EP.11 委員長が俺を好き? ウケる
「あの子、絶対に広志さんのことが好きなんです」
「うおっ、くそ!」
小便器の前で、俺は叫んだ。
手にかかったあああ~~!
「ちょ、汚いよ、この人間! ちゃんと狙いもつけられないの!?」
ルビーが目を覆って叫んだ。
「お前がいきなり後ろから変なこと言うからだろ!」
おいおい、小便中の男ってのは無防備なんだぞ。
そんなときにとんでもないことを言われたら、びくっとするに決まってるだろ?
洗面台の鏡越しに、あのピンクツインテールをじとっと睨んだ。
ルビーも負けじと、鏡の中から睨み返してきた。
篠原に教室から引っ張り出されたあと、俺は小便を口実にトイレへ逃げ込んだ。
霞に連絡するべきか、考える時間を稼ぐためだ。
連絡しなければ、不審に思われるかもしれない。
だけど、連絡したら好感度が上がりそうで怖い。
……どうすりゃいいと思う?
はぁ。誰か、ヤンデレに嫌われる方法を教えてくれ、頼む。
「ふん。変なことなんて言ってないよ。こんなの、見ればわかるでしょ、広志さん」
ルビーは腕を組み、もう一度言った。
「あの子は広志さんが好きなの。絶対にそう」
「はは。そーかよ。ウケる」
「何笑ってるの? この使者様をバカにしてるわけ?」
「だって、お前の言うことが面白すぎるんだよ。いったいどこをどう見たら、篠原が俺を好きだって話になるんだ?」
思えば、半年前にこのクラスへ転校してきて以来、篠原はなぜか俺に敵意を向けていた。
しょっちゅう説教しに来るだけじゃない。テストで悪い点を取れば嫌味まで言ってくる。
明らかに、俺を目の敵にしている。
まあ、「いじめ」なんて大げさなものじゃない。ちょっと突っかかってくる程度だ。
あいつが俺を嫌う理由も、わからなくはない。
ああいう優等生にとって、俺は排除すべき異分子なのかもしれない。
この高橋広志、不良ってほどじゃないけど、規則をきっちり守る生徒でもない。「いい加減なやつ」とでも言えばいいだろうか。
授業中はぼんやりしたり、私語をしたり。遅刻や欠席もしょっちゅうで、たまには授業をサボって野球を見に行くことだってある……
そんな気ままな性格のおかげで友達は多いけど、厄介者扱いして近づきたがらないやつもいる。先生とか、委員長の篠原とか。
別に構わないさ。
気が合えば友達になるし、合わなきゃそれまでだ。俺はそれでいい。
ところが、そんな話を聞いたルビーは、人差し指を左右に振った。
「ちっちっち。そこなんだよ、広志さん」
「は?」
「興味がないなら、どうしてしょっちゅう構ってくるの? 女の子って、本当に嫌いな男の子には冷たいんだよ。余計なことなんて、一言も話したくないの。それなのに、あの委員長さんはいつも広志さんに話しかけてくるんでしょ? それって、好きだって証拠じゃない?」
「考えすぎだって。好意なんか、これっぽっちも感じねえよ」
むしろ、委員長に好かれていたら、どうしていいかわからない。
いつもあんなにいがみ合ってるんだぞ。
「……はぁ。広志さんみたいな人に、どうして彼女ができたんだろうね」
「なんだよ。文句あんのかよ。このピンクツインテールめ」
「何よ? ツインテールが何か気に障ったってわけ? この使者様が言いたいのはね、鈍すぎるってこと。女の子の気持ちが、全然わかってないんだよ」
「へえ? お前はわかってるって?」
半信半疑の目を向ける。
「もちろん! 人間の感情を理解するために、この使者様は人間界の恋愛漫画をたくさん読んできたんだから!」
ルビーはそれなりに膨らんだ胸を得意げに叩き、自信満々に言った。
はぁ。また『いちご100%』を読んだだけで、恋愛マスターになったつもりのガキか……
「私たち天使は、みんな神様が作った霊体なの。人間の知識は与えられてるけど、人間同士の感情のやり取りまでは理解できないんだよ。だから、いろんな方法で、いわゆる『人間社会での経験』を積むわけ。誰かに相談されたとき、ちゃんと助言できるようにね。今みたいな恋愛の話とか」
「なるほど。じゃあ、一応聞くけど、最近はどんな恋愛ものを読んで勉強してるんだ?」
「『To LOVEる』」
「何の参考にもならねえーーよ!」
いやいや、『To LOVEる』が面白いのは認めるぞ? めちゃくちゃ面白いぞ?
でも男向けのハーレム漫画を恋愛の教科書にしてどうすんだよおおおお!
まさか、リトみたいに転んでラッキースケベを起こせば、どんな女も恋に落ちるとでも思ってんのか?
