第38話 おかえり
夏の朝の校舎は、生徒たちの「ごきげんよう」という挨拶で満ちていた。
その懐かしい声に、美咲は思わず足を止める。
(帰ってきたんだ……。)
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「朝霧さん。」
後ろから優しい声が聞こえる。
振り返ると、学院長が穏やかに微笑んでいた。
「学院長……。」
「おはようございます。」
「ごきげんよう。」
学院長は優しく頷く。
「今日来られたこと、とても嬉しく思います。」
「ありがとうございます。」
「でも。」
学院長は少しだけ真面目な表情になる。
「今日は頑張りすぎないこと。」
「辛くなったら、すぐに教えてくださいね。」
「はい。」
美咲はしっかりと返事をした。
⸻
教室の扉の前まで来ると、胸が少しだけ高鳴る。
何度も深呼吸をした。
ガラリ、と扉を開ける。
「ごきげんよう。」
一瞬。
教室が静まり返る。
次の瞬間。
「美咲!」
「来られたんだ!」
「おはよう!」
あちこちから嬉しそうな声が上がった。
「ごきげんよう。」
「体調は大丈夫?」
「久しぶり!」
友人たちが次々と集まってくる。
その笑顔は、どれも自然だった。
美咲は少し驚いたように目を丸くする。
「みんな……。」
思わず笑みがこぼれる。
「ただいま。」
その一言に、
「おかえり!」
教室中から声が返ってきた。
その瞬間。
美咲の瞳に涙が浮かんだ。
ずっと怖かった。
「久しぶりだから気まずいかもしれない。」
「忘れられているかもしれない。」
そんな不安が、少しずつ溶けていく。
「美咲。これ。」
差し出された手には小さなフェルトのお守りが乗っていた。
カラフルなフェルトと刺繍糸で校章が刺繍されている。
友人たちが顔を見合わせて少し照れながら笑った。
「みんなで相談したの。」
「美咲が病院にも持って行けるように。」
「お守り代わり。」
美咲はお守りへそっと触れる。
胸がいっぱいになった。
「ありがとう……。」
その声は涙で少しかすれていた。
「これで美咲は毎日私たちのことを思い出すね!」
友人は悪い顔をして、悪戯っぽく笑った。
美咲は思わず吹き出す。
「忘れるわけないでしょう。」
教室に笑い声が広がる。
⸻
午前中の授業は、あっという間だった。
教科書を開き、ノートを取り、先生の話を聞く。
何気ない時間。
以前は当たり前だと思っていた時間。
けれど今は、その一つ一つが愛おしかった。
午前中の授業の終わりを告げる鐘が鳴る。
先生が優しく声を掛けた。
「朝霧さんは今日はここまでにしましょう。」
「無理は禁物ですからね。」
「はい。」
美咲は笑顔で頷いた。
帰り支度をしていると、友達が声を掛ける。
「また来週ね。」
「うん。」
「また来週。」
その約束が嬉しかった。
毎日ではない。
それでも。
「また来週」と言える場所が、自分にはある。
病院へ戻る途中、美咲は夏空を見上げた。
「私の普通。」
小さく呟く。
毎日通えなくてもいい。
みんなと同じでなくてもいい。
今日という一日が、自分にとってかけがえのない一日だった。
そのことを、美咲は誰よりもよく知っていた。




