惑星タイッツ
今回は、アナン人がなぜスックエへやって来たのか、その知られざる歴史が語られます。
現在へと続く物語の原点を、ぜひお楽しみください。
リラフェと肩を並べ、実験装置の光に照らされながら過ごす日々が続いていた。言葉を交わすたび、互いの距離は少しずつ、しかし確実に縮まっていった。
そんなある日のこと。ルググは胸の奥に沈めてきた疑問を、ついに切り出した。
「ねぇ、リラフェ。もし知っていたら教えて欲しいんだけど……アナン人は、どうしてこの星に来たの?銀河の果てのこんな辺境にわざわざ移ってきて、ヌキ人の生活を“正すため”なんて理由じゃとても説明がつかないんだけど。誰に聞いても答えを知っている者がいないんだ。君なら、もしかして……と思って」
リラフェの表情がわずかに曇る。光の反射が、彼女の瞳に複雑な影を落とした。
「知っているわ。私たちアナン人は、生まれた時に基礎情報や重要な歴史は脳に埋め込まれるの」
「じゃあ……教えてくれる?」
問いかけると、リラフェは肩をすくめた。呆れと驚きのあいだのような目でルググを見つめる。
「ルググ、本気で言ってるの? アナン人とヌキ人が初めて出会ったときの歴史――その経緯を、まったく知らないの?」
「……そうなんだ。僕の周りには、知る者が一人もいなかった」
「なるほどね。わかったわ。話してはいけないとは言われていないし。私がこれから語ることを誰に伝えるかは……あなたの判断に任せるわ」
「助かるよ」
リラフェは静かに息を整えた。白く細い指先がゆるやかに宙をなぞる。
「――では始めるわ。アナン人が“惑星タイッツ”にいた頃のこと。そこから、このスックエへたどり着くまでの道のりを」
空間が震えた。淡光が揺らぎ、古い記憶の断片が宙に立ち上がる。まるで時間そのものが彼女の言葉に呼応したかのように。
リラフェの声が、遠い星の歴史へ続く扉を静かに開いた。
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外界では、惑星そのものが悲鳴を上げるかのように嵐が荒れ狂っていた。暴風雨が大地を引き裂き、雷が地平線を焼く。しかし、そのすべてを嘲笑うかのように、巨大ドームの天井は微動だにしない。天頂には、人工恒星――淡い光膜をまとい、朝・昼・夜の周期を正確に刻む“造られた恒星”が浮かんでいた。
気温もまた、鉄壁の秩序を守る。朝は二十度、昼は二十六度、夜は十八度。それは自然ではなく、計算された“正しさ”。ドーム内の天候はひとつ残らず管理され、アナン文明の技術力の象徴でもあった。
中心区画には高層ビル群が林立し、その内部では星々の構造から時空の法則に至るまで、あらゆる研究が絶えず続けられていた。宇宙、光、空気、水、風――惑星タイッツを包むすべての理が研究対象となった。
蓄積された知識は厳密に整理され、選別され、そしてアナン人全員の脳内へと確かな情報として“インプット”される。
アナン社会とは、知識の共有によって統一された巨大な思考体であり、同時に高度な秩序をもつ巨大組織でもあった。
タイッツの気候は常に凶暴だった。吹き荒れる暴風、予測不能な気流の乱れ、目に見えぬ毒を含む砂嵐……。そんな極限環境で進化したアナン人は、五感すべてが鋭く研ぎ澄まされ、彼らの肉体はこの星そのものの厳しさを反映していた。
タイッツには多様な巨大生物が棲み、かつてアナン人にとって“日常”とは、死と背中合わせの世界そのものだった。
そんな時、ばらばらに生きていたアナン人を束ねる一人の指導者が現れた。
「力を合わせよう」
その一言から、歴史は大きく動き始めた。
最初のドーム――いや、“囲い”と言ったほうが近い構造体は、幾度も巨大生物の攻撃で破壊された。だがその都度、アナン人は工夫を重ね、壁の強度は進化していった。
やがて、どんな大型生物の牙も爪も通さない壁が完成すると、その内側に“アナン人だけの領域”が急速に広がり始めた。人口は増え、生活圏は拡大し、文明は加速度的に発展した。
遠方から訪れる者、生まれる命も人口増加を支えていた。壁が進化し、装備や乗り物が大型生物を凌駕するほどの強度と性能を獲得した頃――アナン人はついに惑星タイッツの覇者となった。
時は流れ、アナンの人口はついに百億を超えた。
地表に住む場所が不足すると、彼らは空へ逃れた。大気圏の彼方に、巨大な宇宙ドームを建造したのだ。
建造当初、宇宙ドームへの移住は希望者を募る形で始まった。しかし次第に状況は歪み、地上で働かずに遊ぶ者、社会と軋み周囲に迷惑をかける者などを“隔離する場所”へと変質していく。
宇宙に浮かぶドームが増え、そこに暮らす住民が十億を超えた頃――ついに問題が顕在化した。
食糧不足。
宇宙ドームでは、食物を“作る者”が急速に減少していた。生産者たちに対して、何もしない者たちはただ不満を叫び続けた。
