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神話になるまでの距離  作者: 広育 春美


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リラフェとの出会い

新しい長編SFを始めます。

今回の舞台の始まりは、二つの知的種族が共存する惑星スックエ。

一人の少年と一人の少女の出会いが、やがて世界の未来を大きく動かしていきます。

最後まで楽しんでいただければ幸いです。

 豊穣なる恒星ソシャル系第四惑星スックエ。

 この星は、水と緑に満ちていた。果てしなく広がる草原と深淵の森、その隙間を縫うように、無数の生命たちが自由に駆け巡る。海と湖の上空には、雲のように漂う巨大な浮遊都市群があり、そこがこの惑星の文明の中心であった。

 それら空に浮かぶ都市群は総称して〈ラピュータ〉と呼ばれる。七つの都市が空を分け合い、その中でも最大を誇るのが〈シュメール〉だ。人口は億を超えるこの巨大都市では、無数の光塔が天を貫き、透明なカプセル型の移送機が立体的な空間を縫って飛び交っていた。ビルの谷間を縫う風は常に心地よい木の香りを含み、街の鼓動は惑星の中心と共鳴していた。

 この星には、二つの知的種族が共存している。

 一つは、身の丈二から三メートルの高身長を誇る〈アナン人〉。もう一つは、彼らよりやや小柄な〈ヌキ人〉である。

 アナン人は外宇宙からの来訪者だった。穏やかで温和な性格ながら、その知性と技術は驚異的だった。スックエにおける文明の基盤――都市、通信、重力制御、そしてエネルギーの循環までも――すべてはアナン人の技術によって支えられている。彼らの科学は惑星の枠を超え、恒星系全体を覆っていた。恒星ソシャルの熱、惑星の重力波、さらには外宇宙から飛来する隕石や彗星の衝撃すらも、アナン人にとっては純粋な“資源”に過ぎない。

 余剰となる莫大なエネルギーをどうするか――その答えとして、アナン人は第五惑星の軌道上で死を迎えた衛星を移動させた。その中を空洞化し、人工重力装置を埋め込み巨大なエネルギー貯蔵庫へと改造したのである。

 その衛星は〈ナナ〉と名づけられた。スックエの地表からわずか五百万キロという至近距離を周回するその巨体は、夜空の小さな女王として煌々と輝いていた。

 一方のこの星の先住民であるヌキ人は長く、狩猟と採集によって生きる民だった。だが、アナン人の来訪がすべてを変えた。

 当初、ヌキ人はその力に恐れを抱き、抵抗もした。だが、アナン人にとってそれは、風に舞う塵を払うほどの労でしかなかった。やがて、ヌキ人たちは悟る――この異星の客人たちは敵ではない、と。

 アナン人との共存を選んだヌキ人の生活は、劇的に変貌した。

 かつて獣皮を纏い、泥にまみれていた彼らは、アナン人がもたらした柔らかな素材の衣服に身を包み、清潔と快適を知った。声をかければ自動で清水を降らせる装置によって、彼らは初めて“洗う”という文化を得た。

 日々、彼らの肌は輝きを取り戻し、街には笑顔が戻った。スックエに、静かなる文明の黎明が訪れたのである。


 アナン人がスックエへ降り立ってから、すでに二千年の歳月が過ぎていた。

 その長い時の流れの中で、彼らの姿はほとんど変わっていない。アナン人にとって「老い」も「死」もすでに過去の概念であり、彼らの身体は完全な維持システムによって恒久的に保たれている。一定の年齢で成長を終えた肉体は、それ以上変化することがない。

 新たな命は、必要とされた時にのみ創られる。遺伝子を結合し、必要な知識をあらかじめ備えた子が誕生する。したがって、アナン人の数が増えすぎることは決してなかった。彼らの社会は、静かに、完璧に均衡を保っていた。

 一方、ヌキ人の寿命はわずか五十年足らず。

 彼らは春の訪れと共に子をもうけ、短くも鮮烈な生を繰り返してきた。

 だが、アナン人との出会いが、彼らの運命を変えた。獣に襲われることも、毒草に倒れることもなくなり、村々には平穏が訪れた。ヌキ人たちは次第に数を増し、かつてアナン人の五倍にすぎなかった人口は、今では比較にならない数になっている。

