第三章 1 『百夢は一見に如かず』
戦争の終結を受け、世間では戦後の行く末についてさまざまな意見が飛び交っていた。その頃、賢星国家レグルスでは、シエルが仲間たちを集め、今後の方針について話し合っていた。
「今後はどう動くのですか?」
テクストの問いに、シエルは静かに答えた。
「まずは、私自身を見つめ直さなければなりません。それが今の私にとって、明確な課題です」
シエルはこれまで、自分の力も精神磨く努力を怠ったことはなかった。それでも、今回の戦いを経て、今の自分では足りないことを痛感していた。
では、これから何をすべきなのか。今までと同じように努力を続けるだけでいいのか。シエルは、その答えを見つけられずにいた。
「それでしたら、あの方のもとを訪ねてみてはいかがでしょうか?」
ヘリオスの提案に、カイセンは首を傾げた。『あの方』が誰を指しているのか、見当もつかなかったからだ。
「大賢者――ヴァイゼ・ゲシヒテですか……」
シエルがその名を口にすると、表情がわずかに曇った。
「大賢者……会いに行けるのか? そんなすごいやつのところに」
カイセンが尋ねると、シエルは小さく頷いた。
「うん。会えないことはないんだけど……」
言葉を濁すシエルに、カイセンは疑問を抱いた。会うこと自体に問題はないらしい。それなのに、どうしてためらっているのだろうか。
シエルはしばらく考え込んでいたが、やがて迷いを振り切るように顔を上げた。
「行きましょう。いつまでも嫌がってはいられないから」
その声には確かな決意が込められていた。
しかし、カイセンは気づいていた。決意を固めたシエルの表情には、まだわずかな不安が残っている。
おそらく、この場にいるほかの者たちも気づいているのだろう。それでも、誰もそのことを口にはしなかった。
「訪問の許可が下り次第、連絡するね」
賢星国家の王族であっても、大賢者に無断で会いに行くことはできない。国の始まりに深く関わる存在である以上、訪問には本人の許可が必要だった。
シエルは、許可を得るまでには数日かかると考えた。
ところが、念のために席を外し、ヴァイゼの配下へ念話を繋いでみると、予想に反して許可はすぐに下りた。
どうやら、念話を繋いだ際、配下はヴァイゼと同じ場所にいたらしい。シエルの訪問を聞いたヴァイゼが、その場で直接、許可を出したのだという。
こうして、シエル、テクスト、カイセン、ヘリオスの四人は、翌日、転移魔法を使ってルプスへ向かうことになった。
「今日は部屋に戻って寝るか」
話し合いを終えたカイセンは、自室へ戻った。
「明日は大賢者に会えるのか。少し楽しみだな」
この世界に来てから、数々の不思議な出来事を経験してきた。それでも、大賢者と呼ばれる人物に会うのは初めてだった。
いったい、どんな人物なのだろう。
そんな期待を胸に、カイセンは眠りについた。
――夢を見た。
「残念でしたー! まんまと信じきっちゃって、裏切られてざまぁ!」
以前にも聞いたことのある、女の声。
「絶対に殺してやる、悪魔め」
カイセン自身の声だった。
「人の権能に頼るな」
今度は、聞き覚えのない男の声。
「新たな王をここに発表する!!」
さらに別の男が、声を張り上げた。
脈絡のない声が、次々と耳に届く。
やがて、一人の男の姿が浮かび上がった。
その男に向かって、カイセンは剣を突きつけていた。
「お前が俺を召喚したのか!」
「そうだが、なぜそんなに怒っているんだ?」
男が答える。
次の瞬間、カイセンは剣を振るった。
「黙れ、メシアス・アルム! お前が俺に何をしたのか忘れたのか!!」
――そこで、カイセンは目を覚ました。
「メシアス・アルム……?」
夢の中で聞いた名前が、頭から離れなかった。
「どこかで聞いたことがあるような……」
ぼんやりと天井を見つめていたカイセンだったが、ふと何かに気づき、目を見開いた。
(ん? 待て待て待て)
眠気が一気に吹き飛ぶ。
(夢の中の男は、自分が俺を召喚したと認めた。そして、俺はあいつに「お前が俺に何をしたのか忘れたのか!!」と言った。つまり……)
カイセンはベッドから飛び起きた。
「メシアス・アルム……あいつが、俺を拷問した悪魔なのか!?」
夢に映るのは、この先に起こり得る未来の可能性。夢のとおりに進むこともあれば、別の道を選ぶことで回避できることもある。カイセンはそう解釈していた。
必ず当たるわけではない。だが、これまでにも夢で見たことが現実になった経験はあった。
「……信じるしかないな」
初めて手にした、悪魔につながるかもしれない手がかり。
夢の内容が本当なのか、カイセンには分からなかった。それでも、今は信じることにした。
カイセンは唇を噛みしめた。
「絶対に殺してやる、悪魔め」
吐き捨てるように呟いたあと、カイセンは深く息を吐いた。
感情に任せて動く前に、冷静に考える必要がある。
(ん……待てよ。メシアス・アルムって、大賢者の一人じゃなかったか?)
