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彼女を振っても刺されない方法って、ある?  作者: 柊弐男
第四章 封ざされた未来
16/19

EP.17 特別な愛。三百三回目の別れ話

「この使者様の提案を受け入れないなら、あとは自分で考えてね?」


 そう言い残すと、ルビーはもう知恵を貸さないと宣言し、見物に徹することにしたらしい。

 だけど、あいつを責めるつもりはない。

 実際、解決策は出してくれた。

 ただ、俺が頑固で、それを受け入れようとしなかっただけだ。


「広志くん、やっと出てきた!」


 トイレを出ると、霞が嬉しそうに迎えてくれた。

 十数分離れていただけなのに、久しぶりに帰ってきた飼い主を見つけた子犬みたいに、待ちきれない様子ですり寄ってくる。

 ぞっとしたけど、刺激しないよう、おとなしく腕にくっつかせておいた。


 朝の日差しが、廊下全体に降り注いでいる。

 あと数分で朝自習が始まるからか、廊下に生徒の姿はほとんどなかった。


 霞は幸せそうに俺の肩に頬をすり寄せた。髪から漂う香りが鼻先をくすぐり、俺の心まで揺さぶる。

 今でも、子犬みたいに甘えてくるこの女と、俺を殺したあいつが、どうしても重ならなかった。


「そうだ、広志くん。聞いてもいい?」


 霞は腕を離すと、天使みたいに軽やかな足取りで俺の前へ回り込んだ。


「今日が何の日か、知ってる?」

「……何?」

「今日は何の日でしょう~?」


 にこにこ笑いながら、両手を後ろに回して少し身をかがめ、俺の顔を下から覗き込んでくる。

 俺は唾を飲み込み、目をぱちぱちさせた。


 ……やべ。今日って何の日だ?

 誰か、この問題の正解を教えてくれないか?


 俺がぽかんとしていると、霞は唇を尖らせ、頬を膨らませた。


「む~。広志くんのバカ。こんなに大事な日なのに、自分で忘れちゃうなんて」

「……」

「でも、いいよ。今日は一日、ゆっくり考える時間があるからね~♥」


 すぐに機嫌を直すと、駆け寄ってきて、思いきり抱きついてきた。

 本当に、力いっぱい。

 周りの目なんてお構いなしに、ぎゅうぎゅうと……

 数メートル先で見ていた篠原まで、呆気に取られた顔をしている。


「おい、霞……」

「『かすみん』って呼んで」

「……かすみん。とりあえず離してくれ。みんな見てる」


 複雑な気持ちで目をそらした。

 霞は甘く微笑むと、顔を上げ、愛情のこもった目で俺を見つめてきた。


「じゃあ、私も『ヒロ』って呼んでいい?」

「……な、何?」

「私もあだ名で呼びたいんだもん。ね、いいでしょ?」

「…………」


 危うく、その場で腰が抜けるところだった。


 ヒ、ヒヒヒヒ、ヒロ~~~~~~!?

 やめろおおおおお────!

 その呪われたあだ名で呼ばないでくれえええええ~~~~~~!!!!


「やややや、やっぱやめとこうぜ……ははは、恥ずかしいし……今まで通りでいいって……」

「え~。でも、こう呼びたいんだもん。駄目?」

「………………」

「じゃあ、決まりだね、ヒロ!」



 ──システム通知:称号「ヒロ」を獲得しました。



 眉がぴくぴく引きつって、まったく笑えなかった。

 対照的に、霞は今まででいちばん晴れやかな笑顔を浮かべ、もう一度俺を抱きしめた。


「ねえねえ、ヒロ。一つ、聞いてもいい?」

「な、何だ?」

「昨日、私が風邪で家で休んでたとき、ヒロは誰かと遊んでたの?」

「…………」


 表情が凍りついた。

 体温が急降下する。


「遊んでいた」とまでは言えないけど、昨日の放課後、確かに俺は、ある女子と一緒に歩いていた。

 冷や汗をかく俺の前で、霞は笑みを絶やさない。だけど、その体からは、妙な威圧感が広がっていた。

 俺を抱く腕に、さらに力がこもる。逃がさないとでもいうように。


「べ、別に、誰かと遊んでたわけじゃ……」

「本当?」

「本当だ」

「絶対? 嘘ついてない?」

「……わかった。正直に話す。昨日、お前が風邪で休んだから、先生が今日も来られないんじゃないかって心配してたんだ。それで、委員長と俺で、お前んちに校外模試の申込書を取りに行った。ついでに具合も見てこいって。それだけだよ」