 それでも、二つの種族の間に争いはなかった。

 アナン人は干渉を好まず、ヌキ人もまた畏敬をもって距離を保った。

 ただ――必要な時だけ、彼らは手を取り合った。

 雨を呼ぶ技術、病を癒す薬、空を渡るための翼。

 互いの存在を脅かすことなく、支え合う。

 それが、スックエにおける“自然の法”となっていた。


        ------------------------------


 「ルググ、ルググ。早く起きなさい!」

 母の声が、静かな朝の空気を突き抜けた。

 昨夜の誕生会は夜更けまで続き、帰宅してまだ三時間しか経っていない。夢の底に沈んでいたルググは、その声に引きずられるように意識を浮上させた。

 「……ぇ?」

 「今日からアルバルト先生の特別講義でしょ。寝坊したら一生後悔するわよ」

 まだ寝ぼけた目をこすりながら、ルググは寝返りを打った。

 「うぅ……いば、びゃんじ……(今、何時?)」

 「七時よ」

 その言葉を聞いた瞬間、彼はベッドから跳ね起きた。

 一気に頭に血が巡り、視界が冴え渡る。

 「う、うそだろ!寝ないで起きてるつもりだったのに……!」

 腕を組んで見下ろす母が、ため息混じりに微笑む。

 「その割には、しっかり寝間着姿だけどね。いいから早く、用意しなさい」

 「助かったよ、母さん!ありがとう!」

 ルググは駆け足で部屋を飛び出した。

 朝食も抜きで《おでかけボックス》に飛び込む。

 ボックスの内部では、髪型や服装、外見の微調整までもが一瞬で完了する。だが、設定を昨日のままにしていたせいで、全く同じ格好に仕上がってしまった。

 「……まぁ、いっか」

 ルググ――十六歳。

 ヌキ人の中でも指折りの若き天才だ。

 通常、二十歳で修了する全課程を十三歳のうちに終えた稀代の学生であり、以降は各分野の教授から個別に高度な講義を受け続けてきた。だが十五歳を迎える頃には、すでにすべての教授を知識面で凌駕していた。

 彼の名は、今や「ヌキ人の希望」とまで囁かれている。

 その噂が、ついにヌキ人の最高峰の頭脳――

 物理学者アルバルトの耳に届いたのである。

 そして今日。アルバルト自らが特別講師として、このスクールにやってくる。


 教室に入るなり、ルググは胸の鼓動を抑えきれなかった。

 「しゃーーっ!」

 思わず奇声のような歓声が漏れた。

 それと同時にドアが勢いよく開く。三人の大人が飛び込んできた。

 「な、何事だ!?大丈夫か!」

 校長が駆け寄り、目を丸くする。

 「す、すみません!アルバルト先生にもうすぐ会えると思ったら……つい……!」

 頭を掻きながら、ルググは照れ笑いを浮かべた。

 校長たちは顔を見合わせ、堪えきれずに笑みをこぼす。

 「まぁ、無理もない。君の実力を認めて、直々に訪ねてくるんだからな。しっかり話を聞くんだぞ」

 校長が身を引くと、その背後に一人の男が立っていた。

 白髪まじりの髪は無造作に伸び、瞳には深遠な光が宿る。紳士的な装いながらも、どこか風変わりな雰囲気を纏っている。手には、ルググが見たこともない奇妙な装置が握られていた。

 「やあ、ルググ君」

 男は穏やかな声で言った。

 「初めまして。今日から三日間――君と宇宙の話をしよう」


 アルバルトの講義は、いわゆる授業とはまるで違っていた。

 彼の講義には、資料データも何も存在しない。あるのは、触れるもの、感じるもの、そして“考えるための現実”だけだった。

 資料を暗記するのではなく、物を手に取り、世界の仕組みを指先で確かめる。それが、アルバルト流の“知の探求”だった。ルググはその方法に心を奪われた。教えられた瞬間から理解し、そこから波紋のように思考を広げていく。その姿はまさに、新品のスポンジが宇宙を吸い上げるかのようだった。

 アルバルトは教えるたびに、少年の中に眠る無限の可能性を感じ、喜びを隠せなかった。ルググは次第に、一つの現象が他の全てと繋がる“美しさ”に気づき始めていた。

その先にあったのが――反重力の謎だった。

 文明を支える、最も身近で、なおかつ最も不可思議な技術。日常の中でそれを当たり前のように使いながら、その原理を誰一人理解できていなかった。

 重力そのものさえ、ヌキ人にはまだ“未知の力”のままだった。かつてヌキ人の学者たちは、アナン人に嘆願したことがあるという。

 「どうか、その真理を教えてほしい」と。だがアナン人は静かに首を振った。

 ――“その知を授けるには、まだ早すぎる。お前たちの文明が、ある段階に至るまでは。”

