97、反撃
ガルムは、軍港からやや離れた避難地点に退いていた。
そこはもはや“後方”などではない。
臨時に設けられたその場所は――戦場病院そのものだった。
地面には、負傷者たちが無造作に横たえられている。
癒術師たちが必死に治癒魔法を施し、淡い光が次々と灯っては消えていく。
焦げた鎧。焼けただれた肉。
苦痛に歪む顔。呻き声。
自力で戻ってきた者たちは、地面や簡素な椅子に腰を下ろし、肩で荒く息をしていた。
その視線は虚ろで、戦いの記憶からまだ抜け出せていない。
中には、熱傷で意識を失い、微動だにしない者もいる。
焦げた匂いと血の匂いが混じり合い、重苦しい空気となって漂っていた。
「……っ」
ガルムはその光景を見つめたまま、荒い呼吸を繰り返す。
ゼイ……ゼイ……と胸が上下する。
自分の戦いが――この結果だ。
神代の化物。
あの理不尽な存在に対峙した結果が、これだった。
拳を握る。
(違う……)
これは――闇の主の軍勢ではない。
(こんな戦力……)
もし本当に敵陣営がこの力を持っていたのなら、
とっくに前線に投入していたはずだ。
こんな“切り札”を、今まで温存する理由がない。
つまり――
「……別だ」
ガルムは低く呟いた。
まったく別の脅威。
この戦役そのものの枠を超えた“何か”。
そして――
「あいつ一人にしちまった……」
視線が、遠く軍港の方角へ向く。
ソレンディル。
あの巨躯と対峙しながら、今も一人で戦っているはずだ。
歯を食いしばる。
助けに行きたい。だが――身体が言うことをきかない。
悔しさが胸を焼く。
その時だった。
――『おい、ガルム』
頭の奥に、直接響く声。
「……っ!?」
ガルムは思わず顔を上げ、声を荒げた。
「なんだ!誰だ!」
周囲の兵が驚いて振り向くが、声の主はどこにもいない。
――『声に出さずともよい。我はネフィリム……アゼザル・マハト』
その名を聞いた瞬間、ガルムの目が見開かれた。
(あの時の……!)
『そのアゼザルが、俺に何の用だ?』
心の中で問い返す。
――『お前が対峙したものは……神代の化物であったか?』
『ああ……そうだ』
ガルムは息を吐きながら答える。
『俺たちじゃ倒せねぇ。ソレンディルでも……止めきれねぇ』
悔しさが滲む。
しばしの沈黙。
やがて、アゼザルの声がわずかに低くなった。
――『我はソレンディルを娶る者。人の争いに介入する気はなかったが……』
一瞬の間。
――『神代の化生とあらば、話は別だ』
その声音には、明確な“意思”が宿っていた。
――『ソレンディルを危険に晒すわけにはいかぬ』
ガルムは目を閉じた。
(……頼む)
『あの化物は……俺たちじゃ無理だ。頼む、アゼザル』
そして、静かに願う。
『ソレンディルを……守ってくれ』
――『了解した』
短く、しかし確かな応答。
――『ガルム。よくやった。しばし体を休めよ』
その言葉を最後に、気配はすっと消えた。
ガルムは力が抜けたように肩を落とし、椅子に腰を下ろした。
「……あとは、任せたぞ……」
自分には、もうどうすることもできない。
ただ――信じるしかなかった。
その頃、軍港セリオン。
海と炎と雷が入り混じる戦場で――
ソレンディルは、ただ一人戦い続けていた。
空に、四つの巨大な魔法陣が展開されている。
火炎。
電撃。
爆裂。
氷結。
それぞれが異なる輝きを放ち、重なり合いながら回転していた。
「――凍てつけ!」
氷結魔法が海面を凍らせ、巨体の足を封じる。
「――弾けろ!」
続けざまに爆裂と火炎を叩き込む。
氷に閉じ込めたまま、内部から破壊する。
砕けた氷とともに、肉体が裂ける。
「――貫け!」
最後に電撃を流し込む。
『バァン!!』
