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エーテルリウムの黄昏  作者: お茶どうぞ
98/103

98、通り過ぎた災いの爪痕


ソレンディルは、風の精霊に身を委ねながら、夜気を裂くように空を駆けていた。

眼下には、簡易的に張られたテント群――負傷兵の避難所が、かすかな灯りを揺らしている。


焦げた布の匂い、薬草の香り、そして血の気配。

戦いの残滓が、夜の空気に重く沈んでいた。


やがて静かに降り立つと、地面に敷かれた粗布の上に、多くの騎士たちが横たわっているのが見えた。

誰かがうめき、誰かが歯を食いしばり、誰かは既に動かない。


魔法使いたちが必死に治癒を施しているが、その光はどこか頼りなく、疲労の色が濃い。


その光景の中に――

ひときわ大きな影が、椅子に沈み込むように座っていた。


ガルムだった。


巨躯を折り曲げるようにして腰掛け、肘を膝に置き、項垂れている。

荒い呼吸が胸を上下させ、その度に鎧の継ぎ目が軋んだ。


(ソレンディルは……無事か……)


胸の奥にじわじわと広がる不安。

戦場では決して見せない種類の感情が、彼の内側を蝕んでいた。


あの怪物――ジャイアント。

思い出すだけで、歯が軋む。


力も、硬さも、再生も――

どれもが常軌を逸していた。


(闇の主の軍勢じゃねぇ……あんなもんがあるなら、とっくに出してるはずだ)


拳を握る。

自分の力が届かなかった現実が、骨の奥に残っている。


「……ガルム……」


ふいに、風に乗って届く声。


ガルムははっと顔を上げた。


そこに立っていたのは――

蒼い外套をなびかせた、ハイエルフの魔法使い。


ソレンディルだった。


「お前……!」


椅子から立ち上がりかけ、足に力が入らず、わずかによろめく。

それでも視線は外さない。


「怪我はしていないか?」


低く、しかし強く問いかける。


ソレンディルは、やわらかく微笑んだ。


「大丈夫。かすり傷もないよ」


その言葉を聞いた瞬間、

ガルムの肩から、見えない重石が落ちた。


「……そいつは良かった」


大きく息を吐く。

肺の奥に溜まっていたものが、一気に抜けていく。


「ジャイアントはどうなった?」


「ネフィリム――アゼザルが来てくれて、倒したよ」


「アゼザルが……」


思わず目を細める。

あの圧倒的な存在を思い出す。


「港の被害は?」


「最後に自壊した。でも、アゼザルが抑え込んだ。被害は最小限で済んでる」


静かな報告。


ガルムはゆっくりと頷いた。


「……そうか」


その一言に、すべての安堵が込められていた。


しばし沈黙。


遠くで、誰かが泣いている声が聞こえる。


ソレンディルはその音に耳を傾けながら、続けた。


「あれ……アゼザルが言ってた。神々の残滓だって。神がこの世界に残した“災い”だって」


ガルムは目を伏せる。


「あれは……そういうもんだったのか」


納得ではない。

ただ、理解するしかない現実として受け止めた。


ソレンディルは一歩近づく。


「ガルム、怪我は?」


「たいしたことねぇ。皮膚が焼けただけだ」


強がりではない。

だが、疲労は隠せない。


「なら、すぐ治す」


ソレンディルの指先に、淡い光が灯る。


その時――


「アゼザルが言ってた。北西から……別の災いが来てるって」


空気が一変した。


ガルムの目が鋭くなる。


「……それはまずいな」


即座に立ち上がる。


「ソレンディル、治療を急げ。終わり次第――動く」


そして、腰の魔道具に手を当てた。


「アシュリーに連絡を入れる」


ムーブ・メモリーが淡く光る。


「……アシュリー、応答しろ」


沈黙。


もう一度。


「アシュリー!」


返事はない。


嫌な予感が、確信に変わる。


「……ソレンディル」


声が低く沈む。


「連絡が取れねぇ。何かあったに違いない」


 ソレンディルは一瞬だけ目を閉じ、頷いた。


「行こう」


次の瞬間、風が巻き上がる。


ガルムの身体がふわりと浮かび上がり、二人は夜空へと舞い上がった。


戦場の光が、遠ざかっていく。



一方――


リシェルは、爆煙の中に立っていた。


風魔法で砂埃を吹き払ったその先に広がっていたのは、

地獄のような光景だった。


石畳は抉れ、黒く焼け焦げ、

兵士たちは無残に吹き飛ばされている。


壁に叩きつけられ、動かない者。

瓦礫に埋もれ、声も出せない者。


生と死の境界が、曖昧になっていた。


「……っ……」


右脚に激痛が走る。


骨が折れている。

踏み出すたびに、視界が白くなる。


それでも、彼女は歩いた。


足を引きずりながら。


煙の中へ。


「アシュリー様……」


声が震える。


返事はない。


隊員が気付き、駆け寄ってきた。


「リシェル様!こちらへ!」


魔法使いが膝をつき、治癒の光を流し込む。


骨が軋みながら、少しずつ修復されていく。


「アシュリー様は……見なかった?」


必死に問いかける。


「いえ……混乱していて……誰も……」


その言葉が、胸に突き刺さる。


「そんな……」


視線を上げる。


広場は、もはや原形を留めていなかった。


割れた窓、崩れた壁、焼けた地面。

そして――仲間たち。


リシェルの喉が詰まる。


(守れなかった……?)


否定したい思いと、現実がぶつかる。


「アシュリー様……!」


叫びながら、彼女は再び歩き出した。


煙の中へ。


瓦礫の中へ。


その名を探して――。

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