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彼女を振っても刺されない方法って、ある?  作者: 柊弐男
第四章 封ざされた未来
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EP.15 欠けた記憶

「襲われた……?」


 眠りから覚め、天井を見つめた俺が最初に口にしたのは、それだった。


 見慣れた部屋。寝慣れたベッド。見慣れない夢。

 何度まばたきをしても、さっき夢で見たものが信じられなかった。

 篠原のあの綺麗な顔に、いったい何があったら、あんな傷が残るんだ?


「未来」の記憶を探る──そうだ。

 確か、篠原の刀傷は、高校二年の三学期に誰かに襲われたときのものだった。

 そして、その事件こそが、あいつが突然転校した理由だったはずだ。


 相手は誰だ?

 どうして、そんなことをした?


 確か、犯人は同じ学校のやつだった気がする。

 そいつの顔を必死に思い出そうとする。だけど、どうしても思い出せない。

 記憶は、壊れたディスクみたいだった。肝心なところで情報が欠けていて、考えがうまく繋がらない。

 何より、篠原が襲われた具体的な日付が、まだわからなかった。


「……」


 くそ。いちばん忘れちゃいけない情報だろうが。それなのに、頭の中には残っていない。

 未来の俺はボケちまったのか? なんでこんなに記憶が穴だらけなんだよ?

 どうでもいいエロ動画の番号は完璧に覚えているくせに!


 焦りながら頭を掻き、どうにか脳細胞を働かせようとする。

 そこで、相談できる頼もしい助っ人がいたことを思い出し、顔を上げた──


「あれ? どこ行った?」


 ところが、助っ人のルビーが見当たらない。

 いつも当たり前のように宙に浮いているあいつが、今日は定位置にいなかった。

 右を見て、左を見る。部屋中を探しても、あのピンクツインテールはどこにもいない。


 ちっ。使えねえやつ。

 普段から大して役に立ってないくせに、いちばん必要なときに限って姿をくらましやがって──


 そう思った途端、ベッドの右側から物音がした。


「んん──……広志、さん……?」

「???」


 すんません。今、どういう状況?


 わけがわからないまま右を見ると、鮮やかなピンクの長い髪が、ベッドの上に広がっていた。まるで桜色の花びらを敷き詰めたみたいだ。

 その桜色の中に、若い女が横向きに眠っている。


 いやいや、若い女って何だ。うちの残念な天使候補生、ルビーじゃねえか。

 なんで俺の隣で寝てんだよ?

 つーか、霊体にも睡眠って必要なのか?


 戸惑う俺とは対照的に、ルビーの顔は実に安らかだった。

 小さな鼻から規則正しい寝息が漏れ、口元からはよだれが垂れている。いい夢でも見ているらしい。


 俺はそのまま視線を下へとスライドさせた。

 子供のようにあどけない寝顔の下では、豊満な胸が横向きの寝姿勢で押し寄せられ、形を変えながら、悪魔のように俺を誘惑していた。


 ごくり、と俺は思わず唾を飲み込んだ。

 頭の中で、天使と悪魔が激しく争っている。


 幸い、理性が邪念に打ち勝った。

 俺はふうっと息を吐き、ベッドから起き上がって、この危険地帯を離れようとした──


 ところが、その瞬間、俺の手が謎の力に乗っ取られた!


 勝手に動き出した手が、すっと伸びていく……

 ルビーの胸へと、遠慮もためらいもなく──


 史上最低の手つきで、むんずとわしづかみにしてしまった。


「…………」


 強烈な虚無感と罪悪感が俺を襲った。

 うおおおお、完全にすり抜けちまったああ──これが虚無感の理由。

 うおおおお、こんな残念天使への欲情に負けちまったああ──これが罪悪感の理由。


 俺が心底残念そうな顔で、ルビーの胸元で何度も空をつかんでいると……

 突然、針で刺すような視線を感じ、ぴたりと手を止めた。


「一体何をやっているんですか、広志さん?」


 ルビーがギロリと俺を睨みつけていた。まるでゴミでも見るような目で。


「すまん、指が痺れたから、ちょっと動かしてみただけだ」


 俺はしれっと白々しい嘘をつきながら、再び指をピクピクと動かしてみせる。


「へぇ〜、そうなんだぁ?」

「ああ、そうそう」

「なるほどなるほど。指が痺れたんですか。それなら仕方ないですね──って、そんな見え透いた嘘が通用すると思ってんのか、このスケベ野郎! 変態! セクハラ男! 大バカ者! 高橋広志ーーっ!!」


