第二章 15 『悲しいよ』
ミレナ・レーヴェ・ケーニヒは皆から愛される女だった。
しかし、彼女の裏の顔を知っている人物は皆『傲慢な女』と蔑んだ。
彼女の辞書に『努力』という文字はなかった。自分が努力をするぐらいなら、配下に自分の分まで努力させるような女だった。
聡明な女と呼ばれたミレナも、判断を誤り、王位継承戦の最初の脱落者となった。
だが、シエルたちには今、悲しんでいる暇などない。というか、ミレナは悲しまれるような人間でもなかったのかもしれない。
ルシファーが立ち上がり、ミレナの生首を森の奥へと投げ飛ばす。
「コロシテヤル」
ルシファーの口から発せられた言葉は片言で、知能が低下しているのは明らかだった。
再び咆哮。
森は揺れ、大地にひびが入る。
「ムーサ」
ルシファーから放たれた赤と青が混ざった球は、イロンたちの周囲まで飛んでいくと爆発した。
イロンたちはそれぞれ防御態勢を取り、負傷を免れた。しかし、ルシファーは疑念の表情を浮かべている。
「ア?」
『ムーサ』は水と炎の複合魔法。本来ならば、相手に傷を負わせるとともに霧を発生させるはずだった。
しかし、ルシファーの知能が低下しているせいか、魔法の調和が乱れ、爆発を引き起こした。
本来の効果は失われた。だが、制御を失った魔法は、予想外の破壊力を生み出していた。
「ムーサ。ムーサ。ムーサ」
連続で魔法を放つ。狙いはめちゃくちゃだが、威力は強く、まともに食らえば致命傷は避けられないかもしれない。
さらに、先ほどから続いている戦闘で体力を消耗しているイロンたちにも、限界が近づいていた。
そして、最も体力を消耗しているのはテクストだった。魔力がないテクストは、防御にも攻撃にも体力を使わざるを得ず、他の者よりも疲弊していた。
* * *
中央荒野では、七大魔族という大きな戦力を失った魔族たちが、人間たちによって殲滅されていた。
魔族には、最後まで戦う者、諦めて膝をつく者、戦場から逃げ出して魔陸の方へ走る者がいた。
様々な魔族が少しずつ死んでいく中、一人の魔族は地べたに寝転がり、タイミングをうかがっていた。
(ベルフェゴール様は封印されたか)
憂鬱の魔族、シュヴェアムートだった。
彼はイロンに敗れた。だが、それでもこうして生きている。
(はぁ、ヌイが死んだのが痛いな……。あいつがいればすぐに逃げられるのに。戦場に残っているやつらを全員殺すなんて大変だし、さすがにできないだろう)
シュヴェアムートは目を薄く開けた。
(こいつら、死体の真似してたら襲ってこないよな?)
その時、人間の一人が剣でシュヴェアムートの心臓をぐさりと刺した。
人間は「死んでいるな」と言うと、次の場所へと向かっていった。
(危ないな……)
* * *
「グートリヒト!」
ルシファーはただただそこに立っている。防御魔法を展開しない。攻撃は直撃した。それなのに、ルシファーは痛くも痒くもなさそうで、魔法を放って反撃してくる。
他の者が魔法を放ってもかすり傷一つつかない。剣を振ってもルシファーの体には切り傷一つつかない。槍を突いても一ミリも通らない。
(何も効かねえじゃねえか)
カイセンは、かすり傷ひとつつけられない相手をどうやって倒せばいいのか分からなかった。
皆がルシファーの攻撃をしのぎ、「エンジシ」「王牙流・青龍」「ブラウゼ・ブリッツ・ラウフェン」など、何度も魔法を放ったが、ルシファーは相変わらず攻撃魔法も防御魔法も使わず、手で払うだけだった。
(何かあるはずだ。どんなアニメもゲームも、最強のラスボスには攻略法がある。無敵な能力にも圧倒的な攻撃力にも、カラクリがあるもんだ)
もちろん、カイセンはこの世界がゲームではないことを理解している。それでも、この世界で、今このメンバーで活躍するには、元の世界の知識を活かすしかないと考えた。
(回数に限界はなさそうだな。攻撃する時に馬鹿みたいに魔法へ魔力を集中させていたし、よくある魔力消費が多すぎて限界がすぐ来るってこともなさそうだ)
ルシファーが攻撃を仕掛けてくる。カイセンたちが防御して反撃を仕掛ける。ルシファーはそれを何もせずに受け切り、攻撃が止んだ後に反撃の魔法を放つ。
イロンたちも戦闘しながらルシファーのカラクリを考えるが、答えは出ない。
「オマエラ、ソロソロ、シネ。ムーサ。ムーサ。ムーサ。ムーサ。ムーサ」
ルシファーは片言で喋り、魔力の全てを魔法に集中させて放った。爆発する範囲はばらばらで、ぎりぎり避けられる時もあれば、避けきれない時もあった。