衝撃が巨体を揺らす。
ジャイアントはぐらりと傾き――
膝をつく。
だが。
――立ち上がる。
何度でも。
何事もなかったかのように。
「……致命傷にならないか」
ソレンディルは歯を噛みしめた。
決定打がない。
攻撃は通っている。だが――足りない。
「っ!」
考えた瞬間、巨大な拳が振り下ろされる。
「おっと」
風の精霊に身を委ね、紙一重で回避する。
その時――
空を裂くように、白い稲妻が走った。
『バチィッ――!』
閃光が大地を叩く。
そして――
現れた。
ジャイアントと同等の巨躯。
神代の存在。
「……アゼザル様……!」
思わず声が漏れる。
「神代の化生と聞いてな。黙っておれなかった」
低く、重い声。
「大丈夫か?」
「……はい!」
短く答える。
その一言だけで、胸の奥にあった不安が消えていく。
「少し下がっておれ」
アゼザルが一歩前に出た。
右拳が炎のように赤く輝く。
左拳が白い雷光を纏う。
そして――
振り抜いた。
『ズガン!!ズガン!!』
二撃。
巨人の顔面が大きく歪む。
だが反撃。
巨大な拳が、アゼザルの胸を撃ち抜く。
『ドォン!!』
衝撃波が空気を震わせ、ソレンディルの身体を押し返す。
(……次元が違う……)
人の戦いではない。
アゼザルは一歩も引かない。
そのまま敵の腕を掴み――
背負い投げた。
巨体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
地鳴り。
土煙。
そのまま馬乗りになり――
胸部を狙う。
埋め込まれた厄災の魔石。
そこへ――
拳を、何度も叩き込む。
光が炸裂するたび、鈍い衝撃音が響く。
ジャイアントは反撃できない。
ただ打たれるだけ。
やがて――
魔石が、赤く脈動を始めた。
「……!」
アゼザルは両手を組み――
叩きつけた。
『バリィィィッ!!』
砕ける音。
同時に――
赤い光が、爆ぜた。
『ドォォォォン!!』
爆発。
衝撃。
炎。
すべてがアゼザルを飲み込む。
「アゼザル!!」
ソレンディルの叫びが響く。
煙の中から――
声が返ってきた。
「問題ない」
その姿は立っていた。
片側の肌は焼け、ただれている。
だが――ゆっくりと再生していく。
「この程度の仕掛け……どうということはない」
ソレンディルは深く息を吐いた。
「……よかった……」
安堵が胸に広がる。
アゼザルはゆっくりと姿を縮め、ソレンディルと同じ目線に立つ。
「本来、我は介入するつもりはなかった」
静かな声。
「神代の存在が知られれば、面倒が増えるからな」
少し間を置き――
「だが、あれは違う。あれは“遺物”だ」
その瞳に、わずかな憂いが宿る。
「父なる神が残したもの……存在そのものが災いだ」
ソレンディルは静かに頷いた。
「でも……来てくれたんですよね」
まっすぐな視線。
「ありがとうございます」
その言葉に、アゼザルはわずかに目を逸らした。
(……感謝、か)
遠い記憶が、かすかによぎる。
何千年ぶりだろうか。
だがすぐに、表情を引き締めた。
「まずはガルムを安心させてやれ。お前を案じていた」
そして、続ける。
「それと――この国の別の場所で災いが起きた」
ソレンディルの顔が強張る。
「さらに北西からも……こちらへ向かっている」
重い事実。
「我はこれ以上動けぬ。姿を見せ続ければ問題になる」
「……わかりました」
ソレンディルは一歩近づき――
そのまま、抱きついた。
「ありがとう、アゼザル」
一瞬、時が止まる。
そして彼女はすぐに離れ、風を纏って飛び上がった。
ガルムのもとへ。
アゼザルはその背を、静かに見送る。
やがて――
その姿もまた、光の中へと消えていった。




