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父のいる家

「おかえり」


 低い声。

 

 顔を上げると、久しぶりに見る顔があった。

 

 ――父だ。


「……ただいま」


 少しだけ間を置いて返す。


 父は小さく頷いた。

 それだけなのに、少し安心する。


「おかえり。今日は早かったのね」


 母が近くに来て、やわらかく言う。


「うん」


 短く答える。


 父が家にいる。それだけで、少し空気が変わる。


 仕事着のまま椅子に腰を下ろす。

 姿勢は凛としているが、どこか力が抜けている。


「変わりはないか」


「特にないよ」


「そうか」


 短いやり取り。


 父は少し視線を逸らして、言う。


「……それが一番だな」


 ほんの少し、声がやわらぐ。

 それを聞いて、小さく頷いた。


 母がふっと笑う。


「今日は少しだけ時間あるの?」


「少しだけな」


「じゃあ、ゆっくりしていけばいいのに」


 少しの期待を込めて言う。


 一瞬だけ考えて、わずかに口元を緩めた。


「そうだな」


 それだけで、温かい空気になる。


「最近、どう?」


 母がこちらを見る。


「普通だよ」


「それがいいのよ」


 すぐに返ってくる。


 少しの沈黙の後、父がふと、こちらを見る。


「怖いものは、ないか」


 心配を含んでいる声に、少し考えてから答える。


「……別に」


 父はわずかに目を細めた。


 「そうか」


 それ以上は何も言わない。


 母がくすっと笑う。


「強がってるだけかもよ」


「違うって」


 すぐに否定する。


「ほんと?」


「ほんと」


 やり取りが続く。


 父はその様子を見て、静かに息を吐く。

 ほんの少しだけ、楽しそうに。


「まあ、どっちでもいい」


 その言い方が、少しだけ優しい。


 時間はゆっくり流れる。

 特別なことは何もない。でも、どこか満ちている。


 しばらくして、父が立ち上がった。


「もう行くの?」


「ああ」


「気をつけて」


「そっちもな」


 そう言って、こちらを見る。


 一瞬だけ、視線が合う。


「――無理はするな」


 それだけ。


 私は頷く。


 父は小さく頷き返して、そのまま外へ出ていく。


 静けさが戻る。

 でも、いつもより、少しだけ温かい。


 母が小さく息をつく。


「ほんと、あの人は」


 少し困ったように笑う。

 でも、声は弾んでいる。

 

 嬉しそう。


「でも、ちゃんと帰ってくるのよね」


 頷く。


 短い時間でも、確かにここにいた。

 それで十分だ。


 私はまだ温もりが残っている椅子に腰掛けた。

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