そのため、攻撃を避けながら、念のため防御魔法も展開する必要があった。
その時、カイセンの頭に一つの疑問が浮かんだ。
なぜルシファーは、こちらの攻撃を受け切ってから反撃するのか。
攻撃を受ける時、ルシファーは魔法を使わない。だが、反撃する時には、膨大な魔力を魔法へと集中させている。
(まさか――)
カイセンは、ルシファーが攻撃魔法を放とうとした瞬間に行動に移した。
「ミストルティン」
弓を射る。それはルシファーが魔法を放ち切るよりも先に、その腕まで届いた。
そして、矢は腕を貫通した。
これまでかすり傷ひとつつかなかった体に傷をつけた。
「わかったぞ! こいつは――」
その時、ルシファーが魔法を放った。攻撃に魔力を回していたカイセンは防御が間に合わず、吹き飛ばされた。
カイセンは木にぶつかり、魔法のダメージと木にぶつかった衝撃で血を吐いた。
「やべえ……。これは死ぬ……」
傷口を手で押さえようとすると、手に刺激が走る。
カイセンが倒れ込むと、すぐにナインが駆け寄った。
「傷口の中で爆発が連鎖している? アンチ・マジック!」
ナインは爆発の連鎖を止め、治療を始めた。
「ハイルング」
回復魔法で傷口を塞ぐ。
「回復魔法はあまり得意ではないのですが、塞がって良かったです。ただ、動きすぎるとまた開く可能性があるので、気をつけてください」
回復魔法を使える者は稀であり、ナインでも傷を完全に治すことはできなかった。
カイセンは死を覚悟していたため、傷が塞がったことを意外に思った。だが、そんなことにいつまでも気を取られている暇はない。
「そいつは攻撃の時、全ての魔力を魔法に回している! 攻撃の瞬間、そいつの体は魔力を一切纏っていない!!」
カイセンはシエルたちに声が届くように叫んだ。それを聞いたイロンたちは目の色を変えた。
(あいつは百と零しかないんだ。防御する時は体に、攻撃する時は魔法に、魔力の全てを回している。だから、攻撃に耐えながら自分も攻撃することはできないんだ)
カイセンは納得した様子で立ち上がる。
強者の間では、常に魔力を体に纏わせることが当たり前すぎて、誰もが無意識のうちにその可能性を考えから外していた。
(だが、どうする? それがわかったところで、ルシファーの魔法を防御しながら、致命傷になるほどの反撃をこちらも繰り出さなければならない)
全員の意見が一致する。
(容易なことではない)
今まではこちらも攻撃した後に反撃することしかできなかった。攻撃に力を入れると、自分が死ぬ可能性が出てくる。防御に力を入れると、ルシファーに致命傷を与えることはできない。
「オマエ、ナニ、イッテル」
ルシファーは状況を理解できていないようだった。
「どうやら、僕の出番のようですね」
ナインが一歩前に出た。
「何を言って……」
カイセンはナインを止めようと、ナインの方へ手を伸ばす。
「僕がやります。調子に乗るなとは言わないで欲しいのですが、瞬間火力は僕が最大で、防御魔法の展開も僕が一番速いのですから」
ナインの言葉は事実だった。瞬間的な火力も、防御魔法を展開する速さも、彼が仲間の中で最も優れている。ほかの者では、防御が間に合わずに吹き飛ばされる可能性が高かった。
「なら俺がナインの分も防御魔法を張るぞ。それくらいはやらせてくれ」
カイセンの言葉を聞き、ナインは首を横に振った。
「ダメです。他の人の分まで防御に魔力を回したうえで耐えられるほど、ルシファーの魔法は弱くない」
「オマエ、ツヨイナ」
ナインとルシファーが、同時に魔力を集中させ始める。
「カイセン、僕ではなくルシファーを見てください」
カイセンはそれを聞き、ルシファーに目を向ける。
「フロイント、今仇を討ちますよ」
ナインは昔の親友の名を静かに呟いた。
「フォル・アレス・エレメント!!」
ナインが放った魔法は、これまでに見せたことのないほどの威力でルシファーに直撃した。
それでも、ルシファーは魔法を放った。
「ディアボロス」
ルシファーの魔法によって見えるものは、人によって違った。『ディアボロス』は、相手のトラウマを呼び起こし、それに襲わせる魔法のようだ。
そして、ナインには十二年前に自分の親友を殺した魔族、アロガンツ・ルシファーが見えた。
イロンたちは自分の身を守ることで精一杯だった。
ナインも急いで防御魔法を展開し、やがて『フォル・アレス・エレメント』と『ディアボロス』は消滅した。
イロンたちがルシファーを見ると、翼はところどころ抜け落ち、気を失って倒れていた。
「やったぞ! ナイン……」
