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彼女を振っても刺されない方法って、ある?  作者: 柊弐男
第四章 封ざされた未来
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EP.14 未来の話、過去の話

 テレビ。

 生中継。

 背景幕。

 いじめ防止キャンペーン。


 俺は画面の前に座り、いじめ防止の親善大使に選ばれた高校の同級生が、大勢の人を前にスピーチする姿を眺めていた。


 何年か見ないうちに、篠原はずいぶん人当たりがよくなっていた。

 カメラを前にして、あんなに魅力的な笑顔を見せられるなんて。

 親しみやすくて、自然で、高校時代の全身に棘が生えているような感じがまるでない。

 なるほど。国民的アイドルになれたのは、こういうところか。


 だけど、一つ一つの仕草には、相変わらず几帳面さが残っている。

 マイクを握り直すと、顔から笑みが消えた。

 篠原はすっと背筋を伸ばし、真剣な表情になる。まるで高校時代に戻ったみたいだ。

 選挙演説中の政治家だって、ここまで生真面目な顔はしないだろう。


『高校時代、転校する前のクラスに、一人のろくでなしがいました』


 テレビの中のあいつは、懐かしむような口調で切り出した。

 どうやら、昔いじめられていた経験を語るつもりらしい。


『そのろくでなしは、本当にひどい人でした。しょっちゅう授業をサボるだけでなく、平然と女の子に下品な冗談を言う。素行が悪く、無神経で、人の神経を逆なでするようなことばかりする。史上最低の男と言ってもいいくらいです……私も、その被害者の一人でした』


「へっくしょん」


 なぜか、くしゃみが出た。冷えてきたらしい。


『でも、そのろくでなしは、私に普通に接してくれた、たった一人の人でもありました』


 篠原は不意に話の向きを変え、目を細めて、柔らかな表情を浮かべた。


『学生時代の私は、あまり好かれる人間ではありませんでした。当時は委員長を務めていましたが、それも投票で選ばれたわけではありません。内申書のために、面倒な役目を自分から引き受けたんです。笑わないし、融通が利かない。そう思われていたのでしょう。誰も私に近づこうとはしませんでした。あの優しいろくでなしさんを除いては』


「……」


『偏見、仲間外れ、いじめ──彼は、そういうものが大嫌いでした。憎んでいた、と言ってもいいくらいです。そして、自分なりの方法で周囲に働きかけていました。私との接し方も、その一つだったのだと思います。

 みんなが私を遠ざけていたとき、彼だけは、私を仲間外れにしようとする空気に逆らい、偏見を持たずに話しかけてくれました。だから、私もだんだん、彼と話すのが好きになっていったんです。いつもからかわれてばかりでしたけど、そのおかげで、周りから見た私の印象もずいぶん柔らかくなりました。

 相変わらず友達はいませんでしたが、少なくとも、目の敵にはされなくなったんです──あれもきっと、ろくでなしさんが、さりげなく気を配ってくれていたおかげなのでしょうね。もちろん、本人は認めないでしょうけど。何しろ、ろくでなしですから。正義の味方になるのが大嫌いなんです』


 そこまで話すと、会場から笑いが起こった。

 あの篠原が、人を笑わせるユーモアまで身につけていたとは。テレビを見ながら、俺は驚いていた。


 そう思った矢先、あいつはまた軽やかな口調を改め、真剣な顔に戻った。


『いじめの問題を考えるとき、個々の出来事の表面だけを見ていてはいけません。その場にある「空気」こそが、問題の根源なんです。

 影響力のある誰かが、別の誰かを動かす。そうして、一人を排除する流れが少しずつ広がっていく。周りの人たちも、「自分も同じことをしなければ、今度は自分がそうされるかもしれない」と思うようになる。

 私自身、当事者だったからこそ、強く感じることがあります。もし社会に、ろくでなしさんのように周囲に流されない人がもっといたら、いじめはずっと少なくなるのではないでしょうか』


 つまり、空気が読めないことも、ときには薬になるんですね──篠原はまた冗談めかして言い、会場を笑わせた。


『──ただ、私は今でも、ろくでなしさんのやり方には賛成できません』


「……」


『彼は正義の味方ではありません。自分の基準に従って、好きなように行動する人です。だから、ときには手段が過激になり、暴力に暴力で対抗することで、いじめを止めようとする。それが、私にはどうしても賛成できないところです』


「……」


『私と知り合う前、彼はクラスメイトをかばうために乱闘騒ぎを起こし、学校から転校を勧められることになりました。その行動には、かつて自分が理不尽に虐げられたことへの反動もあったのでしょう。

 けれど、そういうやり方は他人を傷つけるだけでなく、自分自身をも傷つけます。そして、別の形のいじめにもなりかねません。だから、同じ思いを抱いていても、彼のやり方に賛成したことはありません』