 圧に耐えきれず、結局、昨日のことを全部話してしまった。


「申込書なんて……催促しなくてもいいのに。ヒロが申し込むなら私も申し込むし、ヒロが受けないなら、私も受けないよ」

「……」

「それで? どうして二人で行ったの?」


 霞は首をかしげ、潤んだ大きな目を向けてきた。本気でわからないらしい。


「それって、委員長さん一人の仕事だよね? なのに、どうしてヒロも一緒だったの?」


 言葉を重ねるほど、声が冷たくなっていく。その冷たさに、俺は身震いした。


 うおおお、くそくそくそ!

 普通に質問されてるだけなのに、なんでこんなに怖えんだよおおお!

 そういえば、刺し殺されたときも、こんなふうに体をくっつけてたんじゃなかったか???

 おい、こいつ、もうドライバーを用意してるんじゃねえだろうな!?


「ヒロ、どうしたの? どうして黙ってるの?」

「……!」

「どうして最初は隠したの? どうして私が聞くまで、本当のことを言ってくれなかったの?」

「……! ……!」

「ヒロ……もしかして、私に黙って──」

「私(・)が(・)、一(・)緒(・)に(・)来(・)て(・)ほ(・)し(・)い(・)と(・)頼(・)ん(・)だ(・)の(・)」


 前から響いた厳しい声が、俺を救ってくれた。

 篠原が腕を組み、背筋を伸ばして立っていた。誰にも負けない気迫で、堂々と。


「……」


 霞は返事をせず、俺の胸に顔を埋めた。

 わざと無視されたとわかり、委員長の顔に一瞬、怒りが浮かんだ。

 だけど、すぐにそれを抑え、冷静さを取り戻す。


「高橋は、あなたに後ろめたいことなんて何もしていないわ、一ノ瀬さん」

「……」

「私が、あなたと二人きりでどう話せばいいかわからなかったから、ついてきてもらったの」

「……」

「それと、連絡先に嘘の住所を書くのはやめて。迷惑でしかないわ!」



 /////////



 危ない、危ない。

 篠原が助けに入ってくれなかったら、本当に廊下でビビって漏らしていたかもしれない。


 それにしても、今日は何の日なんだろうな?

 付き合い始めた記念日? いや、まだ三日目だぞ。

 霞の誕生日? それも違う。あいつは五月三日生まれだ。


 俺は席に座り、頭を抱えて考え込んだ。

 すごく大事で、絶対に忘れちゃいけないことだった気がする……

 くそ。いったい何なんだよ?


 ルビーは、悩む俺を無言で見ていた。

 答えを知っていそうな気がするけど、バカを見るような顔をしたまま、何も言わない。


 結局、考え込んでいるうちに一日が過ぎた。

 放課後になっても、答えはわからないままだった。


「ねえ、高橋」


 チャイムが鳴ると、委員長がすぐに俺の席へやってきた。

 どうしたことか、視線を泳がせ、もじもじしている。何か言いたげな様子だった。

 何だ? 一緒にトイレでも行きたいのか?


