第三章 2 『始まりの男』
ルプスに到着して、最初に目に入ったのは現ルプス国王の城だった。
入国後、カイセンたちはまず国王との謁見を済ませ、大賢者ヴァイゼ・ゲシヒテの屋敷へと向かった。
屋敷の扉を叩くと、中から「お待ちください」という声が聞こえてきた。
数秒後、扉がゆっくりと開く。
姿を現した男は、顔全体を覆う仮面をつけていた。仮面の表面には見慣れない模様が刻まれており、その素顔を窺うことはできない。
「私はヴァイゼ様の配下、フスズ・コルコクスと申します」
フスズは一礼すると、カイセンたちを屋敷の中へと案内した。
長い廊下を進み、突き当たりにある大きな扉の前で足を止める。
「ヴァイゼ様、お連れいたしました」
そう告げてから、フスズは扉を開いた。
部屋の一番奥には一脚の椅子が置かれており、そこには一人の男が座っていた。
「久しいな、第三王女。第一王女は死んだと聞いたぞ」
男はシエルを見るなり、そう口にした。
シエルは部屋の奥へと進み、男の前で片膝をついた。
「お久しぶりです。賢星国家レグルスの第三王女、シエル・レーヴェ・ケーニヒです。先日の連絡の通り、ヴァイゼ様のお力をお借りしたく、ここまで参りました」
シエルの言葉を聞いた男は、次にヘリオスへと視線を移した。
「ヘリオス・ヤネルと申します。シエル様の内政官を務めております」
ヘリオスが名乗ると、男は続いてテクストを見た。
「テクスト・アインと申します。シエル様の騎士を務めております」
テクストの自己紹介を聞き終えると、男の視線は最後にカイセンへと向けられた。
「カイセンと申します。シエル……様の……配下にあたります」
カイセンは言葉を詰まらせながらも、できる限り丁寧に名乗った。
「そうか」
男は呆れたように呟くと、椅子から立ち上がった。
「大賢者、ヴァイゼ・ゲシヒテだ。よろしく頼む」
ヴァイゼは三千二十四歳とは思えないほど若々しかった。長い白髪は、邪魔にならないよう後ろで結ばれている。
「そこの男、何か言いたげな顔だな」
ヴァイゼはカイセンへと目を向けた。
カイセンは立ち上がり、ヴァイゼを見据えた。
「大賢者メシアス・アルムが現在どこにいるのか、お聞きしたいです」
ヴァイゼは小さくため息をついた。
「知っている」
その一言を聞いた瞬間、カイセンは目を見開いた。
「本当か!? どこにいる!? あ……どこにいますか?」
思わず声を荒らげたカイセンは、すぐさま言葉を改めた。
「甘えるな。何もなさずに何かを得ようなど、都合がよすぎるぞ」
ヴァイゼはそう言うと、フスズへと視線を向けた。
視線を受けたフスズは、部屋に並ぶ四つの扉のうち、一つへと歩み寄り、静かに開いた。
ヴァイゼは開かれた扉を一瞥してから、カイセンへと視線を戻す。
(行けってことか?)