記憶を探る。
レグルス王国の貧民街に生まれた大賢者、メシアス・アルム。
三人目の大賢者にして、転移魔法を得意とする人物。彼が生まれたことで、レグルス王国は賢星国家と呼ばれるようになった。
(こんぐらいしか覚えてねえ)
肝心の居場所については、何も知らなかった。
カイセンは時計に目を向けた。
「王都図書館はあと……十五分!? 急げ!」
カイセンは閉館まで残り十五分となった王都図書館へ向かうことにした。
(移動に十分。本を探して借りるのに五分……)
時間はない。
考えている間にも、カイセンは部屋の窓から外へ飛び出し、夜道を王都図書館に向かって走り出していた。
足に魔力をまとわせ、移動速度を上げる。しかし、それでは間に合いそうにない。
(やれるか?)
カイセンは一度、足を止めた。
「ミストルティン」
黒い弓と矢が現れる。
カイセンは、普段よりも大きな矢を生み出した。
矢を放つと、弓を手放し、飛んでいく矢を素手でがっしりと掴んだ。
そのまま、矢とともに空中を飛び、矢の勢いを利用し、一気に移動した。
着地点は狙いから少し外れたものの、カイセンは王都図書館の近くに着地した。出発からわずか七分。閉館までには、まだ間に合う。
(間に合った。でも、手がバカ痛えから二度とやらねえ)
カイセンは痛む手を気にしながらも、図書館へ駆け込んだ。
すぐに司書にメシアス・アルムに関する本の場所を尋ね、司書におすすめされた五冊を選び、閉館一分前に図書館を後にした。
自室へ戻ると、さっそく本を開いた。
しかし、五冊の本に書かれていたのは、メシアスの生まれや年齢、容姿、得意とする転移魔法など、すでに知っている情報ばかりだった。現在の居場所につながる手がかりは見つからず、最後に公の場へ姿を現したのが封印魔法を使ったときだと分かっただけだった。
「くそ……名前が分かっても、これじゃ意味ないじゃねえか」
カイセンは本を閉じ、再び時計に目を向けた。
時刻は二十三時。
(明日は始まりの大賢者に会いに行くんだ。早く寝ないと……)
そう考えてベッドに入った、そのときだった。
「あ」
カイセンは何かを思いついたように声を漏らした。
「同じ大賢者なら、居場所を知ってるかも?」
わずかな期待を胸に、カイセンは目を閉じた。
翌朝、部屋に差し込む朝日を浴びて、カイセンは目を覚ました。
「さすがに二回連続で予知夢は見れなかったか」
そう呟きながら支度を済ませ、シエルのもとへ向かう。
そこにはすでに三人が揃っていた。カイセンが合流すると、一行は転移魔法を使う場所へと移動した。
(これもメシアス・アルムの魔法なんだよな……)
転移魔法が起動した。
次の瞬間、四人の目の前には、それまでとはまったく異なる景色が広がっていた。
緑豊かな大地がどこまでも続き、その間を幾筋もの川が縫うように流れている。広大な土地の向こうには、ルプスの王都を囲む城壁が築かれていた。
城壁の周囲には小さな村々が点在し、その合間には畑や草原が広がっていた。
四人は城壁へ向かって歩き出し、しばらく進むと、大きな門にたどり着いた。門番に許可証を提示し、入国手続きを済ませた。
「今のルプスは、騎士団の団長を失って少し荒れています。十分にお気をつけて」
門番の言葉に、カイセンは表情を引き締めた。
今回の戦争では、賢星国家の中で最も被害が少なかったのはレグルスだった。一方、ルプスはエイリ騎士団の団長、チーフ・エリモルと何人もの団員を失っていた。
そして、戦後に最も大きな変化を迎えたのがカストルだった。
カストルは約四百年にわたって魔族に支配されていた国だ。その長い支配の間に、国内から人間はいなくなっていた。
カストルに人間が残っていないと判明する以前から、大賢者が亡くなった以上、賢星国家の名を返上すべきだという意見も上がっていた。
結局、カストルは賢星国家の名を失った。
現在、カストルには人間に降伏した魔族が暮らしている。もちろん、人間側の警戒が解かれたわけではなく、魔族の了承のもと、人間の監視下に置かれていた。
「ここが賢星国家ルプスか」
初めて訪れる土地に興味を惹かれながらも、カイセンの表情はどこか冴えなかった。
「変なことはしないでね」
そんなカイセンに、シエルが釘を刺す。
その言葉に、護衛でついて来たテクストも頷いている。
「ああ、わかってる」
今回、シエルたちがルプスを訪れた目的は、ある人物に会うことだった。
(悪魔の居場所を知っている可能性が高いんだよな……)
シエルはシエルで目的があり、カイセンにもカイセンの目的がある。
二人はそれぞれの思惑を胸に、同じ人物のもとへと向かっていた。
(いや、悪魔と呼ぶのはやめよう。大賢者――メシアス・アルムの居場所を聞くんだ。そのために俺は来たんだ)
自分を苦しめた男に近づいている。その事実が、カイセンを突き動かしていた。