 聞くより先に、霞が駆け寄ってきて委員長を押しのけ、俺の腕に抱きついた。

 そのまま、強引に教室の外へ引っ張り出される。


 文句を言おうとした途端、霞は鼻先が触れそうな距離まで顔を寄せ、甘い息とともに囁いた。


「駄目だよ、ヒロ♥」

「……?」

「彼女がいるのに、ほかの女の子から誕(・)生(・)日(・)をお祝いしてもらうなんて。そういうのは、駄目なんだよ♥」



 /////////



 ああ。ルビーがバカを見るような目を向けていた理由が、ようやくわかった。

 今日、俺の誕生日だったのか。すっかり忘れてた……


 そうだ。俺の誕生日は、霞と付き合い始めてから、ちょうど三日目だった。

 付き合い始めた記念日と誕生日が二日しか違わないから、未来の俺たちは、いつもまとめて祝っていた。そのせいで、うっかり忘れてしまったのだ。


「普通、自分の誕生日って忘れるかな? もう、ヒロってば……でも、そんな忘れっぽいところも好き♥」


 霞はテーブルの向こうに座り、キャンドルの明かり越しに、甘い眼差しを向けていた。

 誕生日を祝うために、前もってレストランを予約してくれていたらしい。俺はそのまま連れてこられた。


 前に行った眺めのいい店とは違い、ここには外の見える窓がない。薄暗い照明が、テーブルの上の炎を際立たせていた。

 クラシカルな内装。ゆったりと流れる音楽。声をひそめて語り合う客たち。

 どこを見ても、高級レストランらしいロマンチックな雰囲気が漂っている。


 もっと普通の付き合いがしたいと、この前言ったばかりなのに、またこんな高い店へ連れてこられた。

 俺の話なんて、まるで聞いていなかったらしい。

 しかも、記憶によれば、あいつはこの先もずっとこんな調子だ。何も変わらない。


 そ(・)れ(・)で(・)も(・)、ど(・)う(・)し(・)て(・)も(・)嫌(・)い(・)に(・)な(・)れ(・)な(・)い(・)ん(・)だ(・)よ(・)な(・)……


 眉を寄せ、黙ってナイフとフォークを動かした。

 高そうなステーキを口に運んでいるのに、味がしない。


 テーブルには、一冊の飛び出すアルバムが置かれていた。何週間もかけて作ってくれたものらしい。

 ページを開くと、小さな花やハートが次々と飛び出した。白いうさぎまでいる。

 おとぎ話の中に入り込んだみたいで、細かなところまで丁寧に作り込まれていた。


 ページの中央には、付き合う前に撮った、俺と霞の写真が立ち上がっている。

 場所は学校。撮ったのは霞だ。

 不意にカメラを向けられ、あいつと一緒に写真に収まっていた。

 俺は驚いて口をぽかんと開け、口元には飯粒までつけている。

 実に間抜けな顔だった。


挿絵(By みてみん)

(※生成AIを使用して制作した挿絵です。)


 不思議なことに、その日のことは、今でも覚えていた。

 初めて霞の手作り弁当を食べた日だ。

 うますぎて、こっそり写真を撮ろうとしていたあいつに気づかなかった。

 食い終わったあとには、無神経にもこんなことを言った。


『へえ。金持ちのお嬢様のくせに、意外と料理うまいんだな。うちの料理人にならねえ?』


 すると、あいつは顔を真っ赤にして、しどろもどろになってしまった。

 あとで知ったけど、告白どころか、プロポーズだと思ったらしい……


 いやいや。

 俺はただ、素直に褒めるのが苦手で、つい余計なことを言っちまっただけだ。ほかに意味なんてねえよ。


 アルバムをめくるたびに、いろんな場面が頭をよぎる。

 胸の中が、少しずつ温かくなっていった。


 ──俺が霞を憎めないのは、あいつのすることが、すべて愛(・)から来ているとわかっているからだ。


 愛。

 憎しみじゃない。愛だ。


 俺を愛しているから、金を使う。

 俺を愛しているから、自分を傷つける。

 俺を愛しているから、こんな手の込んだアルバムを作る。


 ──俺(・)を(・)愛(・)し(・)て(・)い(・)る(・)か(・)ら(・)、俺(・)を(・)殺(・)し(・)た(・)。


 その想いを受け止めきれなくても、あいつの気持ちだけは否定できない。

 あいつが俺の敵だったら……もっとひどい扱いをしてくれたら、どれだけよかっただろう。

 そうすれば、心の底から憎めたのに。

 俺を殺したことも、親父を悲しませたことも、妹を刑務所に入れることになったのも、全部憎めたのに……


 なのに、あいつはこんなにも俺に尽くしてくれる。

 すべてを投げ出して愛してくる相手を、どんな気持ちで憎めばいいんだ?


