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彼女を振っても刺されない方法って、ある?  作者: 柊弐男
第三章 委員長と一ノ瀬んちへ
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EP.09 その日、彼はついに支配される恐怖を思い出した

 腹の奥から突き上げる激痛に、息ができなかった。

 口の中では、温かいものが蠢いている。吸われ、舐められ……

 息もできないほど深いキスだった。

 意識まで溶かされそうになりながら、快感と苦痛が同時に押し寄せてくる。


「ヒロ……ヒロヒロヒロヒロヒロヒロ♥」

「……!」


 彼女はうっとりとした目で俺を見つめ、俺の血をごくり、ごくりと飲み下した。

 息を吸おうとすると、また唇を塞がれる。

 体を押しつけられ、腹の痛みがさらに強くなった。


 死ぬ。

 死んじまう。

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ──!


「ん、ぐちゅ……!」


 舌の絡み合う音が、頭の中に響き渡る。

 彼女は俺の腹に刃を埋めながら、その口で命を吸い上げていた。

 まるでサキュバスだ。

 妖しく、危険で。一滴も残さず、俺を喰らい尽くそうとしている。


「────」


 頭が溶けそうだ。

 視界が少しずつ暗くなる。


 死を目前にした俺の世界は、彼女で埋め尽くされていた。

 その声を聞き、唾液を味わい、香りを嗅ぎ、顔を見つめ、体温を感じながら──



 最後に、死(・)。



 /////////



「ぷはっ──!」


 俺はベッドから跳ね起きた。目を見開き、荒い息を繰り返す。

 まだ生きているなんて、信じられなかった。

 指を動かし、腹を触ってみる。どこにも異常はない。

 ただの夢だったのか……?


 そんな甘い考えを否定するように、頭上から女の声が降ってきた。


「あら、どうやら本当に全部思い出したみたいだね、広志さん」

「……?」

「どう? 自分の彼女に殺された感想は?」

「お前……ルビー?」

「この使者様以外に誰がいるのよ。もう、広志さん、寝ぼけてるの? だっさーい」


 ルビーに呆れた目を向けられながら、俺は頭を掻いた。

 ようやく、すべてが繋がった。


 そうだ。俺(・)は(・)も(・)う(・)、一(・)度(・)死(・)ん(・)で(・)い(・)る(・)。


 あの夜、俺は霞を深夜の公園に呼び出した。誰にも邪魔されない場所で、真剣に話し合うつもりだった。

 なのに、そこは話し合いの場にはならず、俺の墓場になった。

 霞に刃物で腹を刺され、俺は死んだのだ。


「うっ……!」


 思い出した途端、吐き気が込み上げ、胃がひっくり返りそうになった。


 おいおいおいおい、マジかよ、くそが!

 大学を卒業したばっかりの俺が、あんな痴情のもつれで殺されたっていうのか……?


 そのあとはどうなった? 親父は何て言ってた?

 美杏は? 俺の周りのやつらは、どうなったんだ?

 疑問が次々と湧いてくる。

 だけど、それを知りたい気持ちよりも、今と未来のあまりの違いに受けた衝撃のほうが、ずっと大きかった。


「俺を刺したやつ……本当に霞なのか?」


 五年後のあいつと、今のあいつを比べてみる。まるで、知らない女だった。

 いや、体つきや顔立ちだけなら、確かに俺の知っている霞だ。

 だけど、あの恍惚とした姿。あの狂気。あの病的な様子……まるで別人じゃないか。


「あなたを殺したのは、間違いなく、正真正銘、あなたの彼女──霞さんですよ」

「……!」

「それと、一つ勘違いしてるみたいだね、広志さん」


 ルビーはさらりと言った。


「あの子が持ってたの、ナイフじゃなくて、ドライバーだよ」

「…………は?」


 ドライバー? 聞き間違いか?


「待てよ。俺、ナイフで刺し殺されたんじゃないのか?」

「違うよ。人類のお役立ち道具──ドライバーで刺し殺されたの」

「…………」

「ほら、こうやって『ぶすっ』と刺して、それから『ぐちゅぐちゅ~』って回して。まるで、マドラーでコーヒーの砂糖を溶かしてるみたいだったね」


 あ、あの腹の中をかき回されるような痛みは、そういうことだったのか?

