笑い、魔王は漠と広がる大平原をまた歩き始める。「あ、ちょっと待って」
これ、と手渡してきたのは、いつぞやの小型記録装置だった。
「マッピングしてくれたのか。助かる、余にとっては少々面倒な場所でな、霧の森という所は」
「そうなんだ……スゴロクさんって、変わってるね」
「ああ。とても変わっている、と思うぞ」
『霧の森』は、『勇者』の試験をパスした才気ある冒険者が必ず挑まねばならない場所である。花の因子を持った美しく強い魔族たちや、功成って転生を果たしたかつての英雄が立ちふさがる修練の場であり、同時に試練の場でもある。
魔界の王がその力を高め、受け継がれえて来た力を継承するための『闇の森』と対をなす存在として、魔界に住む者たちの間でも有名だ。
『魔王』としての純粋な野心を放棄することで『世界』の制約からある程度自由になった魔王スゴロクでさえ、試練の迷宮に侵入する事だけは出来なかった。
「余は、勇者となることができない。それだけができない。だから貴公のような人物がとても眩しく見える」
「そっか……でも『勇者』みたいなことはしてるよね。冒険者との区切りが見えないくらい」
「……むぅ?」
「だって……『勇者』は困ってる人を無償で助けるんだろ。見返りを求めず誰かのために戦える人で、自分に何があっても立ち向かっていける人。結果的に、自分のために生きることで、人から必要とされて――愛される」
中央大陸から東国に至る道の途中で、ある剣闘士に出会ったのだという。
「ジェシー君か……」
「彼とニーナさんの噂で持ちきりだったんだよー?」
賢王アルフレッド主催の武術会で無名の戦士が優勝を勝ち取った武勇伝は、いろいろ尾ひれがついて広まったらしい。
「この大陸に来てからだってそうだ。あんなんでも一応『魔王』だぜ? 戦わずにやっつけちゃうんだもんな……信じられないよ僕かぁ」
賞賛とも呆れともつかない口調で、アンヴィシオンは肩をすくめる。
2015年 12月28日 11時43分 公開
2015年 12月29日 10時11分 誤字修正




