EP.23 最後の陥落
スマホが震え続けていた。
かけてくるのは、いつも同じ相手──霞だ。
出ることも、拒否することもせず、ただ振動が収まるのを待つ。それを、何度も何度も繰り返した……
どれくらい経っただろう。
バッテリーはもう切れそうなのに、スマホはまだ震えている。
どうやら、俺が出るまでかけ続けるつもりらしい。
そばでルビーが俺を見張っていた。情にほだされるのを警戒しているのか、「出ちゃ駄目だよ?」と、何度も念を押してくる。
俺は答えず、ベッドに横になったまま、画面に表示された霞の写真を見つめていた。胸の中には、いろんな感情が渦巻いていた。
ルビーは言っていた。「成長」とは、いろんな結果の積み重ねで、いいことも悪いことも、すべてに意味があるのだと。
無数の「過去」が「今」を作り、その「今」が「未来」につながっていく。
今回のことで、家族が俺を気にかけてくれているとわかった。自分が、なぜここまで過激な行動に走るのかも。
妹がいて、親父がいて、小学生の頃のあの経験があって、こんな家庭で育ったからこそ──高橋広志は、今の高橋広志になった。
じゃあ、霞は?
何度も考えたことがある。どんな環境で育てば、あんな性格になるんだろう?
未来の五年間、あいつの生い立ちを探ろうとしたことは、何度もあった。
だけど、あいつは口が堅く、手がかり一つ教えてくれなかった。
結局、謎は謎のままになった。
今思えば、おかしな関係だった。
霞は俺のことをいろいろ知っているのに、俺はあいつを何も知らない。金持ちの家のお嬢様だということくらいしか……
あれこれ考えていると、ピピッと音がして、スマホの電源が落ちた。どうやら、バッテリーが切れたらしい。
俺はため息をつく。
まあ、これでよかったのかもしれない。もう振動に気を揉まされずに済む。
ルビーもほっとしたようだった。
警戒を解くと、そのまま俺のそばに飛んできて、ベッドの空いているところにごろんと横になった。ほどなく、ぐっすり眠り込んでしまう。本当に疲れていたらしい。
触れられないとはいえ、すぐ隣に女の子が寝ている。しかも、やたらと近い。さすがに、少し落ち着かなかった。
ベッドから追い出そうと声をかけたけど、こいつはもう、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
おいおい、のび太かよ。三秒で寝るなんて……
寝顔を見られたくなかったんだろうか。ルビーは俺に背を向け、横向きに寝ていた。
袖のないワンピースが細い腰の線を描き、桜みたいに綺麗なピンク色の長い髪が、背中から白いシーツへと広がっている。
ふと、不思議に思った。
この世界のものには触れないはずなのに、どうやってベッドに「寝て」いるんだ?
髪だって、どうして自然にベッドの上に広がる?
それに、さっき俺の肩に頭を預けていたのも……
俺に触れないんだったら、あのときは、隣で勝手に頭を傾けていただけってことになるんじゃないか?
「ぷっ……」
急に間抜けに思えてきた。
しかも、それって、めちゃくちゃ首が疲れそうだ。思わず笑ってしまった。
この世には、俺の理解できない法則が多すぎる。
もしかしたら、こいつにとって、ここは無重力空間みたいなものなのかもしれない。頭を傾けていても、首なんか疲れないんだろうか?