 くそ。なんであんなひどいことできんだよ?

 俺の内臓をかき回しながらキスをしたり、吐き出した血まで全部飲んだりするなんて──


 怖い。

 マジで怖すぎる!


「ル、ルビー……」

「あら? あらあら? どうしたの、広志さん? そんな情けない顔して」

「頼む……頼むから、助けてくれ……」

「あはは。今になって、この使者様を頼る気になったんだね~。昨日まであんなに偉そうにしてたのは、誰だったかな? ん? ん?」


 ルビーは得意げに胸を張り、ふんぞり返った。もっと誠意を見せろ、とでも言いたげだ。

 俺は何も言わず、ベッドの上で土下座した。


 尊厳? そんなもん、今はクソみたいなもんだ!


「すみませんでした、ルビー様……」

「美少女ってつけて」

「すみませんでした、美少女天使候補生ルビー。昨日はあんな無礼な態度を取るべきじゃありませんでした」

「うんうん。その肩書き、いいね。気に入った」

「罵ってすみませんでした。生意気なことを言ってすみませんでした。便器の汚れ扱いしてすみませんでした……」

「誰が便器の汚れだよ、こら────!」


 ルビーは怒りで顔を真っ赤にした。


 ……あれ?

 俺、謝ってるんだよな? なんか余計に怒らせてねえ?


「とにかく、今までのことは水に流そうぜ!」

「勝手に仲直りしたことにしないでくれる、広志さん?」

「まあまあ、そんな水くさいこと言うなって。どのみち、俺たちは一蓮托生だろ。俺が霞とうまく別れられなきゃ、お前だって正式な天使になれないんじゃないのか?」

「まあ、そうだけど……」

「よろしくな、ルビー」


 俺はそう言って、何もない空間へ手を差し出した。

 この頼れる使者と、これまでのことは水に流して、手を取り合いたかった。


「……しょうがないなあ。よろしくね、広志さん」


 ルビーもため息をつき、白い手を差し出した──



 すかっ。



 握手はできず、互いの手がすり抜けた。ハイタッチに似た動きになった。

 たとえ触れられなくても、互いの姿は見える。声だって聞こえる──

 だったら、信じ合えない理由にはならない。


「……そうだ、ルビー」

「何?」


 俺はベッドから下り、部屋のドアへ向かいながら、後ろに声をかけた。


「神様に言われて俺を助けに来たんだろ? でも、具体的に何ができるんだ?」

「ん?」

「ほら、お前、人間界のものには触れないじゃん。魔法とか呪術とか、そういうので助けてくれるのか?」

「やだなあ。魔法だの呪術だの、広志さん、アニメの見すぎだよ」

「なるほど。候補生だから、まだ術は使えないのか……」


 歯を磨きながら、俺は勝手に納得した。

 傍から見たら、エア友達と話している、ぼっちの高校生にしか見えないんだろうな。

 幸い、親父はまだ会社から帰ってきていないし、美杏も部屋でぐっすり眠っている。

 だから、この悲しい光景を目撃するやつはいなかった。


「候補生だけじゃないよ。正式な天使になっても、術なんて使えないから」

「ん? そうなのか?」

「天使をすごいものだと思いすぎ。『神の使い』っていっても、仕事は単純なんだよ。話を聞いて、助言するってこと!」

「話を聞いて、助言?」

「たとえば、どのおみくじを引かせるかを決めたり、夢を通して人間にメッセージを伝えたり、霊感のある人を通して助言を伝えたり……どの場合も、人間界に直接手を出すわけじゃないの。助けを求める人に、『助言』という形で手を貸すんだよ」

「……」


 つまり、おみくじを選んでるのも天使で、夢のお告げをしてるのも天使。

 じゃあ、神が降りてきたっていう霊媒師に取り憑いてるのも、実は神じゃなくて天使なのか?