「種類を増やせ」
「もっと量を増やせ」
「我々は十分な食料を受ける権利がある」
理不尽な要求が積み重なり、怒りを溜め込んだ食物生産者たちはついに決断する。
――地上へ戻る、と。
生産者が抜けた宇宙ドームでは、残された者たちが代わりに食物生産を試みたが、当然、結果は惨憺たるものだった。
やがて地上からの食料輸送も、力ある者や権力者が奪うようになり、ほとんどの住民は満足に三食を得ることもできず、水だけで二日三日を耐えることも珍しくなくなっていった。
そして、限界は訪れた。
宇宙ドームの民――十億の移民がついに、ひとつにまとまった。
――反乱。
それは、タイッツ史に深く刻まれる“最初の大きな裂け目”となる出来事だった。
地上との戦争が始まり、半年が過ぎた。
その日――地上に広がるすべてのドームが、この争いを終わらせるために一斉に牙をむいた。
一時間に及ぶ一斉攻撃。怒涛の光線と振動が宇宙空間に響き渡り、宇宙ドーム群を覆っていた防護バリアはついに破綻した。
そこから先は、ただ崩落と静寂があった。
ほとんどの宇宙移民は真空の闇へと消え、生き残った者はごくわずか。運良く宇宙船に逃げ込んだ者たちも、やがて食糧は尽き、飲料水さえ底を突きかけた。
死を待つだけの閉ざされた船内で、彼らは最後の会議を開いた。自分たちを含め、この争いのすべてを終わらせる唯一の手段。宇宙ドームそのものを落とし、地上の文明ごと破壊する――“最終計画”。
宇宙に漂うドームは三十を超え、地上のドーム数のおよそ三倍。一つ一つは小ぶりとはいえ、その質量は三十億トンを超える。地上ドームの防御がいかに強固でも、星を揺らす質量が十個まとめて降ってくれば、抗う術など存在しなかった。
彼らは三つの地上ドームの真上に、それぞれ十の宇宙ドームを集結させた。
まずは一ヵ所――反重力装置を停止し、試験的に落とす。
その瞬間、宇宙ドームは巨大な隕石と化し、轟音さえ吸い込む速度で落下した。
衝撃は地上ドームの骨格を粉砕し、さらに上空の大気を裂き、惑星タイッツの大地全体を震わせた。
半径千キロの地表は跡形もなく消え、そこには超巨大クレーターがぽっかりと口を開けていた。
そして――星は反撃するように、災厄を解き放った。
残る二つの地上ドームには、天井を覆うほどの水と土が混ざり合った“星規模の津波”が襲いかかった。終わりの見えない奔流。崩壊する地形。
いきなり訪れた終末の光景に、誰もが声すら失って立ち尽くした。
混乱の只中で、緊急信号を受けた者たちがいた。破壊されたドームにいた百名ほどを除き、およそ五百人――アナンの中でも選りすぐられた者たちが、保存されていた膨大な遺伝情報を乗せた緊急退避用カプセルへ走った。
外殻のハッチが開き、濁流をものともせず一隻の宇宙船が飛び立つ。それは、アナン文明最後の砦――緊急脱出用シャトルだった。
そして、残り二カ所のドームも跡形もなく姿を消した。惑星タイッツに生きるアナン人は、これで滅びた。それを見届ける者もなく、滅亡計画は“成功”したのだ。
宇宙ドーム衝突の衝撃は星の内部を揺らし、各地の火山が一斉に噴火した。溶岩が地表を染め、黒煙が空を覆い、タイッツは暗黒の星へと姿を変えた。しばらく、生物が住める環境ではなくなった。
脱出したシャトルの内部では、乗員の全員が星眠装置に入った。生きながら死に近い状態に身を沈め、意識を閉じる。タイッツに似た新たな星が見つかるその時まで、彼らは目覚めることはない。
シャトルは自律航法に移行し、銀河へ、星々へ。ワームホールを渡り続ける旅へと入っていく。
――シャトルは、無数の星々を渡り歩いた。光年を飲み込み、幾億の恒星を巡り、そしてついに辿り着く。
この星は、かつて失われた故郷・タイッツの面影を宿していた。自転速度、空気の成分、重力、気温など――偶然とは思えぬほど酷似しており、テラフォームの必要すらない。
アナン人たちはその光景を見た瞬間、悟った。ここが、新たな故郷となる。星全体は静穏で、緑に抱かれ、水が巡り、風は柔らかかった。ただひとつ、知能は低いが文明の萌芽を持つ生命体がいた。だが、脅威ではないと判断される。
アナン人は地表に降り立ち、まず居住区を築いた。そして全員が集い、己自身を見つめ直す。あまりにも多くを失い、あまりにも多くを壊してしまった――そんな自省が彼らを縛った。彼らは決意する。二度と同じ過ちを繰り返さぬために、種としての在り方を変革する。
まず、自らの身体を維持する装置を構築した。さらに遺伝子を書き換えて繁殖を封じた。必要なときにのみ、新たな命を創造することとした。そうして、暴走する繁栄を自ら断ち切ったのだ。