 それが、俺の矛盾だった。

 ルビーの提案を受け入れられない理由でもある。


 あの方法なら、確かに別れられる。

 だけど、それは逃げだ。

 無責任な逃げでしかない。

 高橋広志は、そんな逃げ方を選べない。

 霞が本気で想ってくれている以上、俺も最低限の誠意は見せなきゃいけない。

 そうでなければ、自分が納得できなかった。


「霞。聞いてほしいことがある」


 重い表情で、組んだ両手をテーブルに置いた。真剣だと伝わるように。

 霞は不満そうに唇を尖らせた。またあだ名で呼ぶのを忘れたことに、文句があるんだろう。だけど、俺の顔を見て、黙って耳を傾けてくれた。


「お前がしてくれたこと、全部、感謝してる。最初の日のデートも、今日のアルバムも。付き合う前に、一緒に過ごしてくれた時間も。全部だ。ありがとう」


 改まって頭を下げた。


「な、何、急に……好きだから、してるだけだよ」


 霞は照れたように手を振った。

 俺は顔を上げ、座り直した。表情を引き締め、目の前の彼女をまっすぐ見つめる。


 キャンドルの炎が揺れ、明かりと影が交互にその顔を照らしていた。いつもとは違う、艶やかな美しさだった。

 高級レストランだからか、霞は肩の出たドレスに着替え、口紅までつけていた。白い首元を金のアクセサリーが飾り、鎖骨や肩の線を引き立てている。

 大人びていて、綺麗で、とても高校生には見えない。


 あいつは──こういう場にも慣れているんだろう。

 だけど、俺は違う。


 何年付き合っても、こんな場所での食事には慣れなかった。

 スーツは息が詰まりそうなくらい窮屈で、ズボンもきつく、蒸れて仕方ない。

 暑いし、息苦しいし、いっそズボンを脱ぎたくなる──

 そう。高橋広志は、こんな品のない男だ。

 霞は、一体こんなやつのどこがよかったんだろう?


 あいつが嫌いなわけじゃない。

 ただ、俺たちは本当に合わないと気づいただけだ。俺じゃ釣り合わないと言われてもいい。

 あいつの愛は受け止めきれないし、あいつと同じところには立てない。

 恋愛観も、金銭感覚も違う。

 無理に一緒にいれば、俺が苦しくなるだけだ。


 だから、俺は口を開いた。

 あいつの瞳を見つめて、言った。



「しばらく、離れてみないか?」



「…………」


 霞はしばらく固まったあと、まばたきをした。


「ヒロ……?」

「なんていうか……今さら話が違うって思うだろうけど、霞。俺たち、まだ付き合って三日目だろ? 考えたんだ──俺、誰かと付き合う覚悟もできてないのに、軽い気持ちでお前の告白を受け入れちまったんじゃないかって」

「…………」

「だから、いったん告白はなかったことにして、友達に戻って、少し頭を冷やせないか?」


 これが、ルビーの提案を断ったあと、俺なりに出した答えだった。

「付き合ってから別れる」んじゃなく、「付き合っていなかったことにする」。

 言葉遊びみたいだけど、まだ三日目なら、「ちゃんと考えていなかった」を理由に、友達へ戻れるかもしれない。

 そうすれば、霞もそこまで何かを失ったようには感じないんじゃないか?


 俺の話を聞くと、霞の目から光が消えた。

 揺れるキャンドルの明かりに照らされた姿が、妙に不気味だった。


「私……よく、わからないんだけど」

「…………」

「それって……別れ、たい……ってこと?」

「…………」


 ルビーをちらりと見た。あいつも、緊張した顔で俺を見ていた。

 見物に徹すると決めたとはいえ、俺が失敗すれば、あいつまで巻き込まれる。今も、俺たちは一蓮托生なのだ。


 次の答えが、肝心だ──


「それは……お前がどう受け取るかによると思う」

「……」

「俺が言ったことをひっくり返そうとしてるのは、わかってる。一度はいいって言ったのに、今さらだけど……まだ付き合って三日目だろ。関係が深くなる前に、自分の気持ちをちゃんと考えたいんだ。俺、お前への気持ちは、恋愛感情より友情のほうが強いのかもしれない……」