まあ、時間が巻き戻るなんて、もっと不思議なことまで見ているんだ。細かいところを気にしたって、野暮なだけか。
深く息を吸い、左手を頭の下に敷いて、気を緩めた。
病室は静かだった。
空調の音に交じって、二人の女の子の寝息が聞こえる。ルビーと、美杏だ。
その静けさに包まれて、俺の呼吸も、少しずつ穏やかになっていく……
まぶたも、ゆっくり、ゆっくり閉じていく……
気がつけば、意識が途切れていた。
どれくらい眠ったんだろう──ふと、ほのかな香りに包まれた。
体中が心地よさに満たされる。同時に、懐かしさもこみ上げてきた。
そうだ。
よく知っている香りだ。
この香りに心を奪われ、胸を熱くしたこともあった……
どれだけの笑顔を共にして、どれだけの悩みを呼び起こしてきたんだろう。
「…………」
目を開けると、誰かが俺を抱きしめていた。
俺の上に身を伏せ、顔を埋めて泣いている。
起こしたくないのに、感情を抑えきれない。そんなふうに、声を殺して泣いていた。
──一ノ瀬霞。
どれだけ逃げても、どれだけ隠れても、結局は向き合わなきゃいけない女だった。
/////////
「うわあああ、なんであの子がここにいるのおおおお──@#$%^&*」
目を覚ましたルビーの第一声が、それだった。
突然現れた霞に、相当驚いたらしい。顔色を失うどころか、まともな言葉さえ出てこなくなっていた。
病室には美杏がいる。霞に長居させるわけにもいかず、俺はあいつとエレベーターで一階に下りた。
朝の五時半。空は、うっすら明るくなっていた。
病院の正面玄関はまだ閉まっていたけど、つながっている救急外来からは出入りできた。
病院着のまま、動かしづらい右腕を白い三角巾で吊り、霞と外の東屋へ向かう。石のテーブルを挟んで、向かい合って座った。
よく見ると、あいつはまだ、昨夜の肩の出たドレスを着ていた。白い首には、金色のアクセサリーもかかったままだ。
あんなに華やかな格好なのに、顔は驚くほどやつれていた。目元は少し腫れ、目の下には薄い隈までできている。
こいつ……まさか、このまま一晩中、俺を捜してたのか?
視線が自然と下がり、そこで気づいた──靴を履いていない。
ハイヒールを履いていたはずの足は、裸足だった。
右の足首は、はっきりわかるほど腫れている。足の裏にも、長い距離を歩いてきた跡が残っていた。
……たぶん、俺を捜し回っている途中で、ヒールのせいで足をくじいたんだろう。それで靴を捨て、裸足のまま捜し続けたんじゃないか。
そのせいで、足の裏まで傷ついていた。
柔らかな皮膚はあちこち擦りむけ、細工物みたいに綺麗な爪の周りにも、血がにじんでいる。
「…………」
こんなになるまで自分を痛めつけた姿を、見て見ぬふりはできなかった。
病院に戻り、患者用のスリッパを持ってきてやった。ついでに氷嚢も手に入れ、ひとまず足首を冷やさせる。
霞の話によると、俺と連絡が取れなくなってから、ずっと捜していたらしい。
最初は俺の家の前で待っていたけど、いくら待っても帰ってこない。
親父と美杏が慌ただしく出かけていくのを見て、ようやく何かあったと気づいたのだという。
それでも、俺の居場所を知る手段はなかった。
病院にいるとしかわからず、途方に暮れながら市内の大きな病院をいくつも回り、やっとここを見つけたらしい。
一通り聞き終えると、俺は静かに言った。
「まだ、何か隠してるだろ?」
「……!」
霞がびくりとした。
図星らしい。
「一晩中捜してたのは、本当なんだろうな。家の前で待ってたのも。だけど、どうして病院にいるってわかった?」
「……」
「親父は美杏を車に乗せて出かけたんだ。二人の会話なんて聞こえなかっただろ。そもそも、あいつらは声に出して話さない。メッセージでやり取りしてたはずだ──だったら、どうして俺が病院にいるって言い切れる?」
「……」
「手下に教えてもらったんじゃないのか?」
手下。
その言葉を口にした時点で、俺は、篠原を襲わせた張本人は霞だと突きつけたも同然だった。
張本人なら、計画が失敗したとき、当然、誰かが報告するだろう。
霞は弁解せず、ただうつむいたまま、むき出しの両肩を小さく震わせていた。
否定しないのは認めたということだ。そう受け取り、俺はため息をついた。
「──本当は、風邪なんか引いてなかったんだろ?」
「!!」
「一昨日は熱で学校を休んだくせに、昨日はぴんぴんしてたじゃねえか。スタンド能力でも持ってるんじゃなきゃ、嘘をついてたってことだろ」
「……」
「おいおい、仮病で休むのはよくないぞ? 俺も、人のことを言えた義理じゃないけどさ」
黙り込んだ霞を見つめ、尋ねた。
「それで? わざわざ仮病まで使って、あの日、何をしに行ったんだ?」
答えは、もうわかっていた。
学校を休んだあの日、篠原を襲わせる手はずを整えていたんだろう。
よく考えれば、一周目にも同じことがあった。
篠原が襲われる前日、霞は同じように病欠した。
なのに翌日は、何事もなかったように学校へ来て、俺の誕生日を祝ってくれた。
元気いっぱいで、具合が悪そうなところなんて、一つもなかった。
つまり──あのときも、たぶん風邪なんか引いていなかったんだ。
当時の俺は、何もおかしいと思わなかったが、今になって、ようやく気づいた。
霞は俺には優しい。だけど、嘘をつかないわけじゃない。
今なら、あいつが黒幕だと確信できる。
なぜか?
