↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼女を振っても刺されない方法って、ある?  作者: 柊弐男
第七章 監禁? 嘘だろ?
23/24

EP.24 出口のない愛

 俺は、本当にバカだ。

 そう思うやつは多いだろうな。高橋広志はバカだって。

 あいつがまともじゃないとわかっていたくせに、さっさと荷物をまとめて逃げもせず、こんな事態になるまで引っ張っちまったなんて。


 俺は、霞の中で、自分が大きな存在なんだと思っていた。

 それだけ大切に思われているなら、話し合えば何だって解決できるはずだ──そんな甘いことを考えていた。

 だけど、それは全部、独りよがりな幻想だった。


 俺は、自分の愚かさの代償を払うことになった。

 ヒーローになれなかったどころか、どこにあるのかもわからない、暗い部屋に閉じ込められている。


 自分の手さえ見えない暗闇での──

 監(・)禁(・)だ。



 /////////



 目を開けると、明かりがついていた。

 目の前には、食欲をそそる香りを漂わせるステーキがある。

 肉は丁寧に一口大に切り分けられ、皿に並べられていた。ミディアムに焼かれた断面は、しっとりとしたピンク色で、少女の唇を思わせる鮮やかさだ。

 見ているだけで食欲をそそられる。


「はい、あ~ん」


 一切れの肉が、口元に押しつけられた。

 霞は肉を切ってくれただけじゃなく、食べさせてくれるつもりらしい。

 甘い吐息を漏らしながら、肉を俺の唇にこすりつけてくる。口元が肉汁で濡れた。


「ふふ、口紅を塗ってるみたい」

「……」

「どうしたの? 食べないの……?」

「……自分で食える」


 俺はあいつを押しのけた。

 今は左手しか使えないけど、肉をフォークで刺すくらい、どうってことない。自分で食べるつもりだった。

 霞は不満そうに唇を尖らせたものの、おとなしく向かいの席へ戻った。テーブルを挟み、俺と向き合って座る。


「気に入った? 今日のお昼は、私が焼いたんだよ」

「……」

「夜は何が食べたい? 何でもいいよ」

「……」

「あ、それとも──わ・た・し?」


 彼女はからかうように襟元を引き開け、白い胸の谷間をちらりとのぞかせながら、艶っぽい視線を向けてきた。

 俺は何の反応も返さなかった。見る気にもならない。

 霞はしょんぼりと服を整え、席に座り直した。


「いつになったら、ここから出してくれるんだ?」

「ヒロが、もう一度私を好きになってくれるまで」

「こんなことをすれば、俺の気が変わると本気で思ってるのか?」

「ふふ、きっと変わるよ」


 霞は迷いなく答え、頬杖をついて、幸せそうに俺を見つめる。


「一日で駄目なら、一か月。一か月で駄目なら、一年」

「……」

「どれだけかかっても、ずっと待ってるから」

「お前……」


 こいつ、いつまで俺を閉じ込めておくつもりだ?

 フォークを置くと、胸の奥から怒りが湧いてきた。


「こんな何もないところに閉じ込めて、俺がお前を好きになるとでも思ってるのか? 甘すぎるだろ」

「何もないなんて、どうして? 私がいるじゃない」

「何……?」

「話し相手になれるのも、一緒に遊んであげられるのも、お腹を満たしてあげられるのも、私だけ……だから、私がいないときも、ヒロは私のことしか考えられなくなるの。そうしているうちに、きっとあの泥棒猫のことなんて忘れて、また私を好きになってくれるよ」

「…………」

「今は受け入れられないかもしれないけど、少しずつ、少しずつ……私が来るのを楽しみにするようになるよ。そのうち、私なしじゃいられなくなるから、もう少しだけ我慢してね。ふふ」