 そしてこう付け加えた。

 「重力を理解できたとき、お前たちは宇宙そのものを知るだろう」


 特別講義の最終日、アルバルトは一人の少女を連れてきた。明らかにアナン人の子供だった。透き通るような肌、淡い光を宿した瞳――その存在だけで、教室の空気が変わる。

 「ルググ、紹介しよう。彼女はアナン人のリラフェだ」

 アルバルトはいつになく穏やかな声で続けた。

 「昨夜、アナン総括のオットモビルと酒を酌み交わしていてね。ルググの話をしたら、一緒に来ていたリラフェが“会ってみたい”と言うんだ。今日は彼女も一緒に講義を受ける。ルググより年下だが、アナン人の子供は大人扱いできるレベルだ。私より遥かに多くの物理を深く理解している。リラフェには退屈な話になるかもしれないが、三人で楽しもう」

 ルググは立ち上がり、手を差し出した。

 「リラフェ、よろしく」

 少女は微笑み、静かに握手を返す。

 「よろしくね、ルググ。フフッ」

 アナン人の女の子、その声も表情もあまりに柔らかく、ルググには“妹のような存在”に思えた。不思議な親近感が、胸の奥に芽生えた。

 その日のテーマは――時間。

 日中は、アルバルトが光の実験装置〈ライトボックス〉を操作して様々な実験が行われた。最後に時間についての説明を始めた。光の速度に近づくほど、時間の流れが遅くなること。物質は光速を超えることができないこと。彼の声が静かに響く教室で、リラフェだけが微笑んでいた。やがて、その口が動いた。

 「結局、それは“時間次元の収縮”の話よ」

 その一言で、室内の空気が張りつめた。

 「速く進むほど、時間次元が圧縮される。でも、それを完全に押し潰すことはできない。だから“時間のゼロ”は存在しない。光でも限りなくゼロに近づくだけで、決して消えることはないの。……あら、これ、話してよかったのかしら?」

 ヌキ人の二人は、息を呑んでリラフェを見つめた。

 沈黙を破ったのはアルバルトだった。

 「なるほど……私は、光速で進めば時間は止まると思っていた。しかも一方向にしか進まないから一次元に存在するとも予想していたが、時間次元なるものが存在するのか」

 「そう。時間は一次元でも、二次元でも、三次元でも存在するわ。」

 リラフェの声は、澄んだ水面のように落ち着いていた。

 「すべての次元に“時間”は内包されている。宇宙のすべてのものが、時間次元に包まれているのよ。私の知る限りはね。フフッ」

 アルバルトは目を閉じ、深く息を吐いた。

 「……ヌキ人は約五百年、アナン人の庇護のもとで生き、知を学び、ようやくここまで来た。だが私は慢心していたようだ。リラフェの言葉で気づかされた。ありがとう。私は一から出直した方が良さそうだ」

 リラフェは小さく首を傾げた。

 「ごめんなさい。余計なことを言ったかしら」

 アルバルトは微笑んで首を振る。

 「いや、むしろ感謝している。君のおかげで、“真実”の輪郭が少し見えた。だが……これ以上は聞かない。ヌキ人は自分たちの力で、その答えを見つけるべきだ。だから、今の話も――今日ここだけの秘密にしておこう」

 ルググは、宇宙の真理を当たり前のように語るリラフェを前に、言葉を失った。ただ、その横顔を見つめることしかできなかった。

 ――静寂。

 リラフェは何も言わず、ただ微笑んだ。


 特別講習の最終日。

 それは、ルググにとってアナン人の知識とヌキ人の知識の差を見せつけられる日でもあった。

 リラフェ。彼女の存在はまるで、宇宙の奥底に瞬く白い星のようだった。年齢も外見も少女のようでありながら、言葉の一つひとつが光を放つ。彼女の思考は、常人が踏み込むことを許されぬ領域を自在に漂っていた。

 ルググは圧倒された。だが、その感情の奥には、敗北ではなく、純粋な敬意があった。初めて同じ時代に、真に語り合える存在を見つけた――そう感じた。講習の終わり、ルググは意を決して声をかけた。