篠原の襲われ方が変わったことこそ、霞が仕組んだという何よりの証拠だからだ。
一周目の俺が、この数日間に何をしていたかというと──
月曜日:霞の告白を受け入れ、付き合い始めた。
火曜日:二人で仲よく登校。校内でいちゃつく一方、霞は予定通り、模試の申込書を委員長に提出した。
水曜日:霞が学校を休んだ。理由は、体調不良。
木曜日:俺の誕生日。そして、篠原が襲われた日。
本来、篠原は刃物で切りつけられるはずだった。
顔に傷は残るけど、命までは奪われない。肝心なのは、犯人の武器がナイフだったということだ。
だけど、ルビーが現れ、記憶が戻ったことで、二周目の俺の行動は変わった。
その影響が、篠原にも及んだのだ。
──火曜日。
すべての変化は、ここから始まった。
本来なら、何事もなく霞と登校し、いちゃついていたはずの俺は、ルビーの出現で混乱した。
美杏の昼飯を用意し忘れ、あの晩、空腹で倒れたあいつを病院に運ぶことになっただけじゃない。霞まで、俺の気晴らしに付き合って丸一日学校をサボったせいで、申込書を予定通り出せなくなった。
そして水曜日。
霞が学校を休んだ日、申込書を集めきれなかった篠原は、霞の家を訪ねるよう言われ、俺を連れていった──ここが、変化の鍵だ。
一周目の高橋広志は、篠原と一緒に霞の家へ行っていない。道であんな話をすることも、励まそうとして肩に手を置くこともなかった。
たぶん、この周回の霞は、あれで俺と篠原の関係を勘違いしたんだろう。
あの日、あいつは人を使って俺を尾行させていたらしい。当然、あの場面も耳に入ったはずだ。
一周目では、霞は篠原が一方的に俺を好きなだけだと思っていたんじゃないか。
篠原はもともと綺麗だし、俺と接する機会も多かった。
霞の性格なら、とっくに目障りだと思っていて、排除しなきゃいけない相手だと決めつけていてもおかしくない。
だから、篠原に手を出すつもりではあっても、目的はあくまで「俺に片想いしているらしい恋敵」を遠ざけ、俺のそばから消すことだった。
だけど、今回は違う。
俺は篠原に付き添って霞の家へ向かい、二人きりで歩き、肩にまで手を置いた。
──俺のほうも、篠原に気があるのかもしれないと、あいつは考えた。
それなら、霞にとって、篠原の脅威はまるで違ってくる。
一方的に俺を好きなだけの恋敵じゃない。俺を、霞のそばから奪おうとしている女だ。
篠原への憎しみを強めた霞は、最初の指示を変えた。
犯人の武器は「ナイフ」から、もっと殺傷力の高い「銃」に。命令も「顔を傷つけること」から「殺すこと」に変わったのだ。
もちろん、すべては「霞が指示した」という前提で組み立てた推論だ。
だけど、ルビーが言っていた通り──
無数の「過去」が「今」を作り、その「今」が「未来」につながる。
新しい要素が入り込まない限り、運命は元の道筋をたどるはずだ。
一足す一が必ず二になるように、二周目の出来事も、一周目と同じ結末に向かうはずだった──
例外があるとすれば、俺の影響を受けた場合だけ。
未来の記憶を持つ高橋広志は、その式を狂わせる、唯一の変数なんだ。
逆に言えば、誰かが一周目と違う行動を取ったなら、その違いの原因をたどっていけば、俺に行き着くはずだ。
これこそが、篠原の襲撃事件に黒幕がいると考えた根拠だった。
でも、俺はあの犯人とは何の関わりもない。
向こうは俺を知らないし、篠原のことさえ知らなかった。
だったら、もともと俺と何の関係もないやつが、どうして俺の行動が変わったせいで、二周目に違う行動を取ったんだ?