カイセンはそう解釈すると、扉の先にある部屋へと向かった。
カイセンが部屋に入るのを見届けると、ヴァイゼは次の人物の名を呼んだ。
「シエル・レーヴェ・ケーニヒ」
フスズは先ほどとは別の扉を開いた。
「進め」
ヴァイゼの言葉を受け、シエルは一礼してから扉の先へと向かった。
部屋の中には、フスズとは異なる模様が刻まれた仮面をつけた女が立っていた。
「初めまして、シエル・レーヴェ・ケーニヒ様。ヴァイゼ様の配下、エリス・アイシクルと申します」
エリスは一礼してから、シエルへと向き直った。
「初めまして。ご存じの通り、賢星国家レグルスの第三王女、シエル・レーヴェ・ケーニヒです」
シエルが名乗ると、エリスは淡々と説明を始めた。
「この部屋で試練を受けていただきます。扉が複数あることには、お気づきですね? その中から一つを選び、お進みください。扉の先にも、複数の扉がある部屋がございます。そこには試験官がおりますので、その者の許可を得てから、次の扉をお選びください」
シエルは息をのんだ。
「それでは、試験官A、エリス・アイシクルの試練は突破となります。扉を選択してください」
自分はまだ何もしていない。それにもかかわらず、試練を突破したと言われ、シエルは少し驚いた。
しかし、すぐに気を取り直し、目の前に並ぶ扉へと視線を向けた。
* * *
元の部屋では、ヴァイゼがテクストへと目を向けていた。
「テクスト・アイン。お前の望みは何だ?」
テクストは間を置かずに答えた。
「力です。魔力のない私でも、シエル様を王座までお連れできるほどの力が欲しいです」
ヴァイゼはその答えを聞くと、今度はヘリオスへと視線を移した。
「私は政治面での支援を願います。ヴァイゼ様が一言、シエル様を支持するとおっしゃるだけで、王位争いに勝ったも同然ですので」
ヘリオスは落ち着いた口調で答えた。
ヴァイゼは再びため息をついた。
「二人とも、この屋敷から去れ。シエルが試練を終えたら呼んでやる」
そう告げると、ヴァイゼは二人の返事を待つことなく、再び椅子へと腰を下ろした。
* * *
カイセンが部屋に入ると、そこには一人の男が立っていた。
男もまた、ほかの配下たちと同じように、顔を隠す仮面をつけている。
「えっ」
カイセンの顔を見た男は、思わず声を漏らした。
すぐに自分の失態に気づいたのか、男は取り繕うように姿勢を正した。
「申し訳ありません。私はヴァイゼ様の配下、ノア・アードラーと申します。よろしくお願いします」
先ほどの反応をなかったことにしようとするノアの様子を見て、カイセンは少し面白く思った。
「カイセンだ。よろしく頼む」
カイセンが名乗ると、ノアは小さく首を傾げた。
「失礼ですが、姓はないのですか?」
「ん? ああ、ないよ」
「そうですか」
ノアはそれ以上、何も尋ねなかった。
「ところで、さっきの反応は何だったんだ?」
カイセンは、顔を合わせた途端に驚いたような声を上げた理由が気になっていた。
「いえ、何でもありません。……強いて言うなら、カイセン様の髪がだいぶ荒れているなと」
「そこかよ……」
思いがけない返答に、カイセンは少し傷ついた。
確かに、こちらの世界に来てから髪の手入れなどほとんどしていない。だが、初対面で指摘されるとは思わなかった。
「まあ、いいや。それで、ここでは何をすればいいんだ?」
ノアは答える代わりに、『ジクスイヴン』と唱え、魔法で白く光る剣を作り出した。剣身は微細な光を帯びている。
ノアは白剣を握り、カイセンに向かって構えた。
(こいつを倒すことが、俺への試練ってことだよな)
カイセンは『ダインスレイヴ』を発動させ、黒剣を作り出した。
「行くぞ」
地面を蹴り、ノアへと走り出す。
黒剣を振るうと、ノアは白剣で受け止めた。直後、ノアは黒剣を弾き、体勢を崩したカイセンへと斬りかかる。
「アイギス!」
カイセンの周りに薄いバリアが張られた。
しかし、白剣はそれをあっさりと破壊した。
「なっ……!」
白剣がカイセンに迫る。
だが、刃が当たる直前、ノアは剣を止めた。
「これで一死にましたよ。さあ、もう一度構えてください」