ルシファーが倒れたのを見たカイセンは、次にナインを見た。しかし、ナインもすでに地面に倒れていた。
「ナイン……?」
ナインは防御魔法を展開していた。
それでも、攻撃直後の彼が展開した防御魔法では、ルシファーの最大火力を耐え切れなかった。
カイセンがナインに近寄る。
鼓動は弱いがかすかに続いていた。しかし、今にも止まってしまいそうだった。
カイセンは急いで心臓マッサージを開始した。
「今すぐヒラさんを呼んで!」
シエルが声を張る。
それを聞くよりも先に、テクストは中央荒野の方へ走り出していた。
しかし。
「待て、テクスト」
テクストが足を止め、恐る恐る振り向く。
「もうダメだ……。鼓動が完全に止まった……」
カイセンは泣き崩れた。
ナイン・レインは自分の命と引き換えに、魔族の最大戦力を倒したのだ。誇り、讃えられるべき行動だった。
それでも、カイセンはナインをバカだと言い捨てた。その言葉をこの場の誰も否定しなかった。
「封印するぞ」
イロンが口を開く。
それを聞き、カイセンはイロンを睨んだ。
「お前は、ナイン・レインの命を無駄にするのか?」
カイセンは唇を噛んだ。
そして立ち上がり、封印の準備を始めた。
「パンドラ」
カイセンたちは、気を失ったルシファーが少しずつ封印されていく様子を見ていた。
ルシファーの封印が完了した。
それでも、この場に勝利の雄叫びを上げるものはいなかった。
イロンたちは中央荒野に向けて走り始める。シエルもテクストも少し悩んでいたが、戦争の途中であることを考え走る。一方、カイセンはナインの亡骸を抱えて歩き始める。
カイセンは色々な記憶を思い出す。
ナインに初めて出会った日。
そして魔法を教えてもらった思い出。
ナインと一緒にシュテーレン・メヒテとポイント制の勝負をした日。
そして魔族と戦闘しナインとの仲が深まった思い出。
ナインと共に強欲の城に連行された日。
そして救援に来たシエルたちと魔城マインスを攻略した思い出。
ナインたちと一緒に第三次魔人戦争に参戦した日。
そして皆と協力して色欲を封印した記憶。
ナインたちと傲慢を封印した今日。
そして自分が攻略法に気づいたせいでナインが死んだ数分前の記憶。
カイセンの涙がナインの顔にポツポツと落ちる。
カイセンとナインは出会ってから半年にも満たない。だが、この世界に来てから一番同じ時を過ごしたのはナインだった。
一緒に修行をした。一緒にご飯を食べた。一緒に敵と戦った。この世界で一番最初にできた親友だった。
「お前がいねえと悲しいよ」
その呼びかけに答える者はいない。
* * *
「ここは……」
ルシファーは封印の効果で権能を封じられたことにより『ダテンアマカ』が解除され、理性を取り戻していた。
「まさか負けたのか? この俺が?」
ルシファーは髪をぐしゃぐしゃにしてから周囲を見渡した。
「グロブス・アルトュス・ヴァッサー」
ルシファーが魔法を放つとそれはどこまでも飛んで行き、いずれ消える。
ルシファーはどれほど歩いたのかもわからない。
息を切らし、地面に膝をつく。
「これがメシアス・アルムの封印魔法か……」
メシアス・アルムが作った封印魔法は、対象を異空間へと転移させるものだ。
その仕組みについては、メシアス自身が公表していた。
しかし、彼は一つだけ、真実を隠していた。
封印の対象は七大魔族そのものではない。権能を所持する者だ。
だが、メシアス・アルムは、この事実を公言すれば悪用されると考え、真の対象を隠していた。
弱っている権能所持者を強制的に異空間に転移させる魔法。それが封印魔法『パンドラ』であり、その封印を解く方法は存在しない。
ルシファーは唇を噛み血を流す。
そして、現実を否定し苦痛の悲鳴を上げる。
* * *
世界のどこか。
一人の男が椅子に座り、水を飲んでいた。
「暴食、色欲、怠惰、傲慢の封印に成功したのか」
男は静かに水を置いた。
「死ぬことすら許されない空間で、永遠に続く時間を過ごせ」
男は大賢者。
大賢者――メシアス・アルムだ。
【キャラクター紹介】
アロガンツ・ルシファー
種族:魔族
年齢:437歳
誕生日:6月6日
身長:190cm
体重:82kg
体格:細身ながらも鍛えられた体格。
髪:純白
瞳:青(権能発動時は赤と青の左右異色の瞳)
一人称:俺
好きなもの:完膚なきまでな勝利
嫌いなもの:敗北
適性:水、炎
権能:ダテンアマカ
発動すると、白と黒の翼を持ち、左右で色の異なる瞳や伸びた白髪になり、時間が経つほど異形の姿へと変貌する。