答えは、一つしかない。
──俺とあいつの間に、もう一人いる。
一周目で逮捕された犯人は、篠原が嫌いだったから襲ったと言っていた。
だけど、それは嘘だ。
昨夜話した限り、あいつは篠原を知らなかった。嫌う理由なんて、どこにある?
つまり、見ず知らずの相手を襲ったのは、誰かに指示されたからだ。
そして、指示したやつは俺を知っていて、俺の行動によって考えを変える。
だったら、俺と篠原が親しくしていたせいで、最初の指示を変える理由だってある──
ここまで考えれば、霞以外に答えは思いつかなかった。
一周目の頃から、疑ってはいた。だけど、確かな証拠がなかった。
怪しいと思う一方で、あいつがそんなことをするはずがないと信じたかった。その矛盾に、ずっと苦しめられてきた。
今、二つの周回の違いを比べることで、ようやく疑問が全部つながった。
こんな推論は、法廷じゃ通用しないだろう。それでも、少なくとも──
俺自身は、ようやく納得できた。
霞は確かに、俺の知らないところで、ひどいことをいくつも仕組んでいたんだ。
だから、こう言うしかなかった。
「自首しろ」
「……!」
「どんな理由があったって、人を傷つけるのは間違ってる。なあ、現実がアニメだったら、お前は極悪なラスボスみたいなもんだぞ。そんな役になってもいいのか? 『一ノ瀬霞』と『魔王』が、同じ意味になってもいいのかよ?」
「……」
「今なら、まだ遅くない。さっさと汚名返上しろよ。視聴者だって、きっと許してくれるさ」
もちろん、ここに視聴者なんかいない。
わざとふざけた言い方をして、動揺をごまかしているだけだ。
俺の前では、あんなに優しくて、気立てのいい女の子だった。
それが、人を傷つけた犯罪者になった。
今でも、その二つが同じ人間だとは、なかなか思えなかった。
皆に、何を寝ぼけたことを言ってるんだと、思われるかもしれない。
それでも、信じたかった──あいつは、心の底から人を傷つけたいわけじゃない。
ただ、人の愛し方が過激すぎて、不器用すぎた。
大切な想いを守ろうとして、やってはいけないことをしてしまったんだ。
「私……! 私……!」
責められた霞は、全身を震わせていた。
わかっている。罰を受けるのが怖いんじゃない。俺が抱いていた自分のイメージが壊れるのを、怖がっているんだ。
はぁ。こいつは、いつもそうだ。
世間にどう見られるかより、俺にどう思われるかを気にする。まるで、俺がすべてみたいに。
それが、たまらなく重かった。
不意に、霞が立ち上がった。
石のテーブルを回り込み、俺を抱きしめる。
強く、強く……逃がさないように、力いっぱい抱きついてきた。
「待て、そんなにされたら肩が痛い……!」
「自首したら、やり直してくれる?」
「何……?」
顔を上げ、強い眼差しで俺に問いかける。
「やり直してくれる? ヒロ……」
「…………」
答えられず、ごくりと唾を飲んだ。
ルビーも同じように唾を飲み込み、緊張した顔で俺を見ていた。
この状況は、刺し殺されたときとそっくりだった。
あのときも、こうして強く抱きしめられていた。
「……悪い。もう、やり直せないんだ。霞」
できるだけ優しく、それでも、はっきりと言った。
「話は聞くし、つらいときはそばにいる。でも、恋人としてじゃない。友達としてだ」
「……」
「恋人にはなれなくても、仲のいい友達にはなれるだろ? 前みたいにさ」
正直、それがお互いのためだと思っていた。
今ならわかる。
霞は、付き合い始めてから少しずつ、こうなったわけじゃない。
恋人になるよりずっと前から、俺への想いは、想像もつかないほど深かったのかもしれない。
だったら、友達に戻れば、本当に元通りになるのか?