緑豊かな第四惑星をスックエと命名し、その星での生活は、静かで、豊かだった。タイッツで育てていた作物の種は土壌に根付き、周囲には簡易バリアが張られて外敵から守られている。
野生動物が触れれば痺れ、昆虫は微細な静電気によって近づくことすらできない。この仕組みは、知能の低い地上の住民にも同様に作用した。アナン人は彼らに種族名を与えた。
ヌキ。
ヌキたちは野生動物を狩り、果実を摘み、原始的な生活を営んでいた。初めのうち、巨大なアナン人は彼らにとって“未知の獣”に等しかった。だが攻撃が効かないと悟り、アナン人が害意を持たないと知ると、恐れながらも距離を縮めていった。
アナン人は彼らに食物を与え始めた。その味はヌキにとって未知の恵みであったらしく、言葉は通じずとも懇願するように手を差し伸べる。アナン人には、それを拒む理由などなかった。
やがてアナン人の間で議論が起こった。
――この星に住む先住民であるヌキと、言葉を交わす必要があるのではないか。
彼らは意思伝達装置“カラー”を製造し、ヌキに自らの言語体系を教えた。ただし、アナン語ではない。ヌキが発声しやすく、世界に広がってゆく“ヌキの言葉”として。
言葉は文明の礎である。
それを彼らは誰より理解していた。
そして時は流れ――
アナン人は空中都市を建造した。まず彼ら自身がそこへ移り住み、続いてヌキにも住居を与えた。やがて大陸各地にラピュータが建設され、ヌキの全員が快適な空の都市へと移住していった。
新しい暮らしは、ヌキの心を変えた。恐れは薄れ、好奇心が芽生え、学びを求める者が現れた。原始の民はゆっくりと――しかし確かに――進化を始めた。
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リラフェは掌をすっと掲げると、空間に幾筋もの光が走り、アナン人の歴史が映像となって浮かび上がった。星々を巡る旅、争い、滅び、そして再生――その壮絶な軌跡が淡い光の中に連なっていく。
「すごい……まさに激動の歴史だね」
光を見つめながら、ルググは息をのんだ。
「ヌキ人の歴史にラピュータからの記録しか残ってない理由がようやく理解できたよ。……でもさ、あの巨大な空飛ぶ船が空を割って降りてきて、巨人のような存在が家を作りはじめた時、うちの祖先たち、どんな気持ちだったんだろうね。そりゃもう震え上がるしかなかっただろうな」
リラフェは苦笑しながら肩をすくめた。
「でしょうね。文明の基盤もない頃だもの。言葉以前に、まず“理解”が追いつかないわよ。文明が発達していたなら、きっと何かしら対話の手段を探したと思うけど……あの頃は無理だったはず」
ルググはこくりと頷き、間を置いて口を開いた。
「一つ、聞いてもいい?」
その声には、どこか慎重さがあった。
「どうぞ。わかる範囲で答えるわ」
リラフェは柔らかく視線を返した。
「宇宙ドームってさ……社会から外れた人たちを押し込める場所になったって話、本当?ずっと昔から、そういう人はいたはずだよね」
リラフェは一瞬だけ目を伏せ、淡々と語りはじめた。
「ええ、居たわ。でも彼らは害があるわけでもなく、ただ“働かない”“遊んでばかりいる”って理由で、評議会が宇宙ドームに集めることを決めたの。宇宙にいようが地上にいようが生活は変わらないって判断よ」
「そっか、地上には、いわゆる精鋭だけを残したかったわけだ」
ルググの言葉に、リラフェはわずかに目を細めた。
「まあ、全員が精鋭ってわけでもなかったけどね」
「アナン人が他の星から来たって話、進化した動物説とか突然変異説とか色々あったけど、今日、全部はっきりしたよ」
ルググは深呼吸するように言った。
「本当に“星から来た種族”だったんだね。ありがとう」
リラフェはふっと表情を緩めた。
「誤解が晴れてよかったわ。フフッ」
ルググは続ける。
「もう一つだけ、別の質問していい?」
「もちろん」
ルググは少し照れながら視線を上げた。
「リラフェみたいな……その、子どものアナン人って、他にもいるの?」
「ええ、いるわよ」
リラフェは誇らしげに胸を張った。
「私を含めて八人。みんな同じ“仲間”よ」
「八人も!やっぱりいるんだね」
「ええ。今度、私の家に来なさいよ。残りの七人、皆に紹介してあげる」
リラフェはいたずらっぽく笑った。
「本当に?うれしいよ。その人たちとも友達になりたい」
ルググの声には、抑えきれない期待がにじんでいた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、アナン人の故郷・惑星タイッツと、スックエへ辿り着くまでの歴史を描きました。
過去を知ることで、第一章とはまた違った視点でアナン人という種族を見ていただけたなら嬉しいです。
次回は、リラフェの仲間が登場します。
引き続き、お楽しみいただければ幸いです。