 「……リラフェ、その……」

 緊張で喉が詰まり、声はかすれた。だが、言葉を紡ぐ前に、彼女が微笑む。

 「ルググ。ねぇ、私と友達にならない?ヌキ人の友達、まだ一人もいないの。初めての友達は、ルググがいいなって思ったの。……ダメかな?フフッ」

 「えっ……えっ、もちろん!僕も、まさにそれを言おうとしてたんだよ!」

 リラフェの顔に広がる笑みは、無垢な輝きだった。二人は自然とハイタッチを交わし、その音が教室に軽やかに響いた。

 「よかったな、ルググ」

 アルバルトが穏やかな声で笑う。

 「アナン人の若者と友になれるなんて、こんなに嬉しいことはない。お互いを尊重しあい、良い関係を築くんだぞ」

 彼は二人の姿をしばらく眺め、懐から小さなコンピュータを取り出して帰り支度を始めた。

 「さて、私は校長に挨拶してから帰るとしよう。リラフェ、送らなくても大丈夫か?」

 「うん。今日はルググに送ってもらうわ」

 「そうか。なら安心だ。……またいつでも家に遊びにおいで」

 「ありがとう、先生。また総括と一緒にいった時はよろしく。フフッ」

 ルググは慌てて立ち上がり、真剣な眼差しで頭を下げた。

 「アルバルト先生。今まで学んできた知識が、この三日間にすべて繋がった気がします。本当に、心から感謝しています。あなたを目標に、これからも努力を重ねます」

 老教授は優しく笑みを浮かべ、ルググの肩に手を置いた。

 「ルググ、君は特別だ。発想の鋭さも、吸収の速さも、私を凌ぐほどだ。……きっと君は、遠くない未来で私を越える。いつか再び、共に語れる日を楽しみにしているよ」

 アルバルトは少し歩みを止め、振り返って言葉を続けた。

 「それと校長には伝えておこう。君のような若者には、実験のための本物の環境が必要だ。――今のレベルのスクールでは、もう君を閉じ込めておけない」

 その言葉を聞いたルググの胸に、静かな火が灯った。

 「あっ、ありがとうございます!」

 その声は、教室の窓を震わせ、薄い青の空へと溶けていった。

 リラフェが微笑みながら言う。

 「ねぇ、ルググ。これから、もっといろんなこと話そう」

 「うん。僕も、君からたくさん学びたい」

 二人は並んで校舎を出る。

 風が頬をかすめ、空に白い雲が流れていた。

 そのときルググは、まだ知らなかった。

 ――この出会いが、彼の運命を大きく変える「始まり」になることを。


 その日を境に、ルググの世界は光を帯び始めた。

 特別実験室。その扉を開けるたび、未知の可能性の香りが満ちる。アルバルトが譲り渡した装置の列は、まるで新しい宇宙を創り出すための聖域のように整然と並び、膨大なデータ群が彼の端末を満たしていた。

 だが、何よりも胸を高鳴らせたのは、隣にリラフェが立つことだった。アナン総括オットモビルの承認を経て、彼女もこの実験室に加わった。その日から、二人は毎日、肩を並べて未知の物理に挑み続けた。

リラフェの前には、淡い緑光を放つ立体スクリーン。その下に浮かぶ小さな球体へと指先を伸ばし、まるで重力そのものを奏でるように空間を操っていた。

「リラフェ、それ……何をしてるの?」

彼女は手を止め、穏やかな笑みで答える。

 「重力子を操作してるの。もっと効率的に、強さを変えられないか試してるのよ。難しいけど、面白いわ」

 ルググは一瞬、言葉を失った。

 ――レベルが違う。

 それは知っていた。だが、目の前に突きつけられた差は、まるで宇宙の深淵を覗くような感覚だった。それでも、彼は諦めず、自分の端末に視線を戻す。

 「僕は量子の実験をしてる。アナン人の船が使う、あのワームホールの理論……量子を制御して空間を繋ぐ技術。ヌキ人にはまだ遠いけど、少しでもその仕組みに近づきたいんだ」

 リラフェは静かに頷いた。

 「いいわね。全部を助けることはできないけど、もし進む方向が間違っていたら教える。道は違っても、お互いを助け合える仲間でいましょう。フフッ」

 その言葉に、ルググは心の奥で何かが燃え上がるのを感じた。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

第一章では、ルググとリラフェの出会いを描きました。

ここから二人は様々な研究や出来事を通して成長し、物語は少しずつ宇宙全体へと広がっていきます。

次回も楽しんでいただければ嬉しいです。

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