わからない。
ただ、恋人になる前は、今よりはまともに付き合えていた。
少なくとも、俺の前で、はっきり「病んでいる」とわかるような振る舞いはしていなかった。俺も、あいつの重すぎる献身に、息が詰まることはなかった。
もう一度、互いの境界線を引き直せば、あの頃みたいな関係に戻れる可能性はないだろうか?
すぐに俺への気持ちを捨ててくれるなんて、期待していない。
ただ、わかってほしかった──
誰かを好きだからって、その人を自分のすべてにする必要はない。
今の関係を続ければ、あいつは俺のために、もっといろんなことをするだろう。
俺はそれに耐えられなくなるたびに、逃げ出したくなるだけだ。
そんなの、どっちのためにもならない。
「うぅ……何を言っても、やり直してくれないの? ヒロ……」
「俺たちは合わないんだ。お前を受け入れてくれるやつを、探してくれ」
「まだ何日かしか付き合ってないのに、どうして合わないってわかるの?」
「……」
「どうして、もう少しだけでも試してくれないの? 何だって話し合えるよ。私、そんなに駄目なの?」
「……」
はぁ。お前は知らないだろう。
俺たちは、もう五年も恋人だったんだ。
その結末は、散々だった。
俺は首を横に振り、ため息をついた。
「この何日か、俺のために使ってくれた金は、何とかして返すよ」
「────」
「俺には、あの気持ちを受け止めきれないんだ」
霞の瞳に、一瞬、傷ついた色が浮かんだ。
そのまま顔を伏せる。黒い前髪が、両目を隠した。
「そっか。じゃあ、仕方ないね」
「……?」
「ヒロがそう決めたんだったら、仕方ないよね」
「霞……?」
冷たい風が吹き抜けた。
なぜか、とてつもなく嫌な予感がした。
俺を抱きしめたまま、霞が突然、くすくすと笑い始めた。
甲高くて、恐ろしい笑い声だった……頭の皮が引きつるような感覚がして、全身に鳥肌が立つ!
くそくそくそくそ、何なんだよ、こいつ!?
まさか、また刺すつもりか!?
病院の前で? 人目もあるのに──!?
隣でルビーが「逃げて──!」と叫んだ。
だけど、今は片腕が使えない。霞を振りほどけねえ!
怖くて漏らしそうになった頃、ようやく、あの不気味な笑い声が止まった。
霞がゆっくり顔を上げる。
その目は、うっとりするほどの幸福に満ちていた。
「!!」
視界がぐるりと回った。
霞が、重ねたティッシュで俺の口と鼻を覆っていた。
何かの気体が鼻に入り、手足の力が抜ける。バランスを失い──倒れた。
霞はそのまま俺を受け止め、ピクニックでもしているみたいに、膝枕をしてくれた。
「ヒロが悪いんだよ」
夢を見るような目だった。幸せが、あふれていた。
「ふふ……ふふふ……私じゃなくて、あの泥棒猫を選ぶから」
見覚えのある、うっとりした顔だった。俺を殺したときと、同じ顔だ。
「でも、大丈夫。ヒロは、ちょっと気の迷いでそうしてるだけだもんね。ほかの泥棒猫に惑わされちゃっただけ。ちゃんと、私のところに戻ってきてくれるようにするから」
「う、うぅ……霞、お前──……!」
「ヒロ、大好き。私から離れちゃ駄目だよ♥」
……意識が、薄れていく。
霞の顔も、ルビーの声も……
ゆっくり、遠ざかっていく……
世界が、ミュートになったみたいだった。
俺は、闇の中へ落ちていった。
──予感がする。これが、最後になるのだと。
~第六章 クソ野郎の救いと陥落(完)~
次の第七章では、いよいよヤンデレとの最終決戦を迎えます。
……なんだか、魔王城でラスボスに挑むような感じですね。
ここまで読み進めてくださった皆さん、応援ありがとうございます。
広志と霞の恋は、果たしてどんな結末を迎えるのでしょうか?
そして、何が今の霞を形作ったのでしょうか?
ぜひ、最後まで見届けてください──この「ヤンデレ」をめぐる恋の物語を!




