扉の向こう
地上へ通じる階段を上りきると、眩しい光とともに、2041年の日本橋の喧騒が全身を包み込んだ。
空中には色鮮やかなホログラム広告がゆらめき、最新の自律型配達ドローンが頭上を静かに飛び交っている。15年という歳月は街の景色を確実に変えていた。だが、建物の配置や路地の角度、空間に漂う独特の気配には、幼い頃に見た面影がしっかりと残っていた。
(……覚えてる。俺、この街を知ってる!)
胸の奥から湧き上がってきたのは、抑えきれない高揚感だった。失われていた記憶の欠片が、景色と重なり合うたびに次々と繋がっていく。
ふと鼻先をくすぐったのは、香ばしい生地と甘い餡の匂いだった。
ビルの隙間に挟まれるようにして建つ小さな木造の店舗。その軒先には、今も変わらず煙を上げる鉄板と、古びた暖簾が掲げられていた。
「あのたい焼き屋……まだ現役でやってるんだ!」
思わず声が漏れた。父親と修理屋に行った帰り道、いつも二人で熱々のたい焼きを買い、ベンチに並んで座って食べた。
火傷しそうになりながら餡子を頬張る正晴を見て、父親が目を細めて笑っていた顔が、鮮明な映像となって脳裏に蘇る。
時代の波に飲み込まれず、この場所で変わらずに営業し続けてくれていたことが、狂おしいほど愛おしかった。
(たい焼き屋がこっちにあるなら……店はあっちだ)
迷いは完全に消えていた。記憶の糸がしっかりと手繰り寄せられていく。この路地を曲がり、まっすぐ10分ほど歩けば、あの場所にたどり着くはずだ。
そして——。
「……あった」
路地の奥、ひっそりと佇む小さなビルの1階。くすんだ真鍮のドアノブと、ガラス越しに見える無数のネジやギアが詰まった棚。15年前と何一つ変わらない姿で、その店はそこに存在していた。
「本当によく……今も変わらず営業してくれたな……」
胸が熱くなり、視界がじんわりと滲んだ。
この時代において、このような時代遅れにもみえる頑固な場所が生き残っていることが、どれほど奇跡的なことか。
今の自分という人間を温かく迎え入れてくれる場所が、確かにこの世界にはあるという感謝が、波のように押し寄せてきた。
しかし、いざ店の扉の前に立つと、正晴の足がぴたりと止まった。
一歩を踏み出す直前、怒涛のような感情の嵐が心を吹き荒れた。
通行人や世間から見れば、ただの学生が古ぼけた修理屋のドアを開けようとしているだけに過ぎないだろう。
何の大げさなことがあるのかと笑われるかもしれない。
だが、正晴にとって、この真鍮のドアノブを回すという行為は、非常に大きな意味をもっていた。
自分の意思で、自分の手で、泥臭く人生を切り拓いていく生き方へ変わるための、絶対的な境界線。
このドアをくぐった瞬間、俺の人生は絶対に変わる。もう前の自分には戻れない。
恐怖と、それを遥かに上回る胸の高鳴り。
正晴は深く息を吐き出し、胸のポケットにあるぜんまい時計をその上からそっと手で確かめた。チクタクと刻まれる時計の拍動が、正晴の背中を力強く押した。
正晴は真鍮のドアノブへと手を伸ばし、ゆっくりとドアを開けた。