 彼女は楽しそうに笑い、俺の鼻先を指でつついた。

 俺は額に手を当てた。吐き気がした。


「そんな俺を、俺だと言えるのか?」

「……?」

「こんなところにずっと閉じ込められてたら、本当にお前に頼るようになるかもしれない。だけど、そうなった高橋広志を、まだ高橋広志だと思えるのかよ?」

「…………」

「本当に、それでいいのか? そんな恋愛、自分を騙してるだけじゃないのか?」


 少し気恥ずかしい台詞だったけど、もう気にしていられなかった。

 正気でいられるうちに、言いたいことは全部言っておかなきゃならない。


 霞の顔から笑みが消えた。

 代わりに浮かんだのは、暗く、傷ついた表情だった。


「──それでも、ヒロを失うわけにはいかないの」

「……」

「失いたくない……ヒロを失うなんて、絶対に嫌なの!!」

「……」

「全部、ヒロのせいなんだよ?」

「俺のせい???」

「そうだよ。あんなに優しくするから……私、ヒロがいないと駄目になっちゃったんじゃない」


 彼女は胸に手を当て、心の底からそう思っているように言った。

 俺はどっと力が抜けた。


「……まだ何日かしか付き合ってないんだぞ。そこまで深い気持ちを、お互いに注いできたとは思えないんだけどな」

「付き合ってるかどうかなんて、関係ないの……最初から、どんな手を使ってでも、ヒロを手に入れるって決めてたんだから」

「……」

「たとえ手に入らなくても、ほかの女の人と一緒になるなんて許せない。そんなことになったら──私、きっと耐えられないから」


 霞は目を伏せた。これ以上ないほど悲しそうだった。

 俺は首を横に振った。


 狂ってる。


 一周目の俺は、霞は俺を愛しすぎたせいで、付き合っていくうちに少しずつ壊れていったんだと思っていた。

 だけど、またしても思い知らされた。

 あ(・)い(・)つ(・)は(・)、最(・)初(・)か(・)ら(・)壊(・)れ(・)て(・)い(・)た(・)ん(・)だ(・)。

 俺と付き合うより前から、とっくに壊れていた。


「……そういえば、ヒロ」


 ふと思い出したように、霞が温度のない声で言った。


「あの泥棒猫が今、どこに隠れてるか知ってる?」

「その『泥棒猫』って、誰のことだよ?」

「とぼけちゃ駄目だよ? うまいことを言って、ヒロの気持ちを変えさせた子のこと」

「……『篠原翼』のことを言ってるなら、全部お前の勘違いだ。俺とあいつの間には、本当に何もない。好きでもない」

「また嘘ついて。私には、ちゃんとわかってるんだよ」


 霞は目を細め、目の前の肉を優雅に切り分けた。一切れ、また一切れ。微笑みながら、流れ出す血のような肉汁を見つめている。

 そして、大きな目を上げ、前髪の隙間からこちらを窺った。


「ほかの子を好きになったんでしょ?」

「……」

「わかってるよ。今のヒロには、気(・)に(・)な(・)る(・)人(・)がいる。その人は、私じゃない」

「どうして、そんなことが言い切れる?」

「女の勘は鋭いんだよ。好きな人のことなら、なおさらね」

「……」

「おかしいよね……ほんの何日か前までは、ヒロが私を好きだって感じられたのに。どうして、たった何日かで、ほかの女の人に気持ちが向いちゃったんだろう? どう考えても変だよ。きっと、あの泥棒猫が何か言ったんだよね」

「……」

「でも、一時的なものだよ。ヒロは騙されてるだけだもん。私には、ちゃんとわかってるから。ふふ」


 霞は甘い笑みを浮かべた。自分の出した結論に、満足したらしい。


 気になる人、か……

 はぁ。外れているとは言えないけど、いちばん肝心なところを勘違いしている。

 とはいえ、説明しようにも、何から話せばいいのかわからなかった。


「今思えば、付き合い始めてから、ヒロはずっと変だったよね。一晩で別人になったみたいで、私を避けてる感じもしたし。きっと、あの泥棒猫が私たちの仲を引き裂こうとしてたんでしょ?」


 それは、記憶が戻ったからだ──そう言ったところで、でたらめを言っているとしか思わないだろう。

 ため息が出た。

 感情が高ぶっている霞とは違い、俺には、どうしようもないという思いしかなかった。


「……委員長の居場所を聞いて、何をするつもりだ?」

「もちろん、ちゃんとお仕置きするんだよ! ひどいじゃない。人の彼氏を誘惑して、誕生日のお祝いに誘おうとまでしてたんだから!」

「霞、一つ教えてやろうか」

「何?」

「篠原は、俺の誕生日を祝うために店を予約してたんだよな? 何人分だったと思う?」

「何人って、二人でしょ!? あの図々しい泥棒猫、誕生日にかこつけて、人の彼氏と二人きりでデートするつもりだったんだよ!」


 霞は腹立たしげにテーブルを叩いた。

 俺は何も言わず、指を三本立てて見せる。


「違う。三人だ」

「三人……?」

「そう。篠原を追いかけたとき、店の受付でそれも確認したんだ。どうして、そんな予約をしたと思う?」

「……」

「お前の言う通り、俺だけを誘って誕生日を祝いたかったなら、どうして三人分なんだよ?」


 霞は眉をひそめた。少し、動揺しているようだった。

 俺は口を開いた。いろんな感情が、声に混ざった。


「あいつは、俺だけを誘いたかったんじゃない。俺(・)た(・)ち(・)二(・)人(・)を、一緒に誘うつもりだったんだ」

「私と……ヒロを?」

「ああ」


 頷きながら、篠原と交わした言葉や、ふとした拍子に見せた気持ちを思い出した。


「あいつさ……お前とは、うまく付き合えないって言ってた」

「……」

「お前ら、二人とも最初は性格のせいで、クラスにうまく馴染めなかっただろ。だからあいつは、お前を仲間みたいに感じてたんじゃないか? 俺にも、よくわからないけどさ。ただ、あいつはずっと、お前と仲よくなりたがってたんだ」

「そ……そんなわけ……」

「知らなかったんだろ? あいつは不器用だし、お前は周りに無関心だからな。知ってるか? この前だって、もっとお前を大切にしろって、俺に言ってたんだぞ。たぶん、お前の孤独がわかるからだろうな」

