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月が丘の淑女たち ―名門女学院の『ルナ』が少女たちの悩みに寄り添う物語―  作者: 如月


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第19話 翡翠の覚悟

天堂寺家主催の春の祝賀会。


広大な庭園には色とりどりの花が咲き誇り、各界の名家の子息令嬢たちが華やかな衣装で談笑していた。


その中を、まだ6歳の天堂寺マリアが歩いている。


艶やかな深紅の髪揺らしながら、一人ひとりに丁寧に挨拶を返す姿は、幼いながらも堂々としていた。


その少し後ろには、燕尾服に身を包んだ6歳の少年。


新しく専属執事となった星宮翡翠だった。


まだ燕尾服も少し大きい。


それでも背筋だけは真っ直ぐ伸ばし、必死にマリアへ付き従っていた。


「翡翠?少しこちらへ。」


「はいっ。」


翡翠がマリアに呼ばれて駆け寄る。


その様子を、数人の少年が面白くなさそうに見ていた。


「……またあいつだ。」


一人の少年が鼻を鳴らす。


10歳ほどの少年だった。


以前からマリアに何度も話しかけているが、マリアは誰に対しても平等で、特別扱いをしてくれない。


それが気に入らなかった。


そして今日は、その隣に見慣れない執事がいる。


「なんであいつなんだ。」


少年は翡翠の前へ立ちはだかった。


「おい。」


翡翠はすぐに一礼する。


「お初にお目にかかります。マリア様専属執事の星宮翡翠と申します。」


「……星宮?」


少年は鼻で笑う。


「たかが執事のくせに。」


「その歳で執事なんて、生意気なんだよ。」


翡翠は静かに答える。


「執事は、主人にお仕えすることが役目です。」


その落ち着いた態度が、少年の癇に障った。


「その口の利き方が気に入らない!」


少年は翡翠の胸ぐらを乱暴に掴み上げる。


翡翠は抵抗しない。


「放してください。」


「嫌だね。」


「マリアの隣は、お前なんかが立つ場所じゃない。」


その時だった。


「おやめください。」


澄んだ声が響く。


マリアだった。


少年は振り返る。


「マリア!」


「こいつを教育してるだけだ。」


「翡翠は何も悪いことをしておりません。」


「どうか手を放してください。」


しかし少年は聞く耳を持たない。


「マリアには関係ない!」


「俺はこいつが気に入らないんだ!」


そう言うと、翡翠を突き飛ばす。


幼い身体は勢いよく尻もちをついた。


「翡翠!」


マリアが駆け寄ろうとする。


だが少年は先に一歩踏み出し、翡翠へ拳を振り上げた。


「生意気なんだよ!」


翡翠は身体が動かなかった。


避けなければ。


そう思うのに、足がすくむ。


拳が目の前まで迫る。


その瞬間。


すっと、小さな影が翡翠の前へ立った。


「マリア様!」


マリアは何も言わない。


少年の拳が振り下ろされる。


その腕を、ほんの少し外側へ流す。


同時に手首を軽く掴み、半歩だけ身体を入れ替えた。


くるり。


少年の身体が宙を舞う。


「えっ――!」


どさり。


芝生の上へ綺麗に投げ飛ばされた。


周囲の子どもたちが息を呑む。


何が起きたのか分からない。


6歳の少女が。


年上の少年を。


一瞬で地面へ転がしていた。


マリアは乱れたスカートを整えると、静かに頭を下げた。


「暴力はいけません。」


「お話で解決しましょう。」


倒れた少年は呆然とマリアを見上げる。


「ま、マリア……。」


「お怪我はありませんか?」


「え……?」


「痛むようでしたら、お医者様をお呼びいたします。」


投げ飛ばした相手を心配する。


その姿に、少年は何も言えなくなった。


翡翠は立ち尽くしたまま、マリアを見つめる。


(……守られた。)


執事である自分が。


主人に。


「マリア様……。」


震える声で呼ぶ。


「どうして。」


「私は執事です。」


「守るのは……私なのに。」


マリアは翡翠の前にしゃがみ込み、そっと燕尾服についた芝を払った。


「翡翠。」


「はい……。」


「まだ6歳でしょう?」


優しく微笑む。


「今は、私が守る番。」


翡翠は目を見開く。


「でも。」


「いつか。」


マリアは小さく手を差し伸べた。


「大きくなったら。」


「その時は、私を守ってくださる?」


翡翠はその手を見つめる。


胸の奥が熱くなる。


守られた悔しさ。


嬉しさ。


感謝。


幼い心では言葉にできない感情が溢れていた。


翡翠はゆっくりとその手を取り、深く頭を下げる。


「はい。」


「必ず。」


「一生を懸けて。」


「マリア様を、お守りいたします。」


マリアは嬉しそうに微笑み、小さく頷いた。


「約束ですよ。」


この日交わされた、小さな約束。


それは十年後もなお、翡翠の胸の中で決して色褪せることなく生き続けていた。

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