 ルビーは怒りの叫びを上げながらベッドから飛び上がり、俺に「廬山昇龍覇(ろざんしょうりゅうは)」を叩き込んできた。

 もちろん、見事にすり抜けて俺に触れることはない。


「テメェ、勝手に俺の名前を悪口に混ぜんじゃねえよ! この落ちこぼれ天使候補生め!」


 俺は図々しくも怒鳴り返し、「ペガサス流星拳」をお見舞いしてやった。

 もちろん、見事にすり抜けて彼女に触れることはない。


 俺たちは、触れられもしないくせに、その場で殴り合いを始めた。


 攻撃は一発も当たらない。

 それなのに、勢いだけなら屋根を吹き飛ばしそうだった。


 いや、俺が悪いのは分かってるけどさ、こればっかりは仕方なくねえ?

 この高橋広志は結城リトじゃないんだ。あんなに自制心があるわけないだろ……


 何度か攻防を繰り返した末、体力を使い果たした俺とルビーは、そろって床に膝と手をついた。

 俺は床を見つめ、改めて今の状況を考える。


 霊体相手に喧嘩してる自分って、バカじゃねえの?


「はぁ……はぁ……お、お前──……はぁ……」

「な、何よ……最後まで言ってよ、情けないなあ、広志さん……」

「お前……霊体だろ? 霊体でも……寝る必要、あんのか……?」


 俺は床に寝転がり、息を切らした。

 まだ朝っぱらだってのに、一日中石でも運んだみたいに体が重い。

 ルビーは俺より先に回復し、息を整えてから口を開いた。


「霊体だろうと生身だろうと、知性のある存在には休息が必要なの」

「はぁ……そ、そうなのか?」

「当たり前でしょ。天使がみんな、スーパーマンみたいにいつまでも働けるなら、新人を補充する必要なんてないじゃない。少しは頭を使ってよね、広志さん」

「な、なるほどな……」


 ってことは、俺が寝ている間は、ルビーも寝ていたのか。

 その間、どうやって暇を潰してるんだろうと思っていたけど、俺と一緒に寝てたんだな。

 そう考えると、ふと親近感が湧いてきた。


 そうだよな……

 こいつは叫ぶし、騒ぐし、笑う。それに、休む必要だってある。俺と同じだ。

 そんなやつと二晩を過ごし、友達みたいに一緒に寝ていたわけで──

 触れられないことを除けば、天使と人間に、いったい何の違いがあるんだろう。


 ぼんやりと天井を見つめながら、呼吸を整える。

 体はくたくたなのに、気分は妙にすっきりしていた。

 こういう付き合い方、嫌いじゃないかもしれない……

 この頭のおかしいツインテールと言い合うのも、案外気が晴れるもんだ。


 そんなことを考えていると──きい、と。

 間の悪いことに、部屋のドアが開いた。


「…………美杏?」


 驚いた。入り口に立っていたのは、妹だった。

 あまりにも突然のことで、俺は呆然とした。


 美杏も、同じように固まっていた。

 幼さの残る顔に、怯えと戸惑いが浮かんでいる。

 怪しいやつを見るような目で俺を見ながら、そっと一歩後ずさった。


挿絵(By みてみん)

(※生成AIを使用して制作した挿絵です。)


 やべえ。

 さっきルビーと喧嘩してたところ、見られたのか?


 ……いや、そんなことはどうでもいい。

 それより、いつも部屋に閉じこもっているあいつが、どうしてここにいるんだ?

 もう、自分から部屋を出られるようになったのか?

 人を見てもパニックにならなくなったのか?