「…………」


 どう考えても、テレビの中のあいつが話しているのは俺のことだった。



 確か、高校二年の一学期だったか。


 当時のクラスに、肌が黒くて、背が低く、太っていて、顔にニキビのあるやつがいた。

 見た目がぱっとしないうえに、話すときに息が荒くなるせいで、みんなから「黒イノシシ」と呼ばれていた。


 クラスには、黒イノシシと中学でも同じクラスだった連中が何人かいた。

 そいつらは、新しいクラスにまで、あいつへのいじめを持ち込んだ。

 からかったり、罵ったりするのは日常茶飯事。


 いちばん胸糞悪かったのは、仲間同士で示し合わせてあいつをクラスの会計係に選び、そのあと、あいつが預かっていたクラス費を盗んだことだ。

 責任を何もかもあいつに押しつけ、自分たちは盗んだ金で飲み食いしていた。

 証拠がないから、担任もそいつらには手を出せない。黒イノシシと、なくなったクラス費を誰がどれだけ負担するか相談するしかなかった。


 あの連中は、さぞ気分がよかっただろうな。

 好き放題いじめた挙げ句、自分たちは何のおとがめもなく、うまいものを食っている。まるで、この社会の縮図だ──


 ただし、あいつらは一つ、完全に見落としていた。

 そのクラスには、こういうことを何より嫌う狂犬がいたのだ。


 狂犬。

 そう。あいつは、ただの狂犬だった。


 は?

 証拠がないから、どうにもできないだって???


 おいおい、何があったかなんて、見りゃ誰にでもわかるだろ。知るかよ、そんなもん。


 狂犬──つまり俺は、みんなの前で机をひっくり返し、拳を振り上げ、いじめの主犯の顔面に叩き込んだ。


 証拠なんかいらない。話し合うのも面倒くさい。


 あの日の朝自習は、実に見応えがあった。

 全校朝礼で校長が話すときだって、みんなここまで熱心には聞かないだろう。

 高校生なんて、騒ぎがあれば見に来る生き物だ。

 いつの間にか廊下は人で埋まっていた。誰も止めようとはせず、面白がってはやし立てていた。


 結局、騒ぎが学校側に知れ渡り、俺もあの連中も怪我をしたうえ、まとめて転校を勧められた。痛み分けってやつだ。

 そうして、高校二年の夏休みに元の学校を離れることになった俺は、二学期が始まる頃、霞のいるクラスへ転校した。


 被害者の黒イノシシは、その後どうなったのかって?


 知らない。

 知る手段もない。


 そもそも、俺とあいつは大して親しくなかった。メールアドレスすら交換していない。

 それでも、俺はぶち切れた。


 友情のためじゃないし、単に正義感に駆られたわけでもない。

 俺があの主犯をぶん殴ろうと決めた理由は──簡単だ。

 盗まれたクラス費には、親父が苦労して稼いだ金も入っていたからだ。


 それ以外は、あいつが気に食わなかったから。

 そう。気に食わなかった。


 俺は、目の前で一方的に誰かが虐げられているのを見るのが、何より嫌いだ。妹の悲惨な過去を思い出すから。

 それまでキレずにいたのは、黒イノシシ自身が事を荒立てたくないと思っていたからだ。だから、俺も手を出さなかった。


 だけど、クラス費の件は我慢できねえ。

 悪質すぎる。

 あの連中の得意げな面を見ていると、腹が立って、ぶん殴りたくて仕方がなかった。


 篠原の言う通りだ。

 俺は正義の味方なんかじゃない。ただ、好き勝手に生きているクソ野郎だ。


 陰で誰をいじめていようが、俺の知ったことじゃない。

 だけど、その調子に乗った面を俺に見せるな。俺に迷惑もかけるな。

 でなけりゃ、この高橋広志、腹が立ったら容赦なく暴れてやる。

 小学生の頃、妹の教室に乗り込んで、あいつの代わりに仕返ししてやったときみたいにな。


 篠原が、どこであの過去を知ったのかはわからない。

 委員長だから、先生にでも聞いたのか?

 どっちにしろ、あいつが賛成しなくたって、俺はやり方を変えない。


 俺は、人間の悪意を知っている。

 ああいう悪党どもよりも凶暴にならなきゃ、虐げられる状況をぶち壊せないことだってあるのだ。



 そんなことを考えていると、テレビの中の篠原が動いた。

 片手にマイクを持ったまま、もう片方の手で、そっと自分の顔に触れる。



 『高(・)校(・)二(・)年(・)の(・)三(・)学(・)期(・)、私(・)が(・)襲(・)わ(・)れ(・)た(・)ときも、ろくでなしさんは、私のために相手に報いを受けさせようとしてくれました』



 鼻筋を横切る刀傷を撫でながら、あいつは感慨深げに言った。


『あのとき、彼を止めておいてよかったと思います』

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