EP.03 死神の甘い呼び声
あの子に告白されたのは、昨日の昼のことだった。
「わ、わわ……私、あなたが好き……つ、付き合ってくれませんか? ひ、ひひ……広志くん……」
正直、ずいぶんたどたどしい告白だった。
噛みまくるし、俺の名前すらまともに言えない。
だけど、その真剣な気持ちだけは、間違いなく本物だった。
だから、俺は頷いた。
霞と知り合って、半年ほどになる。
高校二年の二学期に転校してきた俺は、たまたま彼女の隣の席になった。それが、すべての始まりだった。
美少女と呼んで差し支えない容姿で、おまけに金持ちの女の子を、どうやって落としたのかって?
別に、落とそうとしたわけじゃない。普通に接していただけだ。
たまに話して、たまに軽口を叩き合って……いつの間にか、お互いを意識するようになっていた。
ピンチを救ったわけでもない。
運命の出会いなんかでもない。
ただ普通に知り合って、普通に仲良くなって、普通に好きになった。
世の中の恋愛なんて、だいたいそんなものじゃないか?
気づけば深みにはまっていて、抜け出せなくなっている。
俺が期待していたのは──そんな、普通の恋愛だった。
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「幽霊か幻覚かわからないものが見える? どういうこと?」
ガラステーブルの向かいに座る霞は、俺の話を聞くなり眉をひそめた。
「それが……はぁ、俺にもよくわかんないんだよ」
コーヒーを何口か飲んでから、俺は今朝の出来事を順に話し始めた。
ピンクのツインテール。宙に浮かぶ体。
そして、「神様」の命令で俺を助けに来たという、自称・使者。
ただ、一番肝心なことだけは話さなかった。
五年後、俺は自分の彼女に殺される──なぜか、そのことを霞には言わなかった。
ただの「幻覚」がでっち上げた設定にすぎないはずなんだが、なぜか、口にしようとするたび、心のどこかがそれを拒んだ。
言ってしまったら、何もかも終わってしまう。そんな気がした。
理由はわからない。
ただ、本能的に、彼女に告げるのが怖かった。
「そっか。だいたい事情はわかったけど……」
霞はコーヒーを何口かすすり、何かを考えるように目を伏せた。
今日は登校日なので、当然、俺たちは制服姿だ。
彼女は朝からわざわざ家の近くまで来て、一緒に学校へ行こうと待っていてくれた。だけど結局、学校には向かわず、街中のカフェで人生相談を始めることになった。
ぶっちゃけ、サボりである。
「広志さん、お父さんが外でどれだけ苦労してお金を稼いでるか、わかってるの?」
「……」
「学費だって毎学期あんなに払ってるのに、学校をサボって勉強しないなんて、よくないと思うよ?」
幻覚さんは腕を組み、いきなり説教を始めた。
うるせえ。そもそもお前のせいだろが。
他人事みたいな顔をした幻覚野郎を睨みつけた、そのとき──向かいから鋭い視線が突き刺さった。
「──広志くん。今の話、私に何か隠してるよね?」
「え?」
「その幻覚って、男の子? 女の子?」
「…………は?」
コーヒーカップを持ち上げた姿勢のまま、俺は固まった。
「広志くん、これ、大事なことなの。ちゃんと答えて」
「…………」
「その幻覚は、男の子なの? それとも、女の子?」
いつもの優しく明るい雰囲気はどこへやら。
霞は突然、全身から殺気を放ち始め、俺はすっかり面食らった。
「あいつは……その幻覚は……」
「うん、うん」
俺はおそるおそる視線を動かし、左側でふてくされている幻覚さんを見た。
「ピンクのツインテールで、歳は俺たちと同じくらいで、天女か妖精みたいな、袖のないワンピースを着てて……」
「つまり、女の子なんだね?」
「…………はい」
ピシッ。
霞の手の中で、コーヒーカップにひびが入った。
「か、霞さん?」
「…………」