 聞きたいことが、次々と頭に浮かぶ。

 だけど、口を開くより先に、妹はくるりと背を向け、振り返りもせず自分の部屋へ逃げ込んでしまった。


「…………」

「…………」


 俺とルビーは顔を見合わせた。部屋に、静けさが戻る。

 やがて、ルビーは口元を押さえ、面白がるように言った。


「ぷぷ~。かわいそうな男子高校生だと思われちゃったね、広志さん」

「……」

「『エア友達』と喧嘩してるなんて、お兄ちゃんとしての威厳も、もう台無しだね?」

「黙れ、この天使落第生」



 /////////



「落第生」呼ばわりしたのが、よほど気に食わなかったらしい。

 ルビーはいつものように俺の後ろについてくるものの、今日は拗ねたようにそっぽを向き、目も合わせなければ、口も利こうとしなかった。


 この状態で篠原のことを聞いても、答えてくれそうにないな。

 ため息をつき、いつものように妹の食事を用意してから、鞄を持って学校へ向かおうとした。


 玄関で靴を履きながらスマホを見ると、霞からメッセージが届いていた。昨日は一日中、こっちが送ったメッセージに既読すらつかなかったのに。

 しかも、一件や二件じゃない。百件以上だ。


「…………」


 百件以上。

 見間違いかと思った。


 トーク画面を開くと、霞からのメッセージで埋め尽くされていた。

 最初は、昨日既読をつけられなかったことへの謝罪だった。

 次は、会いたい。

 すごく会いたい。ものすごく会いたい。早く会いたい。


 ここまでは、まだ理解できる。

 だけど、深夜に届いた一通は──


『家の人に内緒で、こっそり抜け出しちゃった。えへへ♥』


 …………

 嫌な予感がする。


 さらに下へスクロールする。


『広志くん、家の前に着いたよ』


 ……は?


 指が止まった。

 そのあとのメッセージは、なぜか実況中継になっていた。


『あ、お日様が出てきたね』

『広志くん、まだ起きてないの? 寝坊はよくないよ』

『もうすぐ約束の時間だよ。まだ起きてないの?』


 …………

 待て。こいつ、いったい何時間うちの前にいるんだ?


 さらに下へ進むと、もっととんでもないものが目に入った。


『出てきてくれないなら、私が入っちゃうよ』

『広志くんの家の鍵、簡単に開けられそうだね。勝手に入ったら、怒る?』

『今日は特別な日だから、早く広志くんに会いたいよ。もう我慢できなくなっちゃいそう……』

『うぅ、手、怪我しちゃった……また怒られちゃう……』

『あ、ちょうど道具を持ってたんだった!』


「…………」


 胃が痛い。

 頭も痛い。


 どうにか現実から逃れようとしていると──


 カチャ。カチャカチャ。


 玄関のドアの向こうから、金属の触れ合う音が続けざまに聞こえてきた。

 どう考えても、誰かが外で、うちの鍵の構造を調べている。


 さっき美杏が俺の部屋に来たのは、ドアの向こうで怪しいやつが何かしているのに気づいて、俺を起こそうとしたからなんじゃないか?


 苛立ちながら頭を掻き、深く息を吸って、玄関のドアを開けた──


「あ、おはよう、広志くん~!」


 あいつは、晴れやかな笑顔で挨拶した。

 綺麗で、元気いっぱいで、魅力的な笑顔。

 事情を知らないやつが見たら、羨ましくて仕方ないくらい、完璧な彼女に見えるんだろう。


 ……手に持ったマイナスドライバーを見なければ。

 ……その手から滴る血を見なければ。


 すると、あいつは手の怪我も気にせず、駆け寄って俺の胸に飛び込んできた。

 豊満な胸が俺の胸板に押し付けられ、その生々しい柔らかさが伝わってくる。


 そう。

 これは触れようとしてもすり抜けてしまうルビーの霊体なんかじゃない。

 ちゃんと見えるし、触れることもできる、正真正銘のおっぱいだ。


 だけど、少しも嬉しくなかった。

 鼻先に届いた髪の香りに、むしろ吐き気さえ込み上げてくる。



 ──一(・)ノ(・)瀬(・)霞(・)。

 い(・)っ(・)た(・)い(・)、ど(・)の(・)お(・)前(・)が(・)、本(・)当(・)の(・)お(・)前(・)な(・)ん(・)だ(・)?

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