秘密の小夜曲(1)
それから二週間あまりが経った。
人間界の冒険者たちがてんやわんやで準備に追われていること、ようやく行動を始めようとする人物が二人いた。
中央大陸に店を構えたダイス社一号店から程近い山に、今日はその身を置いている。
即金で購入した、シェリー=シュヴェアートの瀟洒な別荘であった。
「さて、ロデル。まだ『魔王軍』と名乗っている手前、あまり大々的に祝うというわけにもいきませんが……。『勇者』の資格取得、おめでとう」
「ありがとうございます、シェリーさま」
「どうでしたか、『勇者』の試練は? 楽勝だったでしょう」
「いえ、決してそのようなことは……」
正面きってほめられると、凛とした態度もなりを潜めてしまった。顔を赤らめてもじもじと恐縮しきりである。
一方のシェリーは私室のセラーから酒を取り出す。羽毛が落ちるような足音をさせてテーブルに就き、二人分のグラスに魔界の三百年物を惜しげもなく注いだ。
ととと、とん。
丁寧に手入れした爪で卓を叩く。広い部屋の片隅に設えられた瀟洒なオルガンが静かな調べを奏で始める。
彼女の一族に古くより伝わる旋律である。古代の言葉の勉強に欠かせないらしい。
美しい龍人は、弾いてあげたいけどそうすると飲めないのよねぇ、などとうそぶいて杯を掲げた。
すっと合わせて美味しそうに飲み干すのを眺める。良人に似て来たのか、飲みぶりは豪快にすら見えた。
「あまりゆるりと話す時間もありませんでしたね。申し訳ない」
魔王よりも城を空けることの多いこの龍人が間隙を縫って特訓に付き合ってくれたことは、ロデルにとって大きな喜びであった。
受験の算段から逸れに向けた鍛錬まで、忙しい魔王に代わって面倒を引き受けてくれたのは誰あろう、尊敬する姉貴分だ。
「私も力を腐らせることなく奮えて楽しかった。こちらこそ御礼を言わねば」
異母兄に手ほどきを受けた『魔王』の魔法と、『勇者』の剣技、その二つこそがシェリーの強さの秘密だったのだ。
そう本人から明かされても、ロデルは驚かなかった。本気で戦ったらスゴロクでも危ういと聞いたことがあるくらいだ。
ただただ強いあこがれを抱くその人に、もっと教えてとせがんでみた。
「そうね……。私はあなたほど深く考えたことは無いけれど。どちらも、種族の代表だからね。今は職業になってるけど、相当に重い称号だったのも事実だわ」
「試験官の人も言ってた」
「じゃ、その繰り返しになっちゃうな――まぁいいか。その二つは、言ってみれば『世界』から下賜された役割な訳でしょう?
『勇者』と『魔王』は宿敵であり、互いの壁である。善悪という属性は相対的に入れ替わることがあるにしても」
今度は理解できる。頷く。
「私はその役割をどちらも負っていない。無責任なことですが、何よりも自由が欲しかった。この手で統べる民を持たず、この手を頼る者も持たない――それだけなのよ」
「はい!? どどどどういうことですかわかりません!」
「自分の意志だけで称号を求めることができた時代が、少しの間だけあったのよ。兄上は引き篭もってたから知らなかったみたいだけど、私はちゃっかり取りに行ったわけだ」
ぺろりと舌など出して見せるが、故意に出し抜いたわけではないだろう。仲のいいきょうだいだ、張り合うようなことはしない。ロデルがそれを一番よく知っている。
「そうね。少しだけ、兄上より優れた自分でありたい気持ちがあったんだと思う。実際、すごくビックリしてたわ。『まぁしょうがねぇや』とか言ってたっけ」
くすくすと笑って酒に口をつける。
「大丈夫ですか」
「シラフじゃとても言えないわ。きちんと責任を以って『魔王』になった兄上を尊敬しているだなんて。かわいくて生意気な妹で通してきたからかしらね」
二人で静かに笑う時間が、たまらなく愛おしい。
ねえさまはどう思っているだろう、とロデルは考える。兄たる魔王への気持ちは聞けた。なら……聞いてしまってもいいような気がした。
「ねえ? シェリーねえさま」
「うん?」
すごく恥ずかしいけど、この人になら何でも話せそうだ。
全部全部、話してしまおう。ずっと言いたかった気持ちも、きっと聞いてもらえる。
ちょっと考えるフリをしながら、猫娘は窓の外に目を向けた。冬空にある三番目の月の清浄な光が、静謐な山の夜を照らしている。
「あの……、あのねっ……」
2016年 03月28日 14時03分 公開
2016年 03月29日 14時29分 誤字修正




