100、奇跡
次の瞬間――
レギオン区全域に、鋭い鐘の音が鳴り響いた。
カン、カン、カン――!
乾いた金属音が夜気を裂き、街の隅々まで警戒を伝えていく。
兵舎の扉が一斉に開かれ、騎士たちが雪崩のように飛び出した。
鎧の擦れる音、怒号、指揮の声。
彼らは上空を見上げ――そして、凍りついた。
空を覆う巨大な影。
成竜。
あまりにも巨大なその存在に、誰もが一瞬だけ言葉を失う。
だが次の瞬間には、訓練された動きが始まっていた。
盾兵が前へ。
その後ろに魔法使い、さらに弓兵。
瞬く間に陣形が組み上がる。
恐怖を押し殺し、規律がそれを上書きする。
その動きは見事だった。
――だが。
「……それじゃ、被害が増えるだけだ」
ガルムは低く呟いた。
その布陣では――
“あれ”は止められない。
(どうする……)
拳が震える。
(何ができる……?)
戦場で初めて、思考が鈍る。
迷い。それは、死を呼ぶ。
「大丈夫かい」
振り返りもせずに、ソレンディルが静かに問いかける。
その声は、不思議なほど落ち着いていた。
「……問題ねぇ」
ガルムは短く答えた。
そう言うしかなかった。
その時――
竜の口内で、赤い光が膨張した。
濃く、重く、脈動する破滅の兆し。
ガルムの視界に、最悪の未来がよぎる。
(来る――!)
彼は咄嗟に前へ出た。
巨大な盾を広げ、ソレンディルとリシェル、そして動けないアシュリーを庇うように立ちはだかる。
「――来い!」
叫びと同時に。
閃光が走った。
竜の口から放たれた災厄の光――
それが、街へ降り注ぐ直前。
パァンッ!
空間が弾けた。
純白の光が、空一面に広がる。
透明な壁のように、それは展開され――
竜の攻撃を、完全に弾き返した。
「……な、なんだ……?」
ガルムの口から、呆然とした声が漏れる。
信じられない光景。
あの破滅の光が、触れることすら叶わず、消し飛ばされた。
「……助かった……のか……」
広場も、街も――
無傷だった。
騎士団の間にざわめきが広がる。
恐怖と、困惑と、そして――わずかな希望。
その時だった。
「ガルム!ソレンディル!無事ですか!」
よく知る声が、空気を震わせた。
「……エルドリン!」
ガルムが振り返る。
そこに立っていたのは――
重装備に火炎を防ぐ赤いマントをはためかせた剣士。
エルドリン・ファルコン。
「遅くなりました」
静かに、しかし確かな声音。
「いや……今のは最高のタイミングだ」
ガルムは息を吐く。
「あの光はなんだ?」
「あれは――エーテルリウムの奥義、《聖域結界》です」
淡々と答える。
「安心してください。この場は守られています」
エルドリンはそう言うと、すぐに視線を落とした。
そこには――
倒れたアシュリー。
その身体に必死に魔法を注ぐソレンディルとリシェル。
エルドリンはゆっくりと歩み寄り、
彼の傍に膝をついた。
そっと胸に手を当てる。
鼓動を確かめる。
静かに、目を閉じた。
そして――
「……二人とも、詠唱を止めてください」
その声は、あまりにも静かだった。
「アシュリーは――このままでは助かりません」
残酷な宣告。
「エルドリン!!」
「アシュリー様!!」
ソレンディルとリシェルが叫ぶ。
涙が溢れ、感情が崩壊する。
ガルムもまた力が抜けて、その場に崩れ落ちた。
膝が地面に叩きつけられる。
――駄目なのか。
その絶望が、全員を覆いかけた。
だが。エルドリンの表情は、微動だにしなかった。
「ソレンディル」
静かに語りかける。
「以前、あなたは私に聞きましたね。エーテルリウムに“蘇生魔法”があるのかと」
その言葉に、ソレンディルの呼吸が止まる。
エルドリンは、ゆっくりと手を掲げた。
次の瞬間――
白い魔法陣が展開される。
アシュリーを中心に、直径二メートルを超える巨大な円。
幾重にも重なる複雑で美しい紋様。
神秘そのものの輝き。
「――リザレクション」
言葉が発せられた瞬間。
光が四方に爆ぜた。
アシュリーの体内に残されたエーテルが共鳴し、一本の光の柱となって天へと伸びる。
誰もが、息を呑む。時間が止まる。
光はやがて収束し、静かに――彼の身体へと戻っていく。
鼓動が戻る。呼吸が整う。
失われたはずの生命が、そこに戻った。
エルドリンは確かにそれを感じ取った。
「……もう大丈夫です」
穏やかに言う。
「アシュリー、起きられますか」
そっと上半身を支える。
まぶたが震え――
ゆっくりと、開いた。
「……エルドリン……?」
かすれた声。
「どうして……ここに……?」
状況を理解していない。
記憶は、爆発の直前で止まっている。
「リシェルは……無事ですか……?」
その言葉を聞いた瞬間。
「アシュリー様ぁ……!」
リシェルが崩れるように駆け寄り、抱きついた。
泣きながら、何度も名前を呼ぶ。
生きている。確かに、ここにいる。
その奇跡を、全身で確かめるように彼女は幾度もその名を呼んだ。
ソレンディルは、その光景をただ見つめていた。
そして、震える声で呟く。
「……本当に……あったんだ……」
目に涙を浮かべながら。
「蘇生魔法は……存在したんだ……」
目の前で起こった2つの奇跡にガルムは「運命」を打開することが、出来るのではと思った。