「なんか、神様は一日中遊んでて、仕事してるのはお前ら天使ばっかりな気がするんだけど」

「人間の社会だってそうでしょ。現場の社員が外を走り回って、社長は空調の効いた部屋で会社の方針を決めるんだよ」


 ルビーは肩をすくめた。そういう役割分担には、慣れきっているらしい。


「というわけで、話を戻すね、広志さん。この使者様が、どうやって彼女との円満な別れを手伝うのかって話だけど──」


 ルビーは自分の胸をぽんと叩いた。


「陰でいろいろアドバイスしてあげるから、私に任せておけば大丈夫だよ!」

「…………」


 ちっ。なんか役に立たなさそうだ。



 /////////



 天使候補生なら何かしてくれるのかと思ったら、後ろからろくでもない知恵を貸すだけかよ?

 それって、結局口だけじゃねえか?

 そう素直に感想を伝えたら、当然のようにルビーがむくれた。


「むきーっ! 何よ、その態度は! 広志さんって、ほんっっっっとにムカつくよね!」


 わめき散らすあいつを無視し、俺は鞄を背負って玄関のドアを閉めた。

 今日は水曜日。当然、学校がある。

 家を出る前には、忘れずに美杏の朝飯と昼飯を用意して、部屋のドアの前に置いておいた。ちゃんと食べるよう、LINEも送ってある。


 意外なことに、外に霞の姿はなかった。

 俺の知る限り、よほどどうしようもない事情でもなければ、あいつは俺と一緒に登校するために待ち続ける。

 高校でもそうだったし、大学でも変わらなかった。


 ちなみに、あいつの成績なら、もっといい大学に行けたはずだ。それなのに、俺に合わせて市内の国立大学を選んだ。

 まあ、あの家の財力があれば、学歴なんてなくても何とでもなるのかもしれない。


 そんな「未来」のことを考えながら、俺は校門をくぐった。

 教室のドアを開けると、隣の席は空いていた。霞はまだ来ていないらしい。


 ほっとした。

 殺された記憶が戻ったばかりで、どんな顔をして会えばいいのか、まだわからなかったからだ。


 顔なじみの連中とひと通り挨拶を交わしてから、自分の席に戻る。頬杖をつき、教室を見回した。

 死ぬ少し前に高校の同窓会に出たおかげで、クラスの連中の未来は多少知っている。

 誰が家業を継ぐのか、誰が医学部に受かるのか、とか……


 一番意外だったのは、高校ではいつも成績が底辺だった山田健太が、屋台でたこ焼きを売って、スポーツカーを買うほど稼いでいたことだ。そんなに儲かるもんなのかよ?

 俺もいっそ学校を辞めて、たこ焼きでも売ろうかな。


 とはいえ、強く印象に残っているいくつかの出来事を除けば、ほかの記憶はどれもぼんやりしている。

 ルビーによると、「二周目」の俺が混乱しないよう、断片的な記憶だけを引き継がせたらしい。


 天使候補生があてにならない以上、この記憶と経験を頼りに、霞と穏便に別れる方法を探すしかないか……

 俺は頭を掻いた。胸の中が憂鬱でいっぱいになる。


 昨日は可愛い彼女ができたと喜んでいたのに、今日は死ぬほど後悔している。

 でも気が変わりやすいとか言うなよ!

 お前らだったら、あんな怖い彼女と付き合っていけるのか?


 際限なく尽くし、どこまでも自分を犠牲にする。そして、そのあとについてくる疑いと束縛。

 あいつは俺をすべてだと思っていた。そして、俺の生活まで、少しずつ自分のものにしていった。


 普通じゃない。

 あんなの、まともな人間の生き方じゃない。

 まるで寄生虫だ。


 よく五年も耐えたもんだ……まあ、その間に三百回以上、別れようとは言ったんだけどな!


 俺は行儀悪く貧乏ゆすりをしながら、あとで彼女が教室に来たら、どう接すればいいのか考えた。

 殺意を抱かせちゃいけない。

 かといって、好感度を上げるわけにもいかない。

 あいつを刺激しない範囲で、俺への好意を少しずつ減らしていく。

 残念ながら、今の俺にはそれくらいしか思いつかなかった。



 ……ただ。

 昼休みになっても、霞は姿を見せなかった。


 ちょっと妙だ。

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