第34話 優しさのバトン
翌日も美咲は院内学級で過ごしていた。
生徒たちはそれぞれのペースでノートを開いている。
美咲も昨日より少しだけ表情が柔らかかった。
「美咲ちゃん。」
昼休みになると、先生が優しく声を掛けた。
「少しお願いしてもいいかしら。」
「はい。」
「新しく入院してきた子がいるの。」
「まだ病院にも慣れていなくて……。」
美咲は静かに頷いた。
先生に案内された先には、小さな女の子が一人座っていた。
小学四年生くらいだろうか。
膝の上には絵本が開かれている。
けれど、ページはほとんど進んでいなかった。
「こんにちは。」
美咲はゆっくりと声を掛ける。
少女は小さく顔を上げる。
「……こんにちは。」
その声は、とても小さい。
「私は朝霧美咲。」
「中等部二年生です。」
少女は少しだけ間を置いて答えた。
「……陽菜です。」
「よろしくね。」
陽菜は小さく頷いたものの、また俯いてしまった。
沈黙が流れる。
美咲は無理に話しかけなかった。
マリアが自分にしてくれたように。
相手の時間を待つことも、大切なのだと感じていた。
しばらくして。
陽菜がぽつりと呟く。
「みんな……学校に行ってるのかな。」
美咲は静かに窓の外を見る。
「うん。」
「今ごろ、学校もお昼休みかもしれないね。」
陽菜はぎゅっと絵本を抱き締めた。
「私も行きたかった……。」
その言葉に、美咲は昨日までの自分を重ねた。
胸が少し痛む。
けれど。
「私も、そう思ってたよ。」
陽菜が驚いたように顔を上げる。
「美咲ちゃんも?」
「うん。」
「私もずっと、『普通になりたい』って思ってた。」
陽菜は黙って耳を傾ける。
「でもね。」
美咲は優しく微笑んだ。
「この前、大切なことを教えてもらったの。」
「普通って、誰かと同じ毎日を過ごすことだけじゃないのかもしれないって。」
陽菜は首を傾げる。
「……どういうこと?」
美咲は少し考えてから答えた。
「私も、まだ全部は分からないの。」
「でも。」
「ここで『おはよう』って言って。」
「一緒に勉強して。」
「笑って。」
「そういう毎日も、ちゃんと私の毎日なんだって思えたの。」
陽菜は静かにその言葉を聞いていた。
「だから。」
美咲はそっと手を差し出す。
「明日、一緒に院内学級へ行かない?」
陽菜はその手を見つめる。
少し迷って。
ほんの少しだけ笑った。
「……うん。」
その小さな返事に、美咲も笑顔になる。
その様子を、少し離れた場所で先生が見守っていた。
先生は穏やかに微笑む。
「美咲ちゃんありがとう。」
美咲は照れくさそうに首を横へ振った。
「私……。」
「何も特別なことはしていないですよ。」
そう言いかけて、ふと気付く。
自分も同じように、誰かの言葉に救われたことを。
マリアが答えを教えてくれたわけではない。
ただ、隣で寄り添い、自分で答えを見つけられるよう待ってくれた。
その優しさを。
今度は自分が、陽菜へ手渡していた。
病院の窓から柔らかな風が吹き込む。
美咲は空を見上げ、小さく微笑んだ。
優しさは、誰かにもらって終わるものではない。
受け取った人が、また次の誰かへ届けていくもの。
そのことを、美咲は少しずつ知り始めていた。