「どうしたんだよ。なんか、いつもと雰囲気が違うような……?」
霞は答えなかった。
うつむいたままカップの取っ手を握りしめ、その両肩ははっきりと震えていた。
俺はごくりと唾を飲んだ。
知り合って半年になるけど、彼女がこんなに怒っているところなんて、一度も見たことがない……
「私がちゃんと大事にしてあげてないから、そんなものが見えるの?」
「……は?」
「私に魅力がないから、ほかの女の子の幻覚なんて見るんだ……」
霞はうつむいたまま、ぽろぽろと涙をこぼした。
俺は慌てて紙ナプキンを何枚か取り、彼女に差し出した。
でも正直、内心ではちょっと呆気に取られていた。
「あのさ、霞……」
「なに……」
「まさか、たかが幻覚に嫉妬してるのか?」
「「たかが幻覚って何よ!」」
二つの声が、ぴったり重なった。
…………
あ、頭が痛い……
「とにかく、俺の頭が勝手に作ったものなんだから、気にしなくていいって」
「うぅ……」
「それに、幻覚なんかのために、お前と別れるわけないだろ?」
「ほんと?」
「ほんと」
「よかった……」
ようやく霞の表情が和らぎ、彼女は目元を拭った。
「今日は会いに行くのが遅くなっちゃったから、広志くんのこと、大事にしてないって思われたのかと……」
「遅く?」
「うん……」
彼女は後ろめたそうに視線をそらした。
「……霞、何時からうちの近くにいたんだ?」
「四時半」
「ああ、四時半か──四時半んん!?」
俺は危うく椅子から転げ落ちそうになった。
「朝の四時半から、一緒に学校行くために、うちの近くで待ってたのか!?」
「ご、ごめんね。本当は、もっと早く来るつもりだったんだけど……」
「なんでそんな早く来るんだよ!? 学校は八時半からだぞ、八時半!」
「だって……広志くんを待ってる時間が好きなんだもん」
「俺の心が休まらねえよ!」
勘弁してくれ。
自分が寝てる間、外では忠犬みたいな彼女が「おはよう」を言おうとスタンバイしてるって?
悪夢でも見せる気かよ?
「次から、こんな早く来るのは禁止。いいな?」
「でも……」
「一緒に学校行きたいなら、七時半に待ち合わせればいい」
「七時……」
「半」
「七時十五分?」
「値切ってんじゃねえ~~~!」
「うぅ……わかった」
霞は不満そうに唇を尖らせたが、最後には素直に頷いた。
「じゃあ、約束だよ? これから毎日、一緒に学校行こうね?」
「毎日?」
「……だめ?」
彼女はおずおずと目を上げた。
期待と、断られることへの不安が入り混じったその顔を見たら、俺は出かかったツッコミを飲み込むしかなかった。
「……べ、別にいいけど」
「えへへ、広志くん、大好き♥」
彼女はたちまち泣き顔を笑顔に変え、テーブル越しに俺の手をぎゅっと握った。
胸がどきどきして、自分の鼓動が聞こえてきそうだった。
ちょっとべったりで、ちょっと心配性で、たまに呆気に取られるようなこともするけど……
たぶん、初めての恋愛で舞い上がってるだけだろう。
少なくとも、今の俺はそう思っていた。
この子は悪い子なんかじゃない。
お互いに初恋なんだから、未熟なところがいろいろあって当然だ。
意見が合わないことも、喧嘩になることもあるだろう。
だけど、ちゃんと話し合えば、きっと何だって解決できる──
あれ? 本当にそうなのか???
「……?」
重なった手から、彼女のぬくもりが伝わってくる。近くにいる彼女からは、甘い香りがした。
なぜか突然、腹に痛みが走った。
俺は無意識に腹を押さえた。
何か冷たいものが、かつてここを貫いたような気がした。
痛い?
いや、何もない。
何もないはずなのに……
『ヒロ……♥』
頭の奥で、声が響いた。
狂おしく、病的で、それなのに愛に満ちた声だった。
気がつけば、背中は汗でびっしょりだった。
俺は命からがら逃げるように、彼女の手を振り払っていた。
「広志くん……?」
霞は戸惑った顔をしていた。