「……」

「あいつは、お前に近づこうと頑張ってた。なのに、お前は見向きもしなかった。好意を踏みにじっただけじゃなく、人を使って襲わせて……自分がどれだけひどいことをしたか、わかってるのか?」

「……」

「霞、お前にいちばん必要なのは、恋人じゃなくて、本音で話せる友達なのかもしれない。篠原は、そうなれたかもしれないのに、お前が拒んだんだ」

「……」

「今なら、まだ間に合う。俺をここから出して、警察に自首して、あいつに謝れ。きっと、世間も委員長も、許してくれるよ」

「──ううん。もう遅いんだよ、ヒロ」


 霞は否定し、食器を片づけ始めた。ワゴンに皿を重ねていく。その顔は、暗く沈んでいた。


「もう、何もかも引き返せないの。あの子を消さなきゃ」

「どうしてだよ?」

「だって……ヒロが、あの子を好きになっちゃったんだもん……」

「……」

「ヒロが、ほかの子と一緒になるなんて、受け入れられない……考えるだけで、胸が苦しくて、苦しくて、息ができなくなりそうなの……だから、あの子には消えてもらわないと」


 霞は目を閉じ、弔うように、残念そうに言った。

 俺の胸に怒りがこみ上げた。目を見開き、呼吸が荒くなる。


「……そうかよ。だったら、言わせてもらう」


 出ていこうとする霞の背中に、俺は言った。


「お前は病んでる。霞、本当に病んでるんだ。その考え方を正さなきゃ駄目なんだよ」

「……」

「お前の恋愛観は間違ってる。相手の世界には自分だけ、自分の世界には相手だけ。そのためなら、邪魔なものは何でも消していい──だけどな、いったい誰が、そんな付き合い方を望むんだよ? 少なくとも、俺は嫌だ!」

「……」

「前は、お前が俺を大切にしてくれてると思ってた。いつだって全身全霊で尽くしてくれて、本気で愛してくれてるんだって。だけど、今はようやくわかったよ。霞、お前は俺の気持ちなんか、ちっとも気にしてない。ただ、自分のやりたいことをやってるだけだ。独りよがりな好意を一方的に注ぎ込んで、それを愛情表現だと思って、勝手に満足してる。相手が受け止めきれるかどうかなんて、お構いなしに」


 俺はその背中を睨みつけ、厳しい言葉をぶつけた。



「一(・)ノ(・)瀬(・)霞(・)、お(・)前(・)が(・)や(・)っ(・)て(・)る(・)の(・)は(・)、独(・)り(・)よ(・)が(・)り(・)な(・)恋(・)愛(・)に(・)す(・)ぎ(・)な(・)い(・)ん(・)だ(・)」



「……」

「尽くすことで得られる満足感に、浸ってるだけだ。自分を燃やせば燃やすほど、幸せになれる。結局、俺はその気持ちを満たすための道具でしかないんだろ」


 ──そうだ。

 俺は、せいぜい道具だ。あいつが自分を満足させるための道具でしかない。

 だから、ずっと胸の奥にしまっていた疑問を、口にした。


「本当は、相手が高橋広志かどうかなんて、お前にはどうでもいいんじゃないのか?」

「………………そう、かもね」


 長い沈黙のあと、霞が振り返った。

 整った顔には、深い悲しみが浮かんでいた。


「ヒロの……言う通りなのかもしれない」

「……」

「私、ただ、想いを注げる相手が必要なだけなのかもしれない……そうしていないと、生きてるって感じられないから」


 ルビーが以前、霞について語っていたことを思い出した。


 ──自分というものがないんです。あなたに尽くし続けることでしか、自分の存在を確かめられない。


 愛してくれる誰かが必要なんじゃない。自分が愛せる誰かが必要なんだ──それは、いったいどんな気持ちなんだろう。

 俺には、わからなかった。

 だけど、そんなふうに依存して生きるのは、間違っているに決まっている。

 あまりにも、病的なほどに間違っている。


「でも、一つだけ間違ってるよ。ヒロ」

「何……?」


 霞の目尻から、一筋の涙がこぼれた。


「その相手は、ヒロじゃなきゃ駄目なの。もう今さら……誰もヒロの代わりにはなれない」

「……」

「だから、ヒロが誰かのものになるなんて、受け入れられないの」


 そう言い残し、霞は明かりを消した。

 部屋が、再び闇に満たされる。

 唯一の出入り口が閉ざされるまで、俺はその背中を見つめていた。


 ──想いを注げる相手が必要で、そうしていないと、生きていると感じられない。


 今思えば、霞の本音を本当の意味で聞いたのは、これが初めてだったのかもしれない。

 記憶の中のあいつは、いつも「好き」「愛してる」「ヒロが大好き」と言っていた。

 だけど、どうしてそこまでして誰かを愛さずにはいられないのか、一度も話してくれなかった。


 俺は五年の時を越え、この恋の始まりへ戻ってきた。

 皮肉なことに、今になってようやく──


 初(・)め(・)て(・)、あ(・)い(・)つ(・)の(・)魂(・)に(・)触(・)れ(・)ら(・)れ(・)た(・)よ(・)う(・)な(・)気(・)が(・)し(・)た(・)。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。