(こいつ、光属性かよ……。戦うのは初めてだが、アイギスが秒で破られたし、やべえな)
カイセンは魔力を集中させた。
(それなら――)
「アメノイワト!」
黒い空間が展開され、カイセンとノアを飲み込んでいく。
空間が完成した瞬間、ノアの白剣が光の粒子のように砕け散り、消えていった。
「これは、この空間の効果ですか?」
「さあな」
優位に立ったと考えたカイセンは、笑みを浮かべた。
これなら勝てる。
そう思った。
――一週間後。
「これで四十八回は死んだよ? カイセン」
ノアの声が部屋に響いた。
あれから一週間。カイセンは一度もノアに勝てずにいた。
十回以上敗北したころから、ノアはカイセンに致命傷を負わせない程度の攻撃を当てるようになった。そのせいで、カイセンの顔は腫れ上がっている。
十八回を超えたころには、ノアのぎこちない敬語も消え、ため口へと変わっていた。
二度目の戦闘では、『アメノイワト』によってノアの白剣を消すことに成功した。
しかし、優位に立てたと思ったのも束の間。白剣を失ったノアは水魔法を巧みに操り、カイセンを軽く伸した。
ノアは光属性と水属性の適性を持っており、その実力は確かなものだった。
「カイセンは弱いね。戦術眼は悪くないし、魔法の効果も実用性の高いものが多い。それでも、いざ動くとなると全く駄目だよ。戦闘経験が浅すぎる。膨大な魔力で補っている部分が大きくて、そのままでは今以上に強くなるのは厳しいと思うよ」
ノアはあぐらをかきながら、冷静にカイセンを分析した。
(認めたくないが、ノアの言っていることは正しい)
カイセンには、ノアの言葉を否定できなかった。
魔力量には自信がある。戦術眼も、決して悪くないのだろう。
しかし、実際にノアとの戦闘が始まれば、考えたとおりに体を動かせない。判断が遅れ、相手の動きに対応できず、気づけば敗北している。
魔力の多さだけでは、埋められない差があった。
カイセンが考え込んでいる間、ノアは退屈そうに座っていた。
「ノア、俺はどうするべきだと思う?」
「戦いまくるしかないかな。様々な環境で、様々な相手と戦う。でも、ヴァイゼが僕に出した命令は『一人で相手しろ』だから、少なくとも今はできないよ」
(ノアは主を呼び捨てなんだよな。親しい関係なのか?)
一週間も同じ相手と戦い続ければ、自然と互いのことがわかってくる。
カイセンとノアも、今ではそれなりに打ち解けていた。
とはいえ、ノアが何者なのか、どうしてカイセンを見て驚いたのかは、いまだにわからないままだった。
カイセンはこの一週間、一度も部屋から出ていない。
食事は与えられ、ベッドもある。シャワー室まで備えられているため、生活に困ることはなかった。
不満があるとすれば、外の景色が見えず、太陽の光も差し込まないことくらいだ。
(日本人の俺としては、シャワー室に鏡がないのも不便だし、欲を言えば浴室も欲しいな)
朝から夕方まではノアと戦い、夜は翌日に備えて体を休める。
そんな日々を一週間、繰り返してきた。
それでも、カイセンは諦めていなかった。
「ノアを倒して、ヴァイゼにあいつの居場所を聞く――俺は諦めねえ」
* * *
時は遡り、ヴァイゼの屋敷に到着した日。
シエルが入った部屋には三つの扉があり、それぞれに異なる単語が刻まれていた。
一つ目は『国民』、二つ目は『道具』、三つ目は『仲間』。
「この部屋の質問は『配下とは』です。それでは、ご健闘をお祈りしております」
エリスの説明を聞くと、シエルは迷わず歩き始めた。
選んだのは、三つ目の『仲間』と刻まれた扉だった。
扉を開けて中に進むと、再び三つの扉がある部屋に出た。
そして、その部屋には、体格のいい仮面の男が立っていた。
「初めまして。私はヴァイゼ様の配下、グエス・スクリエルと申します」
グエスは自分の拳と拳を打ち合わせた。
「試練の内容は、私を倒すことです。死なないことを祈っております」
そう告げると、グエスは何度も拳を打ち合わせ、静電気を発生させた。
「スタティック」
拳の周囲で散っていた火花は次第に大きくなり、やがて雷のような光がグエスの両拳を包み込んだ。




