本の迷宮(2)
「まこと、有り難きことである。順調さをおそれるなということか」
果報者のぼやきを口にしたスゴロクは、洋々と『扉』をくぐる。簡潔に飾られた城の大広間から一転、だだ広い床敷きの建物にたどり着いた。
自国の図書館にもなかった希少な蔵書がずらりと並ぶのを目にすると、さしもの彼も固唾を飲んでしまう。
ちらと背表紙を見ただけでも知識欲を刺激される――「帰れなくなるぜ」という賢王の言葉が実感された。
戻ったら社員の中から暇そうな魔導師を探そうと誓い、視線を下げて歩くことにした。
意志があるかのごとく感じられる本の迷宮を足早に探索し、最奥へ続くであろうドアを発見した。
慎重にノックすると丸い声が返事をした。音もなくドアが開いて姿が現れる。
「お久しぶりですね、冒険者――いいえ、『慧眼の魔王』スゴロク殿」
娘は仕事机に片手を添え、悠然と微笑んでいる。何本にも分けて束ねた金髪を複雑な形に結い上げ、それを美しいリボンでまとめ上げている。
「無沙汰を許されよ、シュエット殿」
気にしないでほしいというようなことを言い、娘は椅子を勧めてきた。ふかふかの座面に腰かけると、「さて、今回はどんなご用向きかしら」笑みを崩さず問いを発した。
「書を一冊、お貸し願いたい」
本の迷宮に足を踏み入れるに至った経緯をかいつまんで説明すると、『魔人』の存在に随分驚いたようだ。
「そうですか……彼らが」
「お知合いですかな」
「いいえ。私にも、魔人の因子があるようでして。『親』と呼んで差し支えぬ種族だと考えています」
「ふむ? それにしては少々判然としないようですが」
「ああ……私はどうやら作られた存在らしいのですよ。気づいておられるでしょう?」
妙な感じはしたのだ。見かけは人間そのものなのに、放たれる力に様々な要素がある。龍族、獣族を始めとする亞人族、加えて魔人……そして、『魔王』。
同じ『魔王』を前にした時の血の騒ぎを、わずかに感じた。彼女もそれは同じようで、
「案外と、『魔王』とは喧嘩っ早いのですね」
「そのようですな……いやはや、お恥ずかしい」
「アルフレッド様にお伺いした通りだわ。ひょうきんな方、スゴロク殿」
口許に手を当てて一頻り笑うと、「さて……本業に戻らねば」
磨かれた机に指で魔法文字を描き、魔法でこさえたらしい『真球』を浮き上がらせた。
「全く別の世界には、いま少しハイカラな装置があるそうなのですけれど」
「『コンピュータ』というヤツでしたかな。最近、北大陸で回収と補修に成功したと聞きます。私などは扱えそうにあませんが」
「そうそう、それです。いやー、異世界って不思議ですね」
他愛ない雑談に興じながら、娘は真球に目を走らせる。「……はぁ……」ややあって憂鬱なため息をついた。
訪ねると、自分の蔵書にしかなさそうだという。なぜ厭そうにしているのだろうか。
「開かないんですよ本棚が」
「……は?」
「一番古い記憶のある時期から傍にあった本棚で大好きなデザインなんですけど、どうやっても開かないんです。中身見れてないのよねぇ」
最も厳重に保管されるべき本が詰まっているのだろうと推測して何度も挑戦し、訪れる客にも試してもらったらしいのだが。
「ふむ。その挑戦者の中に魔王や勇者は居ましたかな」
「そういえば、客人に魔王はあまりいませんでしたね。ひとつやってみていただきましょうか」
すぐにデデンと呼び出された箱を前に、スゴロクは腰を上げた。
ロケットとダテ眼鏡を外し、ためつすがめつ観察し、「よろしい」余裕の笑みを見せる。
『王の力』を開放し、魔法で厳重に保護された本棚に触れる。記憶にある封印の仕方だった。「……開いた」
「うっわーい! やったああああああ! ありがとうございます!」
見せて見せてとはしゃぐのに、
「どうやら一筋縄では行かぬようですぞ」
がらんどうの中にひとつだけ置かれていた鍵を渡すと、音もなく壁が動いて扉が現れたではないか。
「そ、そんなぁぁぁ……」
重厚な黒檀の扉が、更なる本の迷宮の存在を主張している。
2016年 03月23日 13時45分 公開




