第二章 16 『魔族に帰る屋敷あり、人間に向かう道あり』
戦場の中央に、一人の人間が立っていた。
「聞け!」
男の声が戦場に響き渡る。刃を交える人間にも、魔族にも、その声ははっきりと届いていた。
「魔族を束ねる七大魔族の内、暴食、色欲、憤怒、怠惰、傲慢は封印された! そして、強欲が復活するのも百年後だ!」
男は周囲を見渡し、言葉を続ける。
「残る七大魔族は嫉妬のみ! だが、嫉妬は居場所すら不明であり、今回の戦争にも参加していない!」
そして、手にした槍を天へと突き上げた。
「よって、賢星国家レグルス第一王子、イロン・レーヴェ・ケーニヒが、人間側の勝利を宣言する! 戦争は終わりだ!」
その瞬間、戦場に歓声が沸き起こった。
人間たちは勝利を喜び、互いの健闘を称え合う。
しかし、魔族の側から歓声が上がることはなかった。
「魔族に与えられる選択肢は二つ! 人間の配下として一生軍門に降るか、それとも、これより根絶やしにされるかだ! 選べ!」
男の宣告に、一人の魔族が声を荒らげた。
「ふざけるな!! 魔族が人間の配下に降るなど、あるわけがないんだよ!!」
その叫びに、多くの魔族が賛同する。
人間に従うくらいならば、最後まで戦う。そんな意思を示す者たちだった。
だが、すべての魔族が同じ考えを持っていたわけではない。
武器を捨て、軍門に降る意思を示す者も、少なからず存在していた。
「一ヶ月後に魔族側の判断を問う! それまでに結論が出なければ、殲滅を開始する」
こうして、人間側の一方的な宣言によって、戦争は終結した。
その決定を魔族が受け入れたわけではない。
それでも、戦争が終わったという事実だけは、誰にも否定できなかった。
人間たちは中央荒野を去り、それぞれの国へと帰還していく。
一方の魔族は、怒りのままに人間へと襲いかかる者もいれば、魔陸へと引き返す者もいた。
やがて、戦いの爪痕だけを残し、中央荒野から人影は消えていった。
* * *
あれから数日。
七月十日。賢星国家レグルスでは、戦争の勝利を祝う宴が開かれていた。
だが、それは勝利を喜ぶためだけの宴ではない。
戦争で命を落とした者たちを弔い、その死を悼むための場でもあった。
王都には多くの人々が集まり、夜になっても灯りが消えることはなかった。
そんな王都の喧騒から離れた場所に、カイセンはいた。
戦死者たちが眠る墓地。
その一角で、カイセンは一つの墓の前にしゃがみ込んでいた。
墓石に刻まれているのは、ナイン・レインという名前だった。
「ナイン、戦争は終わったぞ。今は国も落ち着いてきた。一ヶ月後にまた戦いが起こるかもしれない、なんて言われてるけど……俺は……俺は……」
言葉が途切れる。
カイセンは、ナインの墓の前では泣かないと決めていた。
親友の前で、格好悪い姿を見せたくなかったからだ。
だから、涙を堪えようとした。
けれど、どれだけ堪えようとしても、涙は頬を伝って流れ落ちた。
「お前の分も……頑張――」
そこまで口にして、カイセンは言葉を止めた。
小さく首を横に振る。
(いいや、違うな)
涙を拭い、顔を上げる。
天を見つめたのは、ナインが天国にいると信じているからなのか。それとも、これ以上涙を流さないためなのか。
おそらく、その両方だった。
カイセンは拳を突き出す。
「見ていろよ、ナイン! お前の親友がどう生きていくかを!」
その声は、静かな墓地に響いた。
返事はない。
それでもカイセンは、しばらくの間、空を見上げ続けていた。
* * *
戦争の終結は、王位継承戦にも大きな変化をもたらした。
その中でも、最も大きな出来事はミレナ・レーヴェ・ケーニヒの死だった。
候補者が一人減ったことで、王位を巡る争いは残る三人を中心に動き始める。
中でも、評価が大きく分かれていたのがシエル・レーヴェ・ケーニヒだった。
シエルの陣営は、戦争において大きな功績を残している。
色欲の封印に加え、傲慢を攻略するための方法を見つけ出した。そして、傲慢に決定打を与えたのは、ナイン・レインだった。
こうした功績を受け、シエルを支持する者は一気に増えていた。
しかし、その一方で、シエル本人の実績を疑問視する声も上がっていた。
優秀な配下に恵まれていることは認める。だが、本人には何の実績もない。そんな人物に、国を治める王が務まるのか。
それが、彼女を支持しない者たちの主張だった。
安定して優勢を保っているのは、ローゼ・レーヴェ・ケーニヒである。
戦争における彼女自身の活躍も十分に評価されており、支持は揺らいでいなかった。
そして、イロン・レーヴェ・ケーニヒ。
彼の圧倒的な力に異を唱える者はいない。
ただし、配下を持たないという彼の主義については、王としてふさわしいのか疑問を抱く者もいた。
三人の候補者。それぞれの実績と、それぞれの問題。
戦争が終わった今、王位継承戦は新たな局面を迎えようとしていた。
* * *
魔陸のどこか。
憂鬱の魔族シュヴェアムートは、ある屋敷を訪れていた。
屋敷の中へと足を踏み入れ、目的の人物を見つけると、彼は気軽な調子で声をかけた。
「ああ、やっぱりここにいたんだ」
「……君か」
声をかけられた男は、シュヴェアムートを一瞥した。
その表情には、わずかな落胆が浮かんでいた。
シュヴェアムートは、そんな男の様子よりも、別のことが気になったらしい。
「あれ? 喋り方変えたの? 前のもいいと思うけどな」
「どうでもいいだろう。君には関係ない」
男は取り合おうともしない。
それでもシュヴェアムートは気にした様子もなく、男のそばへと歩み寄った。
「そんな言い方はないだろ? もう残ってるのは俺たちと嫉妬だけなんだからさ」
ここは、色欲の七大魔族――ウォルスト・アスモデウスの屋敷。
「仲良くしようよ。虚飾の魔族、ハグノス・カイ・オーモス」
名を呼ばれても、ハグノスは答えなかった。
ただ、部屋の中に置かれた椅子へと腰を下ろす。
それは、アスモデウスが使っていた椅子だった。
ハグノスは目を閉じる。
「カイセン……」
* * *
「ここが賢星国家ルプスか」
初めて訪れる土地に興味を惹かれながらも、カイセンの表情はどこか冴えなかった。
「変なことはしないでね」
そんなカイセンに、シエルが釘を刺す。
その言葉に、護衛でついて来たテクストも頷いている。
「ああ、わかってる」
今回、シエルたちがルプスを訪れた目的は、ある人物に会うことだった。
(悪魔の居場所を知っている可能性が高いんだよな……)
シエルはシエルで目的があり、カイセンにもカイセンの目的がある。
二人はそれぞれの思惑を胸に、同じ人物のもとへと向かっていた。
(いや、悪魔と呼ぶのはやめよう。――の居場所を聞くんだ。そのために俺は来たんだ)
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