第57話 朝比奈組の歴史
翌朝。
朝比奈家の屋敷は、いつもと変わらぬ静けさに包まれていた。
食堂では、日和と玄十郎が向かい合って朝食をとっている。
ナイフとフォークの音だけが静かに響く。
食事が終わると、玄十郎がコーヒーカップを置いた。
「日和。」
「はい。」
「この後話をしようか。」
日和は姿勢を正した。
「……はい。」
⸻
玄十郎の書斎。
窓から差し込む朝日が、重厚な机を照らしている。
ジョンと黒田も部屋の隅で静かに控えていた。
「先日、お前は命を奪うことをためらった。」
玄十郎が口を開く。
「それ自体を責めるつもりはない。」
日和は少し驚いたように父を見る。
「……え?」
「人の命を軽く扱う者に、組を任せる気はない。」
その言葉に、日和は思わず目を見開いた。
「だが。」
玄十郎の声が少し低くなる。
「守るべきものがある者は、時として決断を下さねばならない。」
「お前は、その覚悟がまだ足りない。」
日和は唇を噛んだ。
「……はい。」
⸻
玄十郎は机の引き出しから一冊の古びた帳面を取り出した。
それを日和の前へ置く。
「これは?」
「朝比奈組の歴史だ。」
日和はそっとページを開く。
そこには歴代組長の記録が、丁寧な文字で綴られていた。
組の成り立ち。
街を守ってきた出来事。
失敗。
成功。
そして、犠牲になった者たちの名前。
一人ひとりの記録が残されている。
「これは……。」
玄十郎は静かに言う。
「武器の使い方より先に、お前が知るべきものだ。」
「朝比奈組が何を守り、何を背負ってきたのか。」
「それを知らずして、組長にはなれない。」
日和は一ページ一ページをめくる。
その重みが、指先から伝わってくるようだった。
⸻
「今日から。」
玄十郎は立ち上がった。
「時間のある日は、この記録を読みなさい。」
「そして、お前自身で考えろ。」
「朝比奈組とは何か。」
「ボスとは何か。」
日和は帳面を胸に抱え、小さく頷いた。
「……はい。」
⸻
書斎を出ると、ジョンが隣へ並ぶ。
「お嬢。」
「どう思われましたか。」
日和は少し考えた。
「この前は怒られたって思ってた。」
「でも。」
帳面を見つめる。
「お父様は、私に武器じゃなくて歴史を渡した。」
「……うん。」
「ちゃんと向き合ってほしいってことなのかな。」
ジョンは穏やかに微笑む。
「ボスらしい、お考えでございます。」
日和も小さく笑った。
「難しいけど。」
「少しだけ、お父様の気持ちが分かった気がする。」
ジョンは何も言わず、その成長を見守るように頷いた。
朝比奈家の長い廊下を歩く日和の腕には、一冊の古い帳面が抱えられていた。
武器よりも重い一冊だった。
その意味を理解するには、まだ日和には多くの時間が必要だった。




