第53話 お嬢の仕事
数日後。
日和は自室で机に向かっていた。
机いっぱいに広げられているのは、世界地図と旅行雑誌。
ノートには細かな文字が並んでいる。
『行ってみたい場所』
『現地で食べたい料理』
『見てみたい景色』
夢中になってペンを走らせていた。
コンコン。
部屋の扉がノックされる。
「失礼いたします。」
ジョンだった。
「お嬢。」
「ボスがお呼びです。」
日和はペンを止め、小さく息をつく。
「……分かった。」
ノートをそっと閉じる。
表紙には、小さな文字で書かれていた。
『世界一周計画』
誰にも見せたことのない、大切なノート。
日和はそれを引き出しへしまうと、静かに立ち上がった。
玄十郎から呼び出された理由は、朝比奈組と敵対組織の緊張が高まり、現場は一触即発といった事態だった。
玄十郎は日和を連れて現場へ向かう。
「今日は見学ではない。」
「お前も朝比奈組の人間として前に出ろ。」
日和は小さく頷く。
「……はい。」
⸻
緊迫した空気の中、争いが始まる。
日和も護身用の武器を手にする。
しかし、相手へ向けたその手は震えていた。
(撃てない。)
(人を傷つけたくない。)
意を決して引き金を引く。
だが、そへは相手の命を奪うものではなく、動きを止めることを優先したものだった。
その隙に組員たちが相手を取り押さえられた。
⸻
騒ぎが収まり、屋敷へ戻る。
玄十郎が静かに口を開く。
「なぜだ。」
日和は俯く。
「……命を奪いたくなかった。」
玄十郎の表情は変わらない。
「情けをかけた結果、仲間が命を落としたらどうする。」
「お前一人の問題ではない。」
「お前の判断一つで、組全体が危険にさらされる。」
日和は何も言い返せない。
「……だけど。」
絞り出すように言う。
「私は、人を殺したくない。」
玄十郎はしばらく娘を見つめたあと、静かに背を向ける。
「だから、お前はまだ甘い。」
そう言い残し、部屋を去っていく。
⸻
そんな日和の状況を知る由もなく、月が丘女学院高等部1年生のグループチャットには、一枚の楽しげな写真が送られてきた。
送信者は葵。
『かき氷食べてる!』
その下には、
『みんな今度行こう!』
というメッセージ。
すぐに返信が続く。
雅
『いいね。』
小百合
『ぜひぜひ!』
瑠璃
『暑いから賛成。』
マリア
『みんなで予定を合わせましょうね。楽しみだわ。』
すでに葵から、
『日和も絶対参加ね!決まりー!!』
とメッセージが入っており、勝手に参加が決まっていた。
日和は微笑みながら、スマートフォンを閉じる。
そして、自室で世界地図を見つめる。
昼間の出来事が頭から離れない。
「私は……。」
「どうしても、人を傷つけることができない。」
引き出しから『世界一周計画』のノートを取り出す。
「本当は、こんな世界じゃなくて。」
「いろんな景色を見て、いろんな人と笑い合いたいだけなのに。」
ページをそっと閉じる。
その瞳には涙が浮かんでいた。