「と、とにかく! この使者様は、気をつけてって言いたいの!」
「気をつける?」
「そう。広志さんは気づいてないけど、あの子は絶対に好意を持ってるよ。広志さんがどう思おうと、女の子から見たら、そういうことなの」
「…………」
正直、あまり信じる気にはなれない。
だけど、あまりにも真剣なので、ひとまず話に乗ってやることにした。
「……で、何が言いたいんだ?」
「つまり──霞さんに見られないように、気をつけてねってこと」
「霞に見られないように?」
「そうだよ。自分の彼氏が、『彼氏のことを好きかもしれない』委員長さんと二人きりでいたら、絶対に怒るでしょ」
「……」
「殺意まで湧いちゃうかもね」
「!!」
さらっと、とんでもなく怖いことを言いやがった!
思わず体がびくっとした。
そうなのか?
ほかのやつから見れば、篠原は俺に気があるように見えるのか?
…………
もしそうなら、俺にとっても、篠原の奴にとっても、確かに不安の種だ。
いつ霞が俺たちに何かしてくるかわからない。
やっぱり、距離を置いたほうがいいのか?
そう考えたところで、間の悪いことに、入り口の向こうから委員長の声がした。
「ねえ、高橋。まだ終わらないの?」
「……」
「お花摘みに女の子より時間のかかる男の子なんて、初めて見たわ。何か困ったことでもあるの?」
「……」
ああ。
さっき、自分の手に小便かけちまったところなんだよ。
/////////
どこへ連れていかれるのかと思ったら、職員室だった。
担任に事情を聞くと、霞はやはり風邪をひいていた。
緊急連絡先の相手の話では、まだ高い熱があるらしい。
今日、LINEがあんなに静かなのは、そのせいか。
はぁ。何時間も雨に打たれてりゃ、そうなるに決まってるだろ。
少し腹が立った。だけど、驚きはなかった。
あいつと付き合った五年間、こんなことは珍しくもなかったからだ。
俺のために怪我をして、俺のために血を流して、俺のために自分を傷つけて……
何より怖いのは、本人がそれを「愛の証」だと思っていることだ。そうやって尽くすのを誇りにさえ感じ、恋人の特権だと考えている。
病んでる。
どう考えても普通じゃない。
あいつが自分を燃やし尽くすように俺を愛するほど、俺は離れたくなった。
何もかも投げ出すような恋愛に、俺は興味がない。
恋人を人生の最優先にする、という生き方にも賛同できなかった。
俺は、自分を一番大切にするべきだと思っている。他人はその次だ。実際、そうやって生きてきた。
たとえば、俺と霞が一緒に溺れたとする。俺なら、まず自分の命を守り、余裕があればあいつを助ける。
だけど、霞の答えはきっと違うだろう。
だからこそ、未来の俺は罪悪感に押し潰されたのだ。
一の瀬霞はすべてを捧げることをいとわない。だけど、この高橋広志には、同じことができない。
要するに、俺には、溺れたあいつを救うために自分を犠牲にするなんてことはできないんだ……
その違いが、俺に強烈な自責の念を抱かせた。
そして、大学を卒業する年、今度こそ別れようと心を決めて──
「──橋。高橋広志!」
「!?」
委員長の声に、俺は我に返った。
顔を上げて、はっと気づく。
そうだ。
今の俺は二十二歳じゃない。十七歳の高校生なんだ。
「どうしたの? ぼんやり突っ立ってて……」
「……悪い。寝不足かも」
混乱した頭を掻いた。
「昨日は一日中サボっていたのに、まだ寝足りない? まあいいわ。先生がさっき何を言っていたか、聞いてた?」
「先生、何て言ってたんだ?」
「…………」
何もわかっていない俺を見て、篠原はため息をついた。まったく仕方がない、とでも言いたげな顔だ。
「一ノ瀬さん、昨日は校外模試の申込書を出していなくて、今日は病欠でしょう。明日が主催者への申し込みの締め切りだから、明日も学校に来られなかったら困るの。先生に、今日のうちに一度家に行って、必要な書類を全部受け取れるか確認してきてほしいって頼まれたのよ」
「……霞の家に?」
「ええ。住所は書き写しておいたわ」
整った字で書かれたメモを受け取る。確かに、そこには住所が記されていた。
その文字を見て、今さら気づいた。
俺は、あいつがどこに住んでいるのかさっぱり分からない。
付き合っていた五年間を振り返っても、霞の家の事情にはまるで詳しくないし、住んでいる家を見たことすらなかった。
聞かなかったわけじゃない。
だけど、その話になるたびに、いつも笑ってはぐらかされていた。
あいつは俺のことを何でも知っているのに、俺はあいつのことを何も知らない──
そんな不釣り合いな関係だったからこそ、俺たちは少しずつおかしくなっていったのかもしれない。
「言っておくけど、あなたも来るのよ、高橋」
委員長が、不意に付け加えた。
「え?」
「まったく。あなた、彼氏でしょう?」
篠原は両手を腰に当て、大真面目に言った。
「だったら、ちゃんと責任を取りなさいよ」