 できるだけ傷つけないように、言葉を選んだ。

 今さらだけど、俺って結構口がうまいんじゃね? 委員長をからかってるうちに鍛えられたんだろうか。


 だけど、これは本心でもあった。

 未来の五年間を思い返す。霞と付き合っていた時間より、友達だった頃のほうが、ずっと楽しかった。

 だから、何度も思ったのだ──時間を巻き戻せたらいいのに、と。


 俺の話を聞いたあと、霞は長い間、黙っていた。

 前髪が目元を隠していて、表情はよく見えない。ただ、肩が小さく震えているのはわかった。


「どうして……」

「……」

「私……何か足りなかった? ヒロのこと、ちゃんと大事にできてなかった……?」


 まただ。

 また、その言葉だ。


 別れを切り出すたびに、霞は、自分の尽くし方が足りなかったのかと考える。

 本当は言いたかった──まったく逆なんだ、と。


「お前のせいじゃない、霞。俺の問題なんだ。あんまり、自分を責めないでくれ」

「……」

「それに、恋人じゃなくなっても、友達ではいられるだろ? 寂しがらなくたって──」

「ど(・)の(・)く(・)ら(・)い(・)?」


 霞が、俺の言葉を遮った。


「ヒロの言う『しばらく』って、どのくらい?」

「……」

「答えて、ヒロ……私、そんなに長くは……我慢できない……」

「……わかった、霞。一か月にしよう」


 よく考えた末に、そう答えた。


「一か月……?」

「ああ。その間は、いったん告白がなかったことにしてくれ。考えがまとまったら、俺がどうしたいか、ちゃんと伝える。それでいいか?」


 ──一か月。

 それだけあれば、別れるショックも和らぐんじゃないか?


 本当は、「しばらく離れて、二人の関係を考える」なんて建前だった。あいつと恋人に戻るつもりはない。

 ただ、一か月の猶予があれば、少しは受け入れやすくなるんじゃないかと思っただけだ。


「……」


 霞は黙ったままだったけど、肩の震えは止まっていた。

 いい兆しだと受け取り、ほっと息をつく──


 そのとき、あいつが不意に目を上げた。

 ブラックホールみたいに底の見えない瞳が、俺を見つめる。


「ヒロ……ほかの子を好きになったりしないよね?」

「……な、なんでそう思うんだ?」

「勘」

「勘?」

「うん。私、そんなにいい女の子じゃないから。ヒロに見向きもされなくなっちゃうんじゃないかって、いつも心配なの。それに──」

「……それに?」

「委員長さんと話してるとき、ヒロ、すごく楽しそうだから……見てると、嫌な気持ちになっちゃうんだ」


 そっと目を伏せ、頬杖をついて息を吐いた。

 揺れるキャンドルの明かりと、物憂げな表情。

 いつもの無邪気さが消えた霞は、驚くほど艶やかで、目をそらせないほどの魅力があった。


「やっぱり、私って嫌な女だよね?」

「……」

「だから、いらなくなっちゃったんだ……」


 その目に涙が浮かんだ。捨てられた子犬みたいに、弱々しくて、哀れだった。


 おいおい。お前がいい女じゃないなら、どんな女がそうなんだよ?

 慰めたかったけど、自分の立場を考えて、口を閉じた。


 そうだ。今の高橋広志は悪者だ。

 悪者なら、最後まで悪者を貫かなきゃいけない──


 ……あれ?


「???」


 おかしい。

 なんでこの気持ちの流れ、こんなに覚えがあるんだ?


 別れを切り出す。

 霞が泣く。

 慰めたくなるけど、同情を押し殺さなきゃいけなくなる……


 刺されたときの別れ話と、同じじゃないか?


「うっ……!」


 頭が痛い。

 激しい頭痛が襲ってきた。


 既視感をきっかけに、大量の記憶が頭の中へ流れ込んでくる!

 霞に腹を裂かれた瞬間から、映像が巻き戻り始めた。


 大学卒業の頃の同窓会へ……

 大学に入学した日へ……

 高校を卒業した日へ……

 そして、今の高校二年の三学期まで──


「!!」


 目を見開き、はっと息を呑んだ。


 ──思い出した。

 全部、思い出した。


 委員長の篠原翼が襲われた日付も。

 俺があいつの傷に罪悪感を抱いていた理由も。


「…………」


 それが──


 全(・)部(・)、今(・)日(・)起(・)き(・)た(・)こ(・)と(・)だ(・)っ(・)た(・)か(・)ら(・)だ(・)!




~第四章 封ざされた未来(完